金魚cafe

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春爛漫茂山狂言会

2018-04-06 00:18:50 | 古典芸能
遅ればせながら4月1日に兵庫県立芸術文化センターに「春爛漫茂山狂言会」を観に行ってきました。

電車から見える景色は満開の桜。

途中下車したくなりました。

そんな日だったので公演前の解説で茂山茂さんが登場され本来ならばまだ桜は満開ではないだろうと思っていましたのに満開で狂言を観るどころではないところをお越しくださいまして~~という感じでつかみはOK。

茂さんの解説を聞くたびにトーク上手くなってる~~といつも思うのです。

つかみがOKだけでなくわかりやすく説明してくださいます。

最初に「察化」さっかと読みます。

登場人物は主と主に仕える太郎冠者、そしてすっぱと呼ばれる詐欺師の3人。

パンフレットには連歌の初心講(連歌とは五七五七七の和歌を上の句下の句と分けて2人以上で重ねていくものだそうです。初心講は初心者ということだそうです。)の集まりで頭となった主が都に住む叔父に師匠になってもらおうと太郎冠者を使いに出します。

ところが太郎冠者は叔父が都のどこに住んでいるかどのような人なのか主に聞かずに都に来てしまい主の叔父はいらっしゃるかと都を訪ね歩きます。

広い都を大声で探すなんてまあなんと無謀なとおもいますがこの面白さが狂言なのです。

そこにいいカモが来たとすっぱが自分が叔父だと太郎冠者をだまして主のところまで連れて行かせます。

主はもちろん叔父ではないとわかっていますが、この事を荒立てたくない主は太郎冠者にもてなしをしろと言いつけます。
え~~~っ普通そんなことする~~?

納得いかない太郎冠者のトンチンカンなおもてなしが面白いのです。

狂言では詐欺師や盗人が出てきても基本根っからの悪人ではなくどことなく憎めないそんな人たちなので捕まえて役人につきだすということにはいたしません。

勧善懲悪でないところが笑いを誘うのかなあと。

そして本日のメインエベントが「唐相撲」。

これは茂山家の専売特許と言われる狂言で私も前回観たのが四~五年前だったかと。

登場人物の多さと普段シンプルな舞台がいろいろ道具が多いです。

ストーリーは簡単で中国の皇帝のお抱えの日本人力士が祖国に帰りたいと皇帝に願い出ます。

昔は高貴な方、天上人と言われる方は直接はお話になりません。

日本人力士(茂山千五郎さんピッタリ^^)と通訳(あきらさん前回もそうでした。)の怪しい中国語のやり取り。

このシーンでもう爆笑。

皇帝は帰る前にもう一度相撲が観たいと言い、相撲を取れと通訳に伝えます。

皇帝の後ろに控える唐人役の皆様約40名。

この中には茂山家以外に兵庫県立芸術文化センターで「唐相撲」に出演される方(演技、ダンス、アクロバットの経験がある)を募集していました。

これは前説で茂さんが唐相撲はケレンの動きが要求されるので我々アラフォーになってしまってアクロバティックな動きが大変になってきたので募集しましたと。

一人ずつ日本人力士と相撲を取る唐人たち、投げ飛ばされるときにトンボを切ったりブレイクダンスをしたりで爆笑に次ぐ爆笑。

アドリブが多いのも唐相撲の特徴でもありまして。

時事ネタが入ってまた爆笑。

古いけど新しい、それはキッチリ古典ができるからこそなんでも応用ができるという奥の深さ。

言葉遣いとか古くてわかりにくいところもありますが何度も足を運びますとなんとな~~くこういうことを言ってるのかなとわかるようになってきますし、わからないところがあっても面白いです。

劇場にマイクなしで響く声そして軸がぶれないピンと隅々まで伸ばしている背筋が素晴らしいです。

茂山家8月にも「真夏の狂言大作戦」というのでまた兵庫県立芸術文化センターに来られます。

これも絶対爆笑の渦となるはずです。










「猿翁アーカイブにみる三代目市川猿之助の世界」第二回フォーラム

2017-06-11 23:36:35 | 古典芸能
去年のフォーラムに引き続き第二回目のフォーラムも参加させていただきました。

映像で観れるのが去年春秋座で公演があった「獨道中五十三驔」でした。

まず最初に脚本家の石川耕士さんの解説がありました。

これを三代目の猿之助さん(現猿翁さん)が復活させた30年前は今とは評価が違っていたそうです。

今は古典もあり、新作もあり、早変わり、宙乗りなんでもござれでいろんな楽しみ方ができます。

30年前は古典に重きを置かれていて三代目だけが突出して新しいこと、古いものを発掘してまた今舞台にかけるなど色々挑戦されることをそんなに評価がされていなかったそうです。

