思いつくまま感じるまま。

身辺雑記です。
何でもありの記録
HN天道(てんとう)

恐怖感

2005年08月18日 | Weblog
年に1度くらいだが、訳の分からない恐怖感に襲われることがある。
何もいないはずの所に何かが居ると感じるとき、底知れない恐怖感に体を動かせなくなる。

何日か前の真夜中3時頃、何かに誘われるように目を覚ました。
寝室を出て真っ暗なリビングに向かおうとしたが、私の全感覚が何か居ると伝えている。

しかし、妻は寝室で私の隣で眠っていたし、それ以外の人がこの家の中にいるはずが無い。
じ~っと暗いリビングを見つめたが確かに何かが居る気配が感じられる。
しかし実際には何の物音もしないし何も見えない。

寒々とした恐怖感のために電気のスイッチを押すことが出来なかった。
多分私には絶対に姿を見せない謎のXが、また忍びこんでいるのだ。

それは私自身が作り出した幻想かもしれない。
しかし恐怖感だけは現実のものとして私を総毛立たせている。
感覚としてはそこに何かが居るのだ。
結局恐怖心のあまりリビングに足を踏み入れることが出来なくて、寝室に静かに後ずさりして朝を待った。

女房にはこの経験は話していない。
何かを暗示しているように思えるが。
笑い飛ばされるだけだろうし。



イスラエル

2005年08月18日 | Weblog
イスラエル
といえばモーゼの昔から祖国を求めて彷徨う民、第2次大戦のアウシュビッツの惨劇、祖国の建設、世界に誇る軍隊と諜報機関モサド、パレスチナとの暴力の応酬、そして今ガザ地区からの入植者の撤退。
さらに巨大資本の影に見え隠れするユダヤ資本、などが思い浮かぶ。

何千年も祖国を持たなかった民族が、民族の誇りを失わずに連綿と続いていることに感動を覚える。他の民族に同化されて歴史から消えてしまうということは無かった。
ユダヤ教の強固な団結意識があったのだろうか。
建国後も国民の鉄の団結で国を守ってきたはずだ。
今、パレスチナとの和解の条件として新たに占拠した入植地からの撤退を政府主導で決行している。
撤去を拒否する入植者、彼らも政府の指示で入植したのに、今度は力ずくで退去させられる。
イスラエルの軍隊は初めて自国民に銃口を向けようとしている。

イスラエル国家建設を題材にした映画を昔見て感動した記憶がある。
ただの宣伝映画だったとは思えないが。
そのときの理想からかけ離れた方向に向かおうとしているような気がする。

先住民であるパレスチナ人の気持ちも理解すべきだと思うが、単なる私の無知からの思いであろうか。
今回は和解のためにイスラエル政府は自国民との軋轢を生んでいる訳だ。

政界再編

2005年08月18日 | Weblog
今回の総選挙は予想がつかない。
どう転んでも世の中が大きく変わるようには思えないが興味はある。

そもそも郵政民営化法案なるものの意味が良く分からない。
民営化による効率化とか、大きな資金の流れを変えるとか、今のままでは何れ運営が難しくなり多額の税金を投入することになるとか、分かったような良く分からん議論が重ねられてきたが、今なお良く分からない。
反対グループは、過疎地の特定郵便局も廃止されてしまうとか。

国論を2分して総選挙で決着をつけるというほどの課題なのだろうか。
小泉舞台監督にみんな踊らされているんじゃないのか。

どうも胡散臭い。
賛成反対の両派とも、本当の利権の争点を覆い隠して表面的なところだけ国民の前で演じているような気がしてならない。
あるいはアメリカの巨大資本が、巨大な郵政資金をターゲットにして何かたくらみを巡らしているとか。

この時期、郵政法案に賛否を問われて理論的に自分の意見を述べることが出来る人が何人いるだろうか。
そして小泉さんは郵政選挙と言ってるが、感情的に何となく好感の持てる方に投票するという訳の分からん選挙になりそうだ。

