思いつくまま感じるまま。

身辺雑記です。
何でもありの記録
HN天道(てんとう)

今日からスタート

2005年08月15日 | Weblog
大阪城ホールで年末に行われる「1万人の第9」の練習が今日から始まる。
私達は西梅田の某ホールで3時から。
ほぼ毎週月曜日が練習日になる。

世の中、お盆休みの真っ只中なのに、主催者は何でこの日を練習初日に設定したのか良く分からない。
私達は夫婦二人、毎日が日曜日でお盆の行事もこれといって無いが、たいていの人は何かと行事が立込んでいると思うのだが。
あの会場も500人位は集まるはずだ。
女房は別の用事があるらしく、早めに出て行った。

練習が終了した後、夕食をとり映画「亡国のイージス」を見ることになった。

あちこち歩き回るのは疲れる。
地方都市に長年暮らしていたので車ばかりの生活で、歩き回るのは苦手だ。
駅の階段、雑踏の中、歩道と信号、人いきれ、照りつける太陽、アスファルトの熱気、時間に合わせて急いだり、あんまり好きじゃない。
女房は亭主の足腰を鍛えなおそうと思っているのかも知れない。

そういえば昔先輩が言ってた。
歩くのは絶対体にいい。妻とハイキングした後のセックスは大変よろしい、とセックスとの関係を力説していた。
そんなもんかね。

駅前のスナック

2005年08月15日 | Weblog
駅前の商店街の古いビルの5階に母娘で経営する小さなスナックがあった。
私はそこの母ママとは同年代で、話が通じやすいせいか時々仕事の帰りに立ち寄っていた。
その日は静かに雨の降る日で、仕事が遅くなって夜10時過ぎに店の扉を押した。
薄暗い照明の中でママが顔をあげた。
その日は客が少なかったみたいで、ママはカウンターに腰掛けてまた好きな歴史小説に読みふけっていたみたいだったが、心なしか青ざめて見えた。

もう10年来のお付き合いだが、その晩はいつも陽気なのに物静かで悲しげに見えた。何かあった様子だがあえて尋ねることはしなかった。
数年前に死んだ遊び人の亭主のことでも思い出していたのかもしれない。
亭主の悪口は2人だけになったときに時々聞かされたが、悪口とは裏腹に言葉の端々に亭主に惚れていたことが垣間見られて嫌な感じは持たなかった。
私は、結局はのろけ話だなあと思って聞いていた。

彼女はこわもて美人、浮いた話はなかった。2人の娘を嫁がせ家まで建ててあげた。水商売もしっかり経営すれば然るべき財は残せる。店が終わってからもよく一緒したことがあったが、酔っても姿勢を崩すことはなかった。

12時前に彼女が、
「今夜は私の話に付き合ってくれる?、いい?、じゃ看板は消すわ」といって彼女は腰を据えて飲みたい雰囲気だ。
いつも世話になってるし仕様がないかとあきらめて付き合うことにした。
話は延々と続いた。
人生話、悔しかった話、腹が立った話、2人の娘の話、またまた亭主への恨み言、3時間に及んだ。
最後に、「踊ってくれる?」と言った。ママが良く踊っているのは見たが、私は踊ったりしたことはなかった。いつも熱を発散しているような彼女だが、冷房のせいか彼女の体は冷え切っていた。
最後にぎゅっと抱きしめてしまったが、その時に彼女は
「もう会えないかも知れない」
「何で?店やめるんかい」
「そのうち分かる」

そんなんで3時過ぎに、また女房から散々嫌味が飛んでくるなあと考えながら家路に着いた。
その後1週間ほど店は閉まっていた。
とうとうつぶれちまったか、と思っていたらまた開けていた。
この前の訳の分からんママの最後のセリフを確かめようと入ったら、娘さんが1人いた。
1週間前のことを話したら娘さんは「そんなはずはない」という。

あの雨の日の昼過ぎに母ママは自宅で転倒し救急車で運ばれたが、そのまま亡くなってしまったらしい。
従ってあの日の夜は、店は開けてなかったという。















これは創作で真実ではありません。