それでもお客様は満員で皆さん喜ばれるので続けていかなければと思われたと。

だから今があるのかなあと。

映像は猿翁さんが個人的に撮影されていた貴重なものです。

この「獨道中五十三驔」は十八もの早変わりがあるそうで鶴屋南北の原作をそのまま公演したら5時間半もかかるというものすご~~く長くかかるものをいろいろ時代に合わせて変えていったりして現在にいたるそうです。

その30年前の映像は全部は観れませんでしたが映像の中の猿翁さんは四代目の猿之助さんに似ているなあと。(おじと甥ですから)

私は観ていないので内容は知らなかったのですが、京都の三条大橋から江戸の日本橋までの道中で仇討あり、化け猫騒動ありのスケールの大きな話でした。

登場人物を解説してくださるのですが、知ってる方なのに違うと思ったら今活躍されている方々のお父様おじい様世代の方々でわぁ~~知らないわ~~30年前ですものね~~。

ここで休憩を挟んで第二部は三代目猿之助さんの舞踊について映像を観ながら解説を行われました。

ゲストは長唄の杵屋東成、勝禄さん。(このお二人双子だそうです。)

お二人のお父様の長唄でないと踊らないという三代目猿之助さんのご指名でずっと演奏されることになったそうです。

「黒塚」と「連獅子」を観れました。

「黒塚」は猿翁さんは映像に残すことをされなかったのでほとんど残っていないそうなのですが、唯一残っていたのが衣装を着けて本公演と同じようにリハーサルしている映像でした。

「黒塚」というのは人を殺して食らい鬼になった老婆のもとに徳の高い僧が一夜の宿を求め老婆は改心したかのように思われたのが観られてならぬものを観られてしまい鬼になるというお話(だった?)で改心した老婆が僧の暖をとるために芝を拾いにいくところでうれしくて踊るところでした。

ゆったりと柔らかく踊られるのだなあとだから僧に裏切られて鬼になるところも観たかったですね~~。

猿翁さんは老婆の気持ちがわかる方に演奏していただきたいと要求されていたそうで「黒塚」に対する思い入れが深かったのだなあと。

「連獅子」は四代目の猿之助さん(当時亀治郎さん)と一緒に踊られています。

四代目が15歳、映像をみてえ~~~っこれで15歳!!

「連獅子」というのはわが子をたくましく育てるためわざと谷底に突き落とす親獅子と子獅子を舞踊にしたものです。

この15歳の子獅子、谷底に突き落とされても絶対すぐ上がってくる~~。

そんなすごさを感じました。

15歳でこんなにすごいのだからオトナになったらどうなっちゃうのか?と当時観ていた方がたは思われたのではないでしょうか?

オトナになったらもっとすごい方になっちゃってるんですが。

そんな子獅子に余裕の親獅子、ゆったりと踊ってらっしゃいました。

子獅子は若さいっぱい、スピードとキレッキレで対抗しているように見えました。

映像なのに客席からは拍手の嵐。

まぁ~~すごいものを見たなあと。

解説された脚本家の石川耕士さん、杵屋東成、勝緑さん兄弟皆さん三代目猿之助さんと一緒に舞台をされたことをとても幸せに思ってらっしゃるなあと感じました。

猿翁さんは2千以上の映像や歌舞伎の資料を大学に寄贈されました。


映像もフィルムなのでデジタル化して保存しなければ劣化して観れなくなる可能性があるのでそのためには費用がかかるのです。

そのためにフォーラムを開いて参加される皆様にご協力をお願いされています。


猿翁アーカイブにみる三代目市川猿之助の世界(4)

