蕃神義雄 部族民通信

レヴィストロース著作悲しき熱帯、神話学4部作を紹介している。

精神分析現象学ゲシュタルト 5

2022年05月25日 | 小説
(2022年5月25日)Mannoniが投げかけた一閃の指摘がセミナーを暗転させた。
<Cela peut dépasser quand même le plan de l’imaginaire. Je vois le germe de la pensée gestaltiste dans la pensée de Darwin. Quand il remplace la variation par la mutation, il découvre une nature qui donne de bonnes formes>
訳:それ(ゲシュタルト)は画像的考え手順を越えています。ダーウイン思想にはすでにゲシュタルトの萌芽が見て取れます。生物の差異を突然変異に置き換えた。正しい形を追求する自然をここに見つけたわけです。
なるほど自然の中で場(生物進化)の設定、主体性の確保(自然淘汰なる原理)、単方向で「bonne forme正しい形」に向かう(進化)など(ラカン定義の)ゲシュタルト思想そのものである。しかしラカン先生、この指摘をして、一般に膾炙される「フロイトはダーウイン進化論の影響を受けて精神分析を立ち上げた」に議論が向かう事態を怖れた。なぜなら本家のフロイト師匠が進化論に示唆を受け、その進化論はゲシュタルトそのものとなると精神分析学の正統後継者を自称するラカンには格好がつかない。「ゲシュタルト心理学が正統なんじゃない」と突っ込まれてしまいます。
<Je ne veux pas au-delà du plan où se tient Merleau-Ponty> Merleau-Pontyについて話ししているんだから、それから外れる話題は採り上げたくないと乗ってこない。
とは言うもののこんな時に鼻柱の強さが見えてくる先生です、進化論についての自己解釈講義に発展してしまう。続く文節、
<L’idée d’une évolution vitale,…(中略)…la croyance à un progrès immanent au mouvement de la vie, tout cela lui est étranger, et il répudie expressément> 生命進化なる思想=中略、自然がより上位の形を形成しているとなど進化論を彼の論法で断定し、生命活動に内在する活動、発展の確信なる…略を閉じる=は彼に馴染まない、彼はその思考を除外している。
唐突に彼 « lui, il » が出てきた。前文に出てきたMerleau-Pontyに結びつけるのが正しい読み方だが、文脈が乱れる。おそらく聴講していた参加者も「誰だい彼とは」首を傾げたのだろう、早速、続く口調にフロイトを出してきた。前文の「彼」はフロイトと目星がつく。「フロイトは臨床に近い、経験を学に発達させたのだ」説教を垂れ、フロイトにおける進化論の影響を否定する。それが、
<Comme Freud est un sujet peu porté dans ses choix à partir de position de principe, je crois que c’est son expérience de l’homme qui l’oriente. C’est une expérience médicale. Elle lui a permis de situer le registre d’un certain type de souffrance et de maladie dans l’homme, d’un confit fondamental>
訳:原理を定めその思想を尊重して論を展開する、そうした姿勢をそもそもフロイトは全く持っていない(ダーウインとは違う)。接してきた人間との関連の様でその理由は説明ができる。臨床体験です。特定の苦しみ、精神の抗争、そうした病態の臨床経験が、彼の意思をその方向に向けさせたのです。
<Expliquer le monde par une tendance naturelle à créer des formes supérieures est à l’opposé du conflit essentiel tel qu’il le voit dans l’être humain. Mais ce conflit dépasse l’être humain. Freud est comme projeté dans l’Au-delà du plaisir, qui est une incontestablement métaphysique, il sort des limites du champ de l’humain au sens organique du terme. C’est une catégorie de la pensée, à quoi toute expérience du sujet concret ne peut pas se référer.
訳:自然が傾向を持ち常により良き形に形成されるなどの理論は、彼、フロイトが見つめる生きる人の精神の抗う様とは対極にあります(ダーウインとは違うのだ、これでもか!)。しかるにこの抗争は人の手(彼の手)に余るものです。「欲望の果に」なる著作、それは正しく形而上の論ですが、それに没頭していたその時彼は、人の範疇を越えてしまった、生体系との意味ですが(頭が混乱した)。これは思想を語る作品です、そこに具体的個性(肉身の個体)への応用できないでしょう。
(ゲシュタルトとか、自然哲学など本家はおクビにも参考にしていないよ)。ただ最後の著作でその試みをしたが、トチ狂ったね(フロイトを人と呼したワケは先生への直接悪口避けたと見られる)。精神分析の本道と進化論の乖離の説明にラカン必死の様子が伺えます。
今まで聞くのみだったHyppoliteがここでようやく口を開いた。その言を聞こう。


的を射た質問でラカンを立ち往生させる高等師範学校哲学教授Hyppolite、ヘーゲルの紹介者でもある。写真はHyppolitteの訳による精神現象学の仏語版の表題頁、1936年出版

ハードバック、格調高い革装、全2巻

その1ページ。
本書は難解、しかし名訳とされる。難解なのはHegelが難解なので訳も必然、難解になってしまう。

<Je ne conteste pas du tout la crise décrite par Freud. Mais il oppose à l’instinct de mort la libido, et il la définit comme la tendance d’un orgasme à se grouper avec d’autre organismes, comme si c’était là un progrès, une intégration. Il y a donc quand même chez lui, indépendamment de ce conflit indéniable dont vous parlez et qui ne le rend pas optimiste du point de vue humain, une conception de la libido, d’ailleurs mal définie, qui affirme bien intégration plus en plus grandes des organismes. Freud le dit d’une manière nette dans son texte même(101頁).
訳:フロイトが述べるところ精神における発作を疑うつもりなど全くない。しかし彼はリビドーを死の本能と対立させている。それ(リビドー)とは一つの生体であって他の生体系と集合する傾向を持つ。進展、統合であるかに。そう考えていくと、君が説明してくれた「抗争」を否定しないけれど、それとは独立している(別個の)リビドーの概念をフロイトは考えていたのではないか。それ(精神における機械反応、ひいては精神の独立性)はフロイトを楽天的人間にするものでないし、うまく説明していないけれど、より大きな生体系に統合すると決めつけている。フロイトは著作でそれを明確に言っている。
Hyppoliteの指摘はフロイトにおける「自然の主体性」である。それはダーウィンと一脈通じるしゲシュタルト的でもあるーラカン先生、どうするね。

精神分析現象学ゲシュタルト 5の了(2022年5月25日)次回(最終回)は27日予定


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