蕃神義雄 部族民通信

レヴィストロース著作悲しき熱帯、神話学4部作を紹介している。

小さい友 4

2012年09月21日 | 小説
席に着くとアンミツ大盛りがすぐ運ばれた。ルミ子嬢は「甘みは控えているざます」と山の手言葉で遠慮するが、その割にはしっかり食べていた。巨大なアンコ塊を天頂からスプーンで崩し、半分をペロリと平らげた。ふーと一息ついて

「須万男様、私、たいへんに打ちひしがれているざます」
「ルミ子さん、若くて美しい貴女が一体何にお悩みですか。渡来部、微力ながらもお悩み解消の手伝いができればと心から祈念いたします」
「そうおっしゃっていただければ心強いざます」

その後の言葉がでない。半分になったアンコ塊をさらに崩して下層の蜜液との融合を試みている。
ルミ子嬢の場慣れた仕草を目の当たりにして、渡来部は思わずうなった。「アンコ崩しの潔さ、蜜混ぜのスプーン回しが手練れ。ルミ子嬢や、ただ者ではない。崩しアンコでアンミツ喰らいが玄人はだし」

「私の悩み、須万男様にその原因があるのですわ」
「おーっとっと」
渡来部、ここで再度うなった。「パトリックから逃げたら今度はルミ子嬢。一難去ってまた一難とはまさに俺の半生。格好良いからし方ない、これほどいい男に生んだ両親を恨むじゃないが、もうちょっと平凡だったら…」

若さは判断力の無さにつながる。ルミ子嬢が私に首っ丈だとすっかり誤解した。渡来部、その時若かったから「ショッテ」いたんだ。最近「ショッテル」は聞かない。「自己分析能力の完全欠落」と理解してください。

「パトリック様に私をいかに紹介なさいましたの」

ルミ子嬢のその語り口は、洞窟の奥を見るかの如く暗く、視線は虚ろに目下のテーブルに落とすだけだ。虚ろな視線の先に減ってしまったアンミツ大盛りが虚しく残る。悔しげな口元はルミ子嬢の食べきれない苦しみを語る。悔しさが空虚に滲み放心したかのルミ子嬢の目つき表情、渡来部は見逃さなかった。そして放心に元凶に思い当たった。

ルミ子嬢の視線の果てが全てを明示する。

「アンミツは久しぶりかの大盛りで、全部食べたら食べ過ぎなのよ、残るは半分、なお食べたいわ」の葛藤に陥り、さらに、甘味控えのルミ子の前に大盛りを頼んだ渡来部はなお悪い。憎む気持ちに慕う心、こちらも葛藤。アンミツ挟んで重なる葛藤。彼女を精神奈落の暗黒におとしめた元凶がアンミツ2重構造、そしてその陰でせせら笑う渡来部だ。

話を進めよう。

「パトリックにルミ子さんを私の親しい友人と紹介いたしました。かの国の言葉では小さいの意を持つ形容語を名詞の前につけると、親しいとの含蓄を残し…」
小さい友との紹介の顛末を初めから語った。ルミ子嬢は一言二言を聞き留めては、その義を確かめるかに頷き、続く言葉にはより注意を傾けて、またも頷いた。聞き終わってすぐに反応を露わにした、
「あら、それだけざますの」それはとがめの強い調子、同意しないと聞こえた。
「と言うと、話し足りない部分があるかと」
「最後の最後におっしゃいませんでしたかしら。須万男様が空疎な言葉をいくつ重ねても、意味合いの虚しさに首を縦には決して振らないパトリック様。その彼にこれでもかって浴びせた、それは最後のとどめ、決して聞き逃しできない一言を」

渡来部は焦った。ルミ子嬢は全てを聞いていたのだ。聞いただけではない、理解していたのだ。パトリックとの会話、それはフランス語、カルチエラタンと呼ばれるパリの下町の訛り、学生が使うスラング混じりのくだけた会話。ルミ子嬢はそのフランス語を理解していたのだ。
焦って絶句した渡来部をルミ子嬢は討ってでた。

「最後の一言でパトリック様が納得したざますわ、それは何ざましたか」
「ご免ご免、忘れていた。あれはフィアン…」
「違います、それはカジマン・フィアンセざますわ」

カジマンは対象を揶揄する語感が気になる形容詞だ。それ故パトリックの耳にその語をまず置いたから、フィアンセの一言が効いた。とっさに上塗りした破れかぶれの組み合わせながら、意味の微妙が錦の織りなし、その危うさがあの時の雰囲気に融合したのだ。
意味合いに隠れたもともとのいかがわしさをルミ子嬢が追求している。

「ルミ子嬢はフランス語をとことん知ってる」
この展開は渡来部、予想してなかった。それが「アンミツ2重構造」なぞ楽天的誤解だと悟った瞬間だった。

渡来部の頭からは血流がすーっと落ちた。残るは混濁の脳髄、空疎な脳幹。なるままに、呆然と口を全開して、額の汗水までいらつきに乾いてしまった。
カジマンは「ような物」「似てるが違う」「もどき」を表すのだ。となるとルミ子は「婚約者もどき」なのだ。改めて己の言い回しのいい加減さに気づいたのだが、すでに遅い。
かな切る悲鳴、甘み処の店内奥深く、甲高く響き渡った。

「ヒエー、カジマンに傷ついた。それは渡来部様の戯れ一言、冷たいあの場に虚ろな反応。私には、そして邪(ヨコシマ)嫌がらせ。邪に苦しみ嫌がらせの責め受ける妾(ワラワ)、悲しい、ヒエー!」

ルミ子嬢はテーブルに伏せてしまった。(続く)
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