肯定的映画評論室・新館

一刀両断!コラムで映画を三枚おろし。

『道』、観ました。

2011-12-11 10:16:38 | 映画(ま行)

監督:フェデリコ・フェリーニ
出演:ジュリエッタ・マシーナ, アンソニー・クイン, リチャード・ベースハート, アルド・シルヴァーナ
※1954年ヴェネチア国際映画祭サン・マルコ銀獅子賞
※第29回(1956年)アカデミー賞外国語映画賞
※第31回(1957年)キネマ旬報外国映画ベストテン第1位

 『道』、観ました。
粗野で乱暴な大道芸人ザンパノは、頭の弱い女ジェルソミーナをはした金で
買い取り、女房代わりにして村から町をめぐり歩く。女が心を寄せた綱渡りの
男は「お前だって役に立つ」と呼び込みラッパの吹き方を教えてやる‥‥。
 十代の頃、この『道』を、“初めて”観た。正直、観終わって名画という
実感はなく、白痴のヒロインの末路に同情を寄せつつも、主人公ザンパノの
生き方に“嫌悪感”を感じたのを覚えてる。そして月日が流れ、その間、
何故かひかれるようにこの映画を幾度か観た。その回を重ねる毎に…、自分が
少しずつ歳を重ねる毎に…、ヒロインのジェルソミーナをたまらなく愛しく感じ始め、
ザンパノを“身近な存在”に感じ始めた。そう、いつしかオイラはザンパノと
同じくらいの歳になり、映画の中の彼のように、相手の顔色を伺いながら
打算をする“ズルい大人”になっていた。欲の為には平気で嘘をつき、誤魔化し
逃げるすべを身につけた。思えば、その度に自分が自分であり続ける為の
大切な何かを切り売りしてたような気がする。一方で、映画のジェルソミーナは
白痴であったゆえに(打算を考えず)“純粋”であり続けることが出来た。
この身が汚れれば汚れるほど、その“ジェルソミーナの美しさ”が見えてくる。
底知れぬ魅力が分かってくる。今にして思えば、十代の頃、この『道』に
対して感じた不快感や、主人公ザンパノに対する嫌悪感は、そういう“ズルい
大人”にはなりたくないという、青年期の拒否反応だったかもしれないな。
今回の鑑賞で、オイラにはジェルソミーナが、この地上の、荒んだ人間
社会におりてきた“ひとりのか弱き天使”のように見えた。 
 また、映画では才能ある綱渡り芸人が登場し、事あるごとにザンパノを
からかい、そして怒らせる。両者の関係は、この映画を語る上で重要な
意味を持っている。ザンパノは、表面的には怪力でえばり散らしてはいるが、
内面は気の小さい女々しい男だ。片や、綱渡り芸人はすすんで“道化”を
演じてはいるが、何か人にいえない“人生の孤独”を抱えている。つまり、
ザンパノは他人によく見られたいと“虚勢”を張り、綱渡り芸人は絶えず
自虐的に自分を“卑下”している。この際、どちらが正しいとかどちらが
好きかという議論は置いといて、そんな風に人間は、得てして自分の正体を
隠すため、それとは“逆の仮面”をつけている。そういう生き物なのだ。
 本作だけに限らず、フェリーニ作品には頻繁に“サーカス”が使われる。
一般にサーカスは、華やかで楽しいイメージだが、フェリーニの場合は少し
趣きが違ってみえる。彼の場合は、サーカスの持つ華やかさというよりも、
その後に必ずくる“夢(のような時間)の終わり”に精力を傾けて描いてくる。
ならば、この映画全体を“サーカス”と考えると、浜辺のラストシーンは
“夢の終わり”だ。黒くうねる波を前に、夜の浜に崩れ落ちるザンパノは、
まさに“今の彼の、現実”だ。眩しく輝ける愛の日々はあまりに脆く、自分の
手中にある時は“その輝き”に気づかない。失ってみて初めてその大切さを
思い知り、自分の愚かさと罪の大きさを嘆くのだ。

 


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