肯定的映画評論室・新館

一刀両断!コラムで映画を三枚おろし。

『大統領の陰謀』、観ました。

2007-07-15 20:32:27 | 映画(た行)





監督:アラン・J・パクラ
出演:ダスティン・ホフマン, ロバート・レッドフォード

 『大統領の陰謀』、観ました。
1972年6月17日、ワシントンのウォーターゲート・ビルにある民主党全国委員会本部に
5人の男たちが侵入し逮捕された。男たちは盗聴器を仕掛けるために入り込んだが、
共和党の狂信者による単独犯として片付けられる。「ワシントン・ポスト」の若い記者
バーンスタインとウッドワードは、事件の背後に何者かの陰謀を感じ取り、追跡調査を
始める‥‥。
 今まで観ていなかったのが不思議なくらい…。新旧問わず“社会派サスペンス”は
数多く観ているが、これほどまでの“息苦しさ”を感じたのは、過去にも数本程度…。
新聞社の、ごった返したオフィスの中を縫うように移動するカメラワークの“臨場感”、
また、細部にまで拘(こだわ)ったリアリズムの演出が映像に“緊張感”をもたらし、
綿密に練り込まれた脚本が主人公たちの“焦燥感”をあぶり出す。これが“実話
(ウォーターゲート事件)”に基づいたノンフィクションであることを割り引いても、
この映画の“説得力”は相当なもの。その名称だけで、“ウォーターゲート事件”の
実体など、ほとんど知らなかったオイラとしては、これほどの大事件が70年代アメリカで
実際に起きたことに大きな衝撃を受けると共に、“(超大国である)アメリカだからこそ
起こり得た事件”ではないのかなと思ってしまった。
 さて、映画は、若い新聞記者の2人が《国家権力》という名の“見えない敵”に
挑んでいく。その“主人公たちの設定”といい、その“得体の知れないものへの対決
構図”といい、先日劇場公開されたデビッド・フィンチャー監督作『ゾディアック』
連想させる。この2作品に共通するのは、単なる“犯人探し”や“謎解き”だけに映画の
主観を求めずに、幾多の困難に行く手を遮(さえぎ)られながらも、模索し、新たな
活路を切り開いていく“主人公たちの視点”で事件を追っていく点だ。また、彼らの
捜査の基本は、自分のアタマで考え、自ら足を運んで関係者の話を聞く。一見、何の
関連性も無さそうな小さな手がかりさえ虱(しらみ)潰しに当たっていき、行き詰ったら、
また最初からやり直す。そして、一方で“事件の黒幕”は、テレビのブラウン管越しに
映し出される“虚像の姿”や、電話の受話器の向こう側で“怒鳴る声”として…、
その姿が一切表に現れることはない。ならば、アラン・J・パクラ監督の、その“狙い”は
何処に…??、思うに、この映画では“マスメディアのあり方”を問うと同時に、もう一つ、
重大な事を言わんとしているのではないか。例えば、《何気ない日常に潜む恐怖》‥‥、
それは我々の見えないところで何者かが陰謀を企て、人知れず犯罪の計画を実行する。
そして、そのとき、我々に求められるのは、“頼るべきリーダーを探す”のではなく、
何が正しくて何が間違っているのか、我々の一人一人が“正確な判断力”を付けること
ではないだろうか。



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