昆布が美味い

羅臼の昆布漁を見た時にスタートしたblogです。昆布のダシのように、人生の旅にも味付けをしたい。旅を中心に纏めています。

イースター島(モアイ08)

2006-05-26 | 海外旅行

 この15体のモアイのうち、遠いほうから2番目で茶色の髷を持っているモアイが、日本と縁があるモアイである。
 TVで黒柳徹子の番組で、チリ地震の被害を現地の人からの訴えを聞く番組があったそうです。そのときに、彼女がモアイが倒れたままでいることを知って、日本の土木機械持っていけば、倒れているモアイを起こす事が出来ると言ったそうです。
 これを見ていた日本のTADANO建設の一社員が、やってみようと奮起をしたといいます。
 彼はイースター島に重機を持ち込もうとしましたが、この島には、大きな船の着く港がありません。クレーンやユンボを分解したとしても空路では運ぶ事は出来ません。
 考えた挙句が、海の浅瀬に降ろして、エンジンの自力でガラ場の海岸を上げることでした。
 ところが、倒れているのを立てるだけでも、文化財としての調査が入りました。ユネスコも来ました。
 このときとばかりにあらゆる調査が綿密に行われた。そして霊力があるといわれる眼の発掘もできたと言います。

 数年経ってから、初めて祭壇の上にモアイを立てる仕事ができたと言います。予算は数億円かかったといいます。
 そして重機は島に置いて帰国しようとしたところ、他のモアイも立てて欲しいと頼まれました。
 かくて、トンガリキと名前のあるモアイ15体が並んだということでした。一体は1982年に日本で展示されました。


イースター島に残る文字です。横に読んでいきますが、次の行は、反対方向からバックして読み、更に次の行は反対方向に呼んでいくといいます。即ち、右から左へ読み、次の行は左から右へと読むといいます。
 象形文字のようでもありますが、これを読める人はいなくなりました。

 ヨーロッパの大航海時代に、いろんな国から西欧人がやって来ました。彼らはキリスト教を普及する事に熱心でした。その結果、島にあった鳥人信仰を否定しました。島の人たちは、鳥人信仰や既存の宗教を邪教だといって破壊していったといいます。
 18世紀に訪れた探検家は記録の中にモアイが立っていたと記録しています。

 悲劇は1859-1862年ペルーの奴隷商人がきて、自国の硝石の切り出しに連行していきました。
 人工が爆発して、島には食糧難のための戦いがあり、人口は2万人から2千人余りに減っていたときでした。
 約1000人の働き盛りの人を連行し、苛酷な労働に従事させました。これを見た宣教師の訴えで、奴隷を帰国させる事にしました。その数は100人でした。ところが生き残った彼らに病気が襲い、15人が島に帰ったといいます。その15人が結核や天然痘を島に持ち込みました。遂に島の人口は111人になったといいます。

 その時に亡くなった人たちの中に、この文字を読める人がいたといいます。従ってもうこの文字は永遠に読めなくなってしまいました。

 現在の人口は約3600人です。

 つらい話になってしまいました。夢もロマンも消し飛んだ気持です。また明日にします。

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