日経新聞の記者から、日本学術振興会理事長の安西祐一郎先生と、コマツ会長で経済同友会副代表幹事の野路國夫さんの対談記事(たぶん日本の科学技術に関する内容と思われます)が近々掲載されるとのことで、それに僕のブログの論文数のデータを載せてもいいか、という問い合わせがあったので、OKと返事しました。ただ、せっかく載せていただけるのなら、最新のデータのほうがよいと思ったので、僕が分析している学術論文データベースであるトムソン・ロイターInCites™を確認してみると、2014年のデータが掲載されていたので、新しいデータを日経新聞にに送りました。
実は野路さんとは、この4月25日に三重県でご講演をお聞きしたばかりです。「待ち兼ね会」という阪大に関係した方々の会が三重県で発足したのですが、僕の阪大の先輩で、この3月まで三重大学長をお勤めになった内田先生(医学部卒)と野路さん(基礎工学部卒)は、阪大の同級生で、ワンダーフォーゲル部でごいっしょだったとのことです。そんなご縁で、「待ち兼ね会」で野路さんのお話をお聞きし、ご挨拶をさせていただきました。野路さんは盛りだくさんのお話をされましたが、その中で、コマツが先端的なイノベーションを開発する上で、日本の企業はものつくりについては優れているが、画像処理については海外企業に頼らざるをえず、数学者の育成の面で国際競争に負けてしまっているというような趣旨のお話をされたと思います。僕の分析したデータでも、日本のコンピュータ・サイエンスの論文数は、人口が日本の5分の1しかいない台湾に、絶対数で負けているくらいですからね。
日経新聞にはG7諸国と日本との論文数の推移のデータが掲載されるようですが、日本の国際ランキングがどうなっているかも気になったので、確認してみました。
まず、論文の絶対数についてです。3年移動平均で表示しているので、2013年の論文数は2012-1014年の3年間の平均の論文数になります。幸いにも昨年と同様に世界5位で順位は変わっていませんでした。ただし、人口が半分のフランスに接近されており、このままのペースが変わらないと仮定すると3年後にフランスに追い抜かれて6位になります。
次に人口当り論文数では、3年移動平均値の2012年値から2013年値にかけて、日本が新たに追い抜かれた国は、ルクセンブルグ、ポーランド、スロバキアの3か国でした。国立大学協会に報告したデータでは、2013年時点で単年度人口あたり論文数世界31位と記載しましたが、この時点ですでにクロアチアとセルビアには追い抜かれており、3年移動平均値では世界33位、単年度では世界35位の間違いです。(報告書を提出したばかりで、間違いにきづき、まことに申し訳ありません。間に合えば国大協報告書の修正を試みます。)
今回は、国ではありませんが香港を加えますと、国際順位としては37位、香港を除けば36位となります。(万が一、さらに見逃している国があれば、日本はこの順位以下となります。)
下の棒グラフは、3年移動平均値ではなく、単年度の人口当り論文数を示したものですが、2014年の国際順位は2013年3年移動平均値と同様に37位でした(香港を含む)。
あとは、日経新聞に掲載されるかもしれない、G7諸国との比較です。G7諸国との論文数もそれまでの傾向と同様に広がり、国際競争力は継続して低下しています。
国立大学協会への報告書の総括で、このままの政策が継続されれば、さらに国際競争力が低下する旨を書いたのですが、少なくともこの1年間については、予測が当たったことになりますね。あと何年間予測が当たることになるんでしょうかね?当たらないことを切に希望します。
なお、文部科学省内のコンピュータからは、一部を除いて、セキュリティーのために外部のブログにアクセスできないようであり、僕が今までブログに掲載した情報も政策決定者に届いていない可能性があります。ブログ等で情報が届かないとなると、何らかの別の媒体を考えなくてはいけませんね。
アメリカはマネージメントを行う専門のスタッフがいて、運営を効率的に行っているように思います。教員はマネージメントに関しては素人です。にもかかわらず、日本はそれを教員が学内の実務経験を通して学ぶのが慣習になっているため、キャリアが重視されて採用の年齢制限が出てきます。運営を専門に行うスタッフのポジションを作るべきではないかと思います。
1990年台のいつでしょうか、それまでならば大学教員になれず去って行くべき運命のオーバードクターたちに大量のパーマネント職が与えられました。大学院重点化です。その後、そのものたちはお手盛りで教授の職階に登って行きました。いまでは、給料の低い職階にいるものは極わずかです。
その後、そのものたちにとっては、悲惨な時代になります。研究論文を書く能力はもともとなかったのですが、日本語での作文能力すらなかったため、改組のたびに作文がかけず、官僚にいじめられます。また、いけてない自分をなんとかとりつくろうとするため、評価疲れが起こりました。うそはどろぼうの始まり。自分たちがどろぼうだと認めるのは辛いことです。一時はポスドク1万人計画と歌われましたが、能力のないものがポストをしめているので、優秀な人材はほぼ例外なく産業に流れました。
このような中で、論文がどのようなレベルであっても書けないのは、論文のねたを作る時間も、書く時間も、そして、残念ながら能力もないものが大学や研究機関の半分以上のポストを占めているからです。半分占めれば、そのものたちが価値を決定していると言えましょう。
現在、グローバル化というかけ声で改革をすすめるように言われていますが、そもそも無理筋です。現在の人員の半分以上が外国から見て、あんただれ?という状況で、どうグローバル化をはかれるというのでしょう。資本のすくない大学からつぎつぎにつぶれて行くのを見守りましょう。時間の問題です。最後に国民の質にふさわしい大学が残るでしょう。そこまで行かなきゃ、上昇に転じることはないようにおもいます。
ようになり、従来の7月20日後から7月末ぐらいまでに
開かれていた海外での会議・コンファレンスに発表に
出向くことが事実上無理になりました。
研究費を特定分野に集中して配分するという方針で
校費研究費が20万円程度になり、必然的に研究活動
に対して自腹を切る割合が多くなりました。特定分野に
集中させたら、全体としての論文の数が減るのは当然
のことでしょう。
<粗悪学術誌>投稿の准教授「査読素通り」 背景に教授圧力