時間を見つけては、ドライブで楽しんでいます。札所めぐりもその一つです。
今回は、兵庫県南東部の一部分を訪ねます。
地図の最も右下隅に、西国札所三十三観音巡りのうち、24番中山寺があります。
節分の豆まきの手伝いに宝塚歌劇団の女優さんがきたと言う寺です。
そして、地図の左上隅に、花山院と言う古刹、33札所の番外の寺です。
花山院の山門です。東光山菩提寺と言うのがほんとの名です。
山門を入るとすぐに、歓迎して山上までの登りの労をねぎらうように迎えてくれる仏様です。
境内に上がると本堂の正面に、巡礼満願を記念した扁額が懸っている。
特に左側の額は、西国・坂東・秩父の巡礼満願を記念して奉納されている。
境内には、郷土史家の解説の立札がある。
花山天皇が、この地に隠棲すると、都で仕えていた女官11人が後を慕って、山裾に住みつきました。
そこで琴を引いてお慰めをしていましたが、やがて全員が髪をおろし尼になり、この地で最期まで留まった。
今も彼女らの墓石が11基残っています。村の名前も「尼寺(にんじ)」と言います。琴引き坂と言う名も残っています。
花山法皇はここに眠ります。
南向き正面からです。玉垣の中央には宝篋印塔が見られます。
正面は薬師堂です。西国薬師49ゕ寺の一つでもあります。
少し離れたところにある庫裡の前が見晴らし台になっています。遠く播磨灘に浮かぶ小豆島まで見えるのですが…。
当山の御詠歌は、前方に拡がる山々が朝霧に埋もれて、それぞれが島のように見える。山麓に拡がるのは波なのかと小野村にある松風に聞こう。
今はもう黄砂が強くて、日中でも遠望が利かなくなりました。
足元には、姿の良い有馬富士が見えています。その背後はるかに六甲山系が霞んでいます。
視線を真西に向けると、大きな人造池が見えます。三田市の山中にできた巨大なニュータウンの水甕になっています。
初めに出てきた仁王門です。格子の隙間でライトを浴びているようで面白い?
朱印帳です。花山法皇殿とあります。
今回は、兵庫県南東部の一部分を訪ねます。
地図の最も右下隅に、西国札所三十三観音巡りのうち、24番中山寺があります。
節分の豆まきの手伝いに宝塚歌劇団の女優さんがきたと言う寺です。
そして、地図の左上隅に、花山院と言う古刹、33札所の番外の寺です。
花山院の山門です。東光山菩提寺と言うのがほんとの名です。
山門を入るとすぐに、歓迎して山上までの登りの労をねぎらうように迎えてくれる仏様です。
境内に上がると本堂の正面に、巡礼満願を記念した扁額が懸っている。
特に左側の額は、西国・坂東・秩父の巡礼満願を記念して奉納されている。
境内には、郷土史家の解説の立札がある。
花山天皇が、この地に隠棲すると、都で仕えていた女官11人が後を慕って、山裾に住みつきました。
そこで琴を引いてお慰めをしていましたが、やがて全員が髪をおろし尼になり、この地で最期まで留まった。
今も彼女らの墓石が11基残っています。村の名前も「尼寺(にんじ)」と言います。琴引き坂と言う名も残っています。
花山法皇はここに眠ります。
南向き正面からです。玉垣の中央には宝篋印塔が見られます。
正面は薬師堂です。西国薬師49ゕ寺の一つでもあります。
少し離れたところにある庫裡の前が見晴らし台になっています。遠く播磨灘に浮かぶ小豆島まで見えるのですが…。
当山の御詠歌は、前方に拡がる山々が朝霧に埋もれて、それぞれが島のように見える。山麓に拡がるのは波なのかと小野村にある松風に聞こう。
今はもう黄砂が強くて、日中でも遠望が利かなくなりました。
足元には、姿の良い有馬富士が見えています。その背後はるかに六甲山系が霞んでいます。
視線を真西に向けると、大きな人造池が見えます。三田市の山中にできた巨大なニュータウンの水甕になっています。
初めに出てきた仁王門です。格子の隙間でライトを浴びているようで面白い?
朱印帳です。花山法皇殿とあります。
花山天皇というのは初めて知りました
仁王像は迫力がありますね
それを聞いた摂関家の人が、一緒に出家しましょうと、二人で山科の元慶寺にこっそりと出かけました。宮中では大騒ぎだったそうです。
山科で、落飾した途端に、共にいた藤原氏の公卿は、都に帰ってしまいました。
あっという間の退位でした。札所めぐりで、気に入っていたこの地で最期を迎えたそうです。
ここの見晴らし台からの朝霧の風景は、まさに瀬戸内海の風景の様に、島が浮かんでいる景色が見られましたね。