2016-10-03 23:25:32 | 古典芸能
プログラムも3で最後です。

笑三郎さんが再び進行して先に映像を拝見しました。

三代目の猿之助さんの「ヤマトタケル」です。

私は四代目の猿之助さんのをシネマ歌舞伎で観ました。

スケールの大きな話、衣装の豪華さと素晴らしいものでした。

三代目の猿之助さんの映像を観て衣装がちょっと違うのかなあと。

殺陣などもこの前観たワンピースと良く似ているところもあり、受け継がれているのだなあと。

映像を観た後で四代目市川猿之助さん登場されました。

笑三郎さん、右近さんはスーツ姿だったのですが、四代目猿之助さんはカジュアルなシャツとジーンズ姿でした。

それでも違和感感じさせないのは持って生まれた育ちの良さからくるものかもしれませんね。

「今日は無料のイベントにようこそ、いつもは埋まんないのに(春秋座が)無料になるといっぱいになるんです」といつもの調子でおっしゃいます。

いつでも猿之助さんらしくぶれないのがいいのかなあと。

今歌舞伎界がこうしてあるのは三代目市川猿之助のおかげですと。

スーパー歌舞伎は現代語で演じ、和楽器を指揮していた(普通は指揮などしない)着物で稽古するのに洋服で稽古していた。と今までの古典と違うものだったそうです。

猿之助さんが歌舞伎以外の舞台に出られた時は初めましてと顔合わせして俳優同士仲良くなるのに一か月ぐらいかかった。

歌舞伎は生まれた時から知っているもの同士だから稽古の時間というのは短い。

音楽はテープで照明はコンピューター制御のものと全く違うものであった。

困るのは音楽はすでに録音してあるので音楽の時間に動きを合わせなくてはならない。

普段は弾いている方々が動きに合わせてくれている。

衣装も西洋式なので着物は腰で着る、西洋の衣装は肩に力が入るので肩が凝ったなどといろいろな苦労もあったそうです。

三代目のときは本当に大変だったようですが、現在は音楽や照明などに関してはメールでやり取りすればすぐ解決するようになったと文明が進むといいこともあるのですね。

そして三代目が育てた澤瀉屋さんの皆様がやり方を知っているから問題が起きても大丈夫。

これは他から来られた方はびっくりされるそうです。

猿翁さんと自分との違いは猿翁さんは稽古が好き、自分はキライと。

なんていつもこんなことおっしゃっていますが、キライといっても必要なことはちゃんとなさっているのです。

猿翁さんが澤瀉屋の皆様を育てたように自分も育ててみたいとその効果はワンピースなどで現れていました。^^

楽しみな方がいっぱい出てきています。

そしてこの本来のフォーラムの目的で猿翁さんが残した貴重な映像を保存するためには日本にその機械が一台しかない膨大な予算がかかるので協力をお願いできないでしょうかと。

そうです。猿之助さんといえば募金です。

皆様に協力いただければいつでも猿翁さんの貴重な映像を観れるようにしたいと。

春秋座のロビーにもいっぱい展示してありましたが、戦前の猿翁さんの幼少時代のフィルムもあり観れるといいなあと微力ながら協力させていただきました。

シネマ歌舞伎のワンピースのこともしっかりPRされていたので観に行かなくちゃです。




猿翁アーカイブにみる三代目市川猿之助の世界(3)

2016-10-02 09:29:36 | 古典芸能
2三代目市川猿之助の仕事とうテーマで三代目、四代目市川猿之助歌舞伎の脚本演出を担当された石川耕士さんと市川笑三郎さんで進行していきます。

ここでは三代目市川猿之助さんがどんな方なのか、生い立ちからスーパー歌舞伎を立ち上げるまでを解説してくださいました。

私はざっくりとしか知りませんでしたが、三代目市川猿之助を襲名されたのが昭和38年5月23歳で襲名されました。

昭和14年生まれでまず團子→猿之助→段四郎と襲名していくのが襲名というのはとてもお金がかかるため、猿之助、段四郎を同等とし、猿之助を襲名したら次の世代は段四郎を交互に襲名すればよいと初代の猿之助さん(三代目のおじいさま)がお決めになられて当時は三代目のお父様も健在でしたので團子から猿之助まではまだなので猿之丞というのはどうだと打診されたそうですが、三代目の猿之助さんは当時23歳と若かったこともありそんな名前は嫌だとおっしゃったそうです。

猿之丞は嫌だけど雪之丞ならよいと。

そのため初代猿之助さんは猿翁を名乗られのです。

もし、順当に襲名されていたら雪之丞になっていたのが初代猿翁さんが倒れれられて急きょ猿之助を襲名され、初代猿翁がするはずだった「黒塚」を自分が代役すると申し出られました。