放たれた賛成派の刺客が活躍して自民党が勝ったとしても、参議院の議員はそのままだから今のままならまた否決されるのが筋だが、それはどうなるんだろう。

実に不思議不思議な総選挙といわざるを得ない。
しかし新党が急造されたりして、ある程度の政界再編が促進されるかもしれない。
その点が少し楽しみだ。



更年期

2005年08月18日 | Weblog
48歳の抵抗、なんて言葉が昔あった。
更年期というのは47歳前後の女性の数年間の期間を言うみたいだ。
閉経期を境に老年に向かう時期で、女性ホルモン・卵巣ホルモンのバランスが崩れていろんな障害が発生するとか書いてある。
最近、男性にも更年期があって種々の障害を引き起こしていることが分かってきたみたいだ。

我が家の場合は、振り返ってみても女房はそんな感じの障害時期はなかったというし、私自身もそんな意識を持ったことは無かった。
人によって障害の発生の仕方が様々なのだと思う。

50歳を過ぎた女性でも
「もうあがったやろが」
「何言うてんねん、まだあるよ」
と自慢したりしている。自慢することでもなかろうと思うが、まだ若いと言いたいのかも知れない。

一種の病気みたいなもので、本人にはどうしようもない事態なのかも知れないが、それでも本人の気の持ち方生き方にある程度は影響されるように思う。
「恋は更年期障害の特効薬」とテレビドラマの予告編で言っていた。
やはり精神的な生き方に影響があるということだろう。

この年代の女性には、「女性ホルモンなんか私が支配する!」というくらいの気概が必要なのかもしれない。
この歳になって思うのは、女性の40代から60代は、一番女性の真価を発揮できる年代かなということだ。
社会的役割に生きる、自分のために生きる年代、それに恋に生きる年代。
その年代こそ、おんな真っ盛りという気がする。


四季の移ろい

2005年08月18日 | Weblog
遅い朝に近所の公園を散歩した。
日差しの中、お年寄りの男女が嬉々としてゲートボールに興じている。
老人の遊びを象徴しているみたいで、やってみたいとは思わない。
相変わらず暑い日が続いて、少し歩くだけで汗ばむ。
昨日は何故か水分を摂りすぎたみたいだ。
体の血液濃度が少し薄くなっているかもしれない。だとしたら体にどんな影響が出るんだったかな。新聞で読んだような気がするが詳しいことは忘れた。

夏バテが出やすい時期とも書いてあった。
厳しいこの夏を奮闘した人は一休みしないと体調を崩す。
私の場合は、冷房に漬かりきりだったので、体調がよろしくない。

木々の下に立ったとき一瞬涼風が吹きすぎる。
あ、と思う。
やはり夏は過ぎ去ることを感じさせる前兆の風だ。
蝉の死骸が2,3個木の下に転がっている。
そういえば蝉時雨も心なしか勢いが無くなった。
蝉は10日前後を盛夏の日差しで生きるために、10年前後を暗い土中で生きるという。
何とはなしに蝉の生涯に思いを馳せる。
何故一生の最後のひと時を明るい日差しの中で暑い単純なメロディーを必死で奏でるんだろう。遺伝子に深い理由が刻み込まれているに違いない。

いろんな種類の花もあちこちで枯れ始めている。
咲き始めの美しさに比べて、朽ちていく花は見向きもされない様子である。
茶色に朽ちて実を結ぼうとしている。
自分の命を繋ぐための準備に入っている訳だ。

自分自身も季節の移ろいに歳を重ねていく実感がある。
年々季節の移ろいが早く感じられる。
もうすぐ冬が来てしまう。
もっともっとゆっくりと過ぎてくれ、と思ったりする。
長く生きて何をするでもないのだが。

公園を一回りして、道路に出る。
自転車を軽々とこいで走り抜ける若い女性が目に飛び込んでくる。
若い生命とエネルギーの象徴のように思えた。