兵庫県、丹波の国、篠山の北3-4里ほどにある柏原(かいばら)の街は城下町です。
戦国時代が終わり徳川の時代は、護りこそ固めたが、戦いとは縁がなくなり明治を迎える。
三階建ての太鼓櫓が見える。事あるときはここから村中に合図をする。
現代の火の見櫓らしい骨組みも背後に見える。
さて、城下町の道をたどると、初代当首の織田信包(のぶかね)の石像がある。
彼は織田信長の弟だと言う。
お殿様の系図
その横に、下駄を履いた女の子の「見返り娘?」の石像が建っている。
彼女こそは「雪の朝 二の字二の字の 下駄のあと」と言う名句をつくった娘である。
田ステ(でん すて)女性を表すために「女」を付けて(すてじょ)
二の字二の字は、1年生の頃だったか、初めて親から聞いた俳句でしたね。
柏原藩の藩主(お殿様)の初代織田信包(のぶかね)の陣屋が復元されている。
織田信包の住まいした屋敷。
門長屋の奥に見える玄関と道路の標識。
戦国時代が終わり徳川の時代は、護りこそ固めたが、戦いとは縁がなくなり明治を迎える。
三階建ての太鼓櫓が見える。事あるときはここから村中に合図をする。
現代の火の見櫓らしい骨組みも背後に見える。
さて、城下町の道をたどると、初代当首の織田信包(のぶかね)の石像がある。
彼は織田信長の弟だと言う。
お殿様の系図
その横に、下駄を履いた女の子の「見返り娘?」の石像が建っている。
彼女こそは「雪の朝 二の字二の字の 下駄のあと」と言う名句をつくった娘である。
田ステ(でん すて)女性を表すために「女」を付けて(すてじょ)
二の字二の字は、1年生の頃だったか、初めて親から聞いた俳句でしたね。
柏原藩の藩主(お殿様)の初代織田信包(のぶかね)の陣屋が復元されている。
織田信包の住まいした屋敷。
門長屋の奥に見える玄関と道路の標識。
どんな気持ちで豊臣や徳川に仕えたんでしょう
そんな事をふと考えちゃいました