お天気かなあ~と思えば急に降り出したりと梅雨らしいお天気。
雨に降られぬようにと寄り道もせずまっすぐ帰宅。
そして借りてきた本を読もうと。
雨音というのはいいリズムで本がサクサクと読めるような気がします。
ソロモンの偽証 宮部みゆき著 新潮社。
2009年9月号~2011年11月号まで小説新潮で連載されていた長編小説です。
なので3部作になっておりまして、図書館で予約待ちで3冊読むのに結構時間がかかりました。
最初の内容を忘れてしまいそうになるほど期間が空いてしまってそれでもそこは宮部みゆきという方はすごいです。
以前に模倣犯、楽園と読みましたがだらだらと長いわけではないのです。
舞台はバブルに沸いたまだ一人に一台携帯電話もない、あのポケベルも持っていない時代の下町の中学校。
クリスマスイブに学校の屋上から一人の生徒が転落死した遺体が発見されます。
亡くなった生徒はいじめによる不登校であったことから自殺ではないかと思われていましたが、匿名の投書が3通送られいじめた生徒たちに突き落とされたということで学校関係者はパニックになります。
一通は亡くなった生徒(柏木)のクラスメートで親が警察官である涼子、二通目は学校に、3通目は担任教師にと送られました。
何の手違いか投書はマスコミの送られてしまい、TV局が学校に乗り込んで来て事件は大きくなっていきます。
丁度このころだったんですよね~。
学校でなにかが起こるとTVがリポーターとともにカメラ担いで乗り込んで来てスタジオでは教育問題にいろんなコメンテーターがあーでもないこーでもないと言い出したのは。
そしてオトナはバブルに浮かれて土地が異常な値上がりをして地上げ問題とか起こったりで、古くから住んでいる互いのこともよく知ってるという町内という関係も変わってきた、そんな時代です。
そして大人たちには任せておけないとこの学校の生徒たちが自分たちで真相を突き止めよう、と法廷を開くと決めたのです。
この時代を舞台に描かれたのはメールというものがなくて、連絡手段は手紙か家の固定電話、そばに家族がいるので口裏合わせることもできず、SNSを使って皆に一斉に広められることもない、だから自分たちが靴底すり減らして歩き回り調べなくてはいけない、そうすることによって社会を知るということだったのではないかと思いました。
そして法廷には陪審員が並び彼らによって有罪無罪を決めるというのです。
小説が連載された頃って裁判員制度が始まったぐらいでしょうか(間違っていたらすいません。)
それを意識して描かれたのかなあというのが感想です。
最初は馬鹿にしていた大人たちも彼らの真摯な姿に生徒たちに負けてしまったと敗北を認めざるえなくなります。
皆精一杯のことをやって傷ついたり悲しんだりします。
けれどもやもやしたものは晴れたようです。
同級生の死というものを乗り越えるために必要だったのかもしれないと思いました。
今となっては学校で法廷を開く公開裁判をするというのは無理~ですね。
携帯電話の電源をお切りくださいとかレコーダーなど持ち込み禁止とか厳重にチェックしないといけませんものね。
江戸時代の宮部ワールドならば学校というものにあやかしがいるで済ますことができますが、現代はあやかしよりも人の悪意のほうがおそろしいですね。
雨に降られぬようにと寄り道もせずまっすぐ帰宅。
そして借りてきた本を読もうと。
雨音というのはいいリズムで本がサクサクと読めるような気がします。
ソロモンの偽証 宮部みゆき著 新潮社。
2009年9月号~2011年11月号まで小説新潮で連載されていた長編小説です。
なので3部作になっておりまして、図書館で予約待ちで3冊読むのに結構時間がかかりました。
最初の内容を忘れてしまいそうになるほど期間が空いてしまってそれでもそこは宮部みゆきという方はすごいです。
以前に模倣犯、楽園と読みましたがだらだらと長いわけではないのです。
舞台はバブルに沸いたまだ一人に一台携帯電話もない、あのポケベルも持っていない時代の下町の中学校。
クリスマスイブに学校の屋上から一人の生徒が転落死した遺体が発見されます。
亡くなった生徒はいじめによる不登校であったことから自殺ではないかと思われていましたが、匿名の投書が3通送られいじめた生徒たちに突き落とされたということで学校関係者はパニックになります。
一通は亡くなった生徒(柏木)のクラスメートで親が警察官である涼子、二通目は学校に、3通目は担任教師にと送られました。
何の手違いか投書はマスコミの送られてしまい、TV局が学校に乗り込んで来て事件は大きくなっていきます。
丁度このころだったんですよね~。
学校でなにかが起こるとTVがリポーターとともにカメラ担いで乗り込んで来てスタジオでは教育問題にいろんなコメンテーターがあーでもないこーでもないと言い出したのは。
そしてオトナはバブルに浮かれて土地が異常な値上がりをして地上げ問題とか起こったりで、古くから住んでいる互いのこともよく知ってるという町内という関係も変わってきた、そんな時代です。
そして大人たちには任せておけないとこの学校の生徒たちが自分たちで真相を突き止めよう、と法廷を開くと決めたのです。
この時代を舞台に描かれたのはメールというものがなくて、連絡手段は手紙か家の固定電話、そばに家族がいるので口裏合わせることもできず、SNSを使って皆に一斉に広められることもない、だから自分たちが靴底すり減らして歩き回り調べなくてはいけない、そうすることによって社会を知るということだったのではないかと思いました。
そして法廷には陪審員が並び彼らによって有罪無罪を決めるというのです。
小説が連載された頃って裁判員制度が始まったぐらいでしょうか(間違っていたらすいません。)
それを意識して描かれたのかなあというのが感想です。
最初は馬鹿にしていた大人たちも彼らの真摯な姿に生徒たちに負けてしまったと敗北を認めざるえなくなります。
皆精一杯のことをやって傷ついたり悲しんだりします。
けれどもやもやしたものは晴れたようです。
同級生の死というものを乗り越えるために必要だったのかもしれないと思いました。
今となっては学校で法廷を開く公開裁判をするというのは無理~ですね。
携帯電話の電源をお切りくださいとかレコーダーなど持ち込み禁止とか厳重にチェックしないといけませんものね。
江戸時代の宮部ワールドならば学校というものにあやかしがいるで済ますことができますが、現代はあやかしよりも人の悪意のほうがおそろしいですね。