未曾有の東日本大震災の発生から3週間が過ぎました。その爪痕はあまりにも大きく、多くの海辺の町が壊滅し、現在でも行方不明者の捜索が続けられています。仮設住宅の建設も一部で始まっているものの、まだまだ、多くの被災者が避難所で不自由な生活をされています。加えて、福島原発事故の対応が一進一退で予断を許さない状況が続いており、避難を強いられている住民の皆さんや生産物の出荷が停止されている農家の皆さんも大変な思いをされています。
緊急支援のフェーズから息の長い支援のフェーズへ移ろうとしていますが、政府等によるトップダウンの支援とともに、全国の皆さんがボランティア的な支援(義援金を含めて)を続けていることはほんとうに素晴らしいことと思っています。
今までの私のブログで大学等の震災支援活動を紹介させていただきましたが、それはほんの一部であり、実際に行われた支援活動はもっとたくさんあります。前回のブログでは長崎大学が練習船「長崎丸」で被災地へ物資を運んだことをご紹介しましたが、実は鹿児島大学も練習船「かごしま丸」で、九州地区の国立大学から集めた支援物資を被災地に運ぶべく、3月23日に出航しています。
医療支援についても、初動のDMAT(災害派遣医療チーム)の派遣に引き続いて、非被災地の大学病院や基幹病院あるいは地域の医療機関からも、医療支援チームが今でも交代で順次送り続けられています。これらの支援は、国が統制をして制度として派遣したというよりも、専門の職能集団が現場の判断で、現場どおしが連絡を取り合って、現場の努力で現地に到達をして支援を実現したと考えられます。これだけ広域にわたって、しかも混乱の極みに達している被災地の緊急医療支援を、政府が一元的に管理して調整をすることはとても不可能であったと思います。
また、特に被災地に立地する大学病院への緊急の医薬品の供給や医師の派遣などについても、国立、公立、私立の区別なく、現場の大学病院どおしが連絡を取り合って、ガソリン不足等で物資を届けるのさえ困難な状況の中で現場のさまざまな努力で相互支援を実現したこともすばらしいと思っています。被災地の住民への直接支援だけがボランティア活動なのではなく、後方支援も立派なボランティア活動ですからね。被災地の大学病院はまさに地域医療・災害医療の”最後の砦”なので、支援が遅れて機能不全になっていたら、被災地の医療はいっそう惨憺たるものになっていたと思います。
今回の大震災では、いわゆる一般のボランティア活動については、受け入れ体制が確立していない等の理由でかなり制限されてきましたが、大学病院をはじめ、医療の専門職能集団については、当初から現場の判断と努力ですばらしいボランティア的活動が行われてきたのですね。
危機時におけるトップのリーダーシップが重要であることは言うまでもありませんが、私は、この日本の”現場力”こそ、日本を支える底力なのではないかと感じました。