蕃神義雄 部族民通信

レヴィストロース著作悲しき熱帯、神話学4部作を紹介している。

精神分析現象学ゲシュタルト 6 最終回

2022年05月27日 | 小説
(2022年5月27日)Hyppoliteのフロイト解釈はラカンのそれと噛み合わない。
前回(25日)引用でHyppolite は返答でリピドー(性欲)を生体系の一部として、他の生体系要素と集合、統合する傾向(身体機械説を示唆する)を持つと指摘した。この解釈では自然・生物は主体性を持ち自然淘汰が発生し、単方向への進展が進む進化論に近似する。一方ラカンはリピドーが他本能と連関、集体するなどを想定しないが、フロイト原著にそれが記されている事実は否定できない。
ラカンによればリピドーは死の本能と対をなすであり、性欲と死願望には精神構造的に因果が認められる。前回文の訳「君が説明してくれた抗争」とはラカン主張の最重要の「性と死」の抗争と理解する。
ともかく、フロイト説はダーウインに影響を受けているとHyppoliteが指摘した。Mannoniと合わせて2段撃ちを食らったラカン先生、形勢は一気に不利になった、どうする。しかし追い詰められても慌てないのがラカンの真骨頂、頬を苦味に崩してニヤリのセリフが<J’entends> 聞いてるよ。続く文句は雪崩の怒涛か竜巻吹きまくり、
<Mais observez que la tendance à l’union―l’Eros tend à unir ― n’est jamais saisie que dans son rapport à la tendance contraire, qui porte à la division, à la rupture, et très spécialement de la manière inanimée. Ces deux tendances sont strictement inséparables. Il n’y a pas de notion qui soit moins unitaire. Reprenons cela pas à pas. (101頁)
訳:合同する傾向なるを見て取ると、まあエロスは他を取り込む一方だが、普通は、その正反の傾向との関連を理解しないと駄目だ。それを分離、破断とするが動きにおいては、こちらはとりわけ不活性、なかなか見破れない。この2の傾向(合同と分離)は一切、分離できない。単一体よりも少ない構成は考えられない。これらを一歩一歩、取り組むつもりだ。
これまでの本セミナー(Au-delà du principe du plaisir, la répétition)の論考の流れをまとめると:
1 Merleau-PontyのPhénoménologie講演について「分析的でない、Gestalt思考の一派生だとラカンが否定
2 Gestaltとはなんぞやをラカンが講釈する。モノ(自然)は主体で常に正しい形体を求める単一方向性を持つ
3 Merleau-Pontyは世界を理解する知覚を語るが、その仕組みは直感的、瞬間的で、世界を理解できない
4 Hyppoliteが「それは画像的現象学なのだ」(Gestaltではない)と指摘してから風向きに異変が生じた。
5 今回投稿(27日)でこの顛末が閉じた。
ここでセミナーは小休止を迎え、ラカン先生は自室に戻る。再開されたセミナーではMerleau-Pontyへの言及は無くなった。ここまで「知覚の現象学はゲシュタルト」なるラカン解釈は参加者から同意を得られたか。答えは;
ノーと判断したい。かのHyppolite (この時点で高等師範学校哲学教授であり学校長)は明確に反対の意思を顕にした。
再開セミナーではHyppolite への反論とフロイトへのラカンの味付け(形而上思考で精神分析を哲学に引き上げる試み)が読める。例えば快楽原理 « principe du plaisir »および精神2重構造を形成する要因のラカン説明。これが大変面白いので「悦楽の果、身体機械、繰り返し」として6月中には連続投稿を再開します。


ブルジョワ出のラカンは服装に気遣いを欠かさない。超ネクタイを好むのと、こんな伊達男姿でセミナーを運営していた。

苦み走って頬を崩した写真はネットから

精神分析現象学ゲシュタルト 6 最終回 の了 (2022年5月27日)

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