蕃神義雄 部族民通信

レヴィストロース著作悲しき熱帯、神話学4部作を紹介している。

歴史と弁証法のPDFをサイトに投稿

2020年09月08日 | 小説
(2020年9月8日)
10月から「部族民通信人類学講座」のネット開校(youtube)を準備しています。その演題の一つに「Histoire et Dialectique歴史と弁証法」を取り上げます。材料となるPDFを本日、上置(Upload)いたしました。1,2,3の3部作。

レヴィストロース著作「PenseeSauvage野生の思考」の最終章は「Histoire et Dialectique歴史と弁証法」の章題がかぶさります。内容はサルトルの「La critique de la raison dialectique弁証法理性批判」への批判です。なぜレヴィストロースがこれを批判したかというと、構造主義への論難であったからです。小筆はこの本を読んでおりません。アマゾンで探して英語版は見つかるのですが、原本は出てきません。

この章の紹介を取り上げるにサルトルの論法はネットでの断片的な書評しか接していません。勢いレヴィストロースが引用する幾つかの文節を通しての理解でしかないので、一方的なのですが、それを前提にして歴史と弁証法を取り上げる事としました。
(ブログには2019年4月前後、ホームサイトtribesman.netには2019年の頁に掲載)

今回作成したPDF版は焼き直しとなりますが、一年半ほどの経過をそれなりに反映しております。レヴィストロースからサルトルへの「問いかけ」を3項目に「より明瞭に」設定して、その説明を流れの軸に取っております。3点とは;

1 歴史はモノだ(サルトル)、思想だ!(レヴィストロース)の対立
2 歴史が神(サルトル)ならなぜ人(個の経験で得た知=実存主義)の理屈で説明できるのじゃ。その上、人のいかなる行動、思考が神の歴史に包括されてしまう。これは非人道だ。
3 未開人は弁証法的知性を持つ。彼らの知性の発露の仕組みは西欧人と変わらない。ただ「モノ」に執着しているだけだ。

3番目の論点には本書野生の思考の第一章具体科学の文章を解析した結果を取り入れています。3を考えながら、歴史と弁証法を最終章に取り上げたあたりに論理整合を感じ入リました。ブログ、ホームサイトへの投稿では「唐突に」関係の薄い主題を突っ込んだとしたが、そんな判断がおぼつかなさの表れで、第一章と最終章は「モノと思想」の取り上げていることで大いに関連があったと感じ入りました。

また、最終3にサルトルの思考と耶蘇の教条を対比させております(本邦初公開)。



サルトル、自宅アパルトマンにて(Wikipedia)


よろしくホームサイト(tribesman.net)、サブドメイン(ホーム頁に入ってから移動する)へのご訪問を。了

追:Wikipediaはノー広告なので使いやすく、その姿勢には大賛成です。懐具合は他のサイバー超大手(GAFAと言うのですか)と比べて脆弱です。部族民はユーザー登録しており、時たま「寄付のお願い」メールが入ってきます。今年は2度ほど貧者の一灯のnet・donationをさせてもらいました。Wiki財団からは「そのことをSNSに流してください」の依頼があった。その趣旨は「他の方にnetで寄付できる方法がある」との喧伝で、「けっして寄付のまた依頼ではない」に尽きるようです。こんな事もあるとの話でした。

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