監督:デビッド・フィンチャー、
出演:ジェイク・ギレンホール、マーク・ラファロ、ロバート・ダウニー・Jr.
『ゾディアック(ZODIAC)』、映画館で観ました。
1969年、ドライブ中のカップルが襲撃され、女性は死亡、男性も重症を負う事件が
起こった。その1ヵ月後、新聞社に事件の犯人と思しき人物――後に“ゾディアック”と
名乗る男から犯行を告白する手紙と暗号文が届けられる。暗号は新聞に掲載され、
新聞記者のエイブリーや風刺漫画家のグレイスミスは“ゾディアック”の謎解きに
並々ならぬ関心を見せていく…。
この映画を観ながら、ボクは韓国映画『殺人の追憶』を思い出した。捜査の網を
掻い潜りながら残忍な犯行を重ね、警察を嘲(あざ)笑うように挑戦的な暗号を
送り付ける“謎の殺人犯”ゾディアック。一方、小さな手がかりを手繰(たぐ)り寄せ、
やっと追い詰めたかと思ったら、ぶち当たる捜査の壁。その度ごとに、捜査は
振り出しに戻され、犯人を追う主人公たちの“焦り”と、息苦しいほどの“緊迫感”が
映画全体を支配する。まるで、事件の“袋小路”にでも迷い込み、出口を見つけ
出せないまま、引き返し、また来た場所に舞い戻る八方塞(ふさがり)の様相。
そのもどかしさの中で、映画の2時間37分が“瞬く間”に過ぎていき‥‥、いや、
その比喩はまったく正確ではない。映画は“ほんの一瞬”のようでもあり、“10年もの
長き年月”をずっと観続けていたようにも感じられる。そう…、まさにそうなんだ。
この映画は、その残虐事件の背景にあって、気の遠くなる“膨大な時間の経過”を
感じさせる‥‥。つまり、ここで主人公たちが立ち向かうべきは、“犯人ゾディアックの
影”だけとは限らない。主人公たちの人生に、容赦なく圧し掛かってくる“時間の
重さ”なんだ。
では、“彼らの、その戦い”について、もう少し詳しく書くとしよう。この物語で
メインとなるキャラクターは3人、、新聞社の勤めるイラストレーターと、同じ職場で
机を並べるコラミスト、それから、捜査の担当主任となるトースキー刑事だ。
彼らは同じように、この事件にのめり込み、ゾディアックの狂気に憑り付かれる。
しかし、時間の経過と事件の風化と共に、ある者は“家族”を失い、ある者は“酒と
薬”に溺れ、又ある者はパートナーに去られた後、誰の“協力”も得られないまま、
単独での捜査を強いられていく。そこには三者三様、それぞれの人生のコントラストが
“暗い影”を落として横たわる。無常にも時間だけが目の前を通り過ぎ、周囲から
取り残される自分を感じながら…、彼らはそのとき試されるのだ、揺るぎなき信念と
自らの執念を。では、結局、彼らにとって《ゾディアック》とは何だったのか??、
現在(いま)を生きようとする彼らを、無理矢理に“過去の時間”へと引きずり戻す
“姿なき怪物”。決してその正体を現さず、近づけても直接手に触れて確かめることは
出来ない…、“目に見えない亡霊”だったのかもしれない。
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楽しみにしてるんで更新頑張って下さいね!
僕のブログではターバン野口の折り方を紹介しています。
暇があったら是非どうぞ。
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