本来ならば23歳の若者に老婆を演じさせることはなく、おじにあたる市川中車さんが代役をするところを自分がと。

TVで四代目の「黒塚」を拝見しましたが、古いものだと思っていたら昭和14年が初演の新しいもので昭和14年生まれの猿之助さんには思い入れが強かったのではないかと。

私は前に他の歌舞伎の方のお話を聞いたときに自分に役が回ってきてから初めて教わることができると、将来この役をやりたいから教えを乞うというのはないそうです。

なので三代目猿之助さんはおじいさまに教えてもらえるわけもなかったのに、いつかはと思っておられたのですね。

観て覚えたと。

ここで古い映像の三代目猿之助さんの黒塚を観れました。

四代目とよく似ておられます。

なんか違う、上手く言えませんが三代目が観たのは初代の「黒塚」、四代目は三代目のであろうからその差なのではないでしょうか。

どちらも素晴らしい。

その差を「三代目の猿之助さんに半ズボンをはいてルフィをやれといわれても」という上手いたとえでした。

襲名披露の後おじいさまが亡くなり、その五か月後にお父様も亡くなった。

そのときの心中は悲しみと新しい自分のスタートが始まるという両方の気持ち。

新しいことを切り開いてきた三代目猿之助さんであってもおじい様、お父様が健在で新しい試みを止められればしたがっていたであろうから、誰に遠慮することなくやりたいことができるという気持ちの方が強かったのではないかと。

それに祖父、父という後ろ盾がいなくなると若い三代目にはいい役が回ってきません。

それならばとやりたいことをやる。

それで「義経千本桜」の宙乗り、「加賀見山」での早変わりと挑戦されて個人名で興行を打てるほどに。

映像はモノクロでしたが、それでもわあ~~~っ!!と客席からため息がもれるほどの素晴らしさ、きっと生で観たらもうポカーンと口を開けたまま見とれてしまいそうでした。

私の大好きな藤山直美さんが中学生時代に学校を抜け出して南座に通い詰めていたという気持ちわかりました。


そしていよいよ四代目の登場。

どんなお話をされるのか?

猿翁アーカイブにみる三代目市川猿之助の世界(2)

2016-10-01 23:26:40 | 古典芸能
日にちが空いてしまいましたが、続きです。

プログラムに1(三代目猿之助と春秋座)市川右近さんと京都造形芸術大学理事長徳山豊さんの対談。

      2(三代目猿之助の仕事)脚本家の石川耕士さん。

      3(三代目猿之助の功績~スーパー歌舞伎)四代目市川猿之助
となります。

こんなにがっつり中身の濃いものだとは私は思っておりませんでした。

まず市川右近さんと徳山豊さんとの対談から。

スーツ姿の右近さん、右近さんは関西出身の方なのですがあまりトークを聞いたことがありませんでした。

柔らかな関西弁で師匠との春秋座についてお話されました。

1992年に猿翁さんが京都造形芸大に講義に来られました。

西洋の芸術の理念を持った大学は数あれど東洋の芸術の理念を持った大学はここしかなかった。

初年度は2週間集中講義で右近さんは師匠のサポートをするために大学に来られました。

でも何を教えればよいかわからなかった。

当時の大学には演劇を教えるコースがなかったのでそこで歌舞伎を教えなければならないのかと初めてなことで教える方も教えられる方も戸惑いがあったようです。

当時の理事長が「人は涙を流すほどの感動をして反省をしてそのときすごい向上心が生まれる」と猿翁さんおっしゃったそうです。

猿翁さんは「僕の持っている歌舞伎感を教えます」と。

まず歌舞伎を見てもらい、それを分解して振りを見せながら演劇方法を教え午後は踊りを教えたそうです。

その前に基礎の基礎でまず着物の着付けから始めました。

着物ってお正月や成人式しか着ないものだったのでそこからでしょうね~~。

生徒さんは日本画を専攻しておられる方々で共通していることはまず真似してみる。

デッサンから始めるのと共通しているなあというのが右近さんの感じたことだったそうです。

分野は違うけれど教え、逆に教えられとお互いに得られるものがあったと。

最初は学生さんも熱心ではなかったけれども猿翁さんの熱心さにのめりこんでいったと。

ここで貴重な大学で「連獅子」を素踊りで踊っておられる映像が見れました。

獅子のたてがみも付けていないのにその迫力に圧倒されました。

三代目市川猿之助さんの踊るところを初めて観たのでこんなに柔らかく力強く踊られる方なのだと。

当時の様子を懐かしそうにお話される右近さん、猿翁さんに対する思いの強さが伝わってきました。

京都造形芸術大学さんでは猿翁さんに講義を依頼したときから春秋座の建設の構想があったそうです。

猿翁さんの歌舞伎ができる劇場ということでこんな立派なものができたのですね~~。

コンセプトは「お客様と演じ手が一体感となる距離感」 確かに観やすいし、席もゆったりしてるし本当に考えられてるなあといつもこちらに来させていただいたとき感じます。

あと長い時間観劇を観る人間からいたしますととってもありがたいのはお手洗いの数が多くてそんなに並ばなくてもいいということです。
そしてお化粧直しできるスペースもゆったりしてなんていうか安心して観れます。

あと第二、第三と続きます。

また次回に。^^