僕たちの天使

私の愛する天使たち、ネコ、山P、佐藤健君、60~80年代の音楽、バイクなどを徒然に語っていきます。

(6/26)今の思い

2013年06月26日 17時40分06秒 | 私の鳩
自分の気持ちに区切りがついただろうか。
いえいえ、まだまだ。

放鳥をいつにするか、とずっと考えてきた。
これから暑くなる日々
サンルームは特に
上部に熱が篭って、どんよりした日でさえも気温が高いと
暑くなる。
上のほうにいるのが習性の鳩にとって
風通しの悪い屋根付きのサンルームはつらいだろう、と思っていた。
私は早朝に出勤する。
日中は三方を網戸にして風を通すようにしてはいるが心配だった。
用意した水桶と砂桶。
午後に帰宅すると
砂桶の砂の上に座っていることもあった。

いつか別れが来て
どこかで偶然再会したときに
すぐに私だとわかるように

私は
餌をやる前に鈴を鳴らすことにしておいた。
うるさいくらいに、良い鈴の音だった。
その音に慣れて
鳴らすと
上にいたPちゃんはすぐに下に降りてくる。
餌の時間だとわかってくれた。
この音を聴けば
外で偶然に出遭って、「あ、あの鈴の音だ!」と
わかってくれるような気がした。
夕暮れになると
活動は休止され、上に上って休んでいる。
夜、仕事で遅くなって
餌をやる時間が遅れて
「Pちゃん!遅くなってごめんね!」と鈴を鳴らしてサンルームに入ると
夜でも、下りてくれる。
餌を待っていたんだね。
朝は4時半ごろに餌をやる。
そのあと、椅子の背もたれに乗って寛いで、羽根を掃除している。
私が留守の間
バサバサと飛んでいることの報告を義母から受ける。
毎日のように
私は
追い立てるようにして
Pちゃんの飛行訓練をした。
羽根の強さ、胸の筋力アップのために、狭い部屋での訓練。
早朝は
雀やひよどりがピーピー鳴いて自在に飛んでいるのを見ていると
やはり
羽根を持った鳥には
大空を自由に飛ぶことが生きることなんだなあ、と
自分に言い聞かせていた。
それが一番Pちゃんのためにいいことなんだ。

放鳥は私の休みの日との兼ね合いもあった。
大きくなったから
早く放したほうがいい、と義母に言われた先月末。
初めは
6月1日にしようと思っていた。
しかし
同僚からは
まだ早い、と言われた。
そして17日、私の休みに放すことに決めた。

どこで放すか。
夫は
公園で放すのがよい、と言った。
私は半分その気持ちもあったが
どうも抵抗があった。
大体ペアでいる鳩たち。
Pちゃんは一羽。
仲間はずれになるのではないか、と。
公園で、執拗に仲間に追われている鳩たちを幾度か見た。
それになってしまったら、と思っていた。

もう一つはこのサンルームからの放鳥。
同僚の
「鳩は戻ってくるよ。」の言葉を半ば信じていた。
つらい時は戻って来い、という気持ちが強かった。
餌のないときは戻って来い、と思っていた。
しかし
産まれた場所ではない。
産まれた場所は
あの、今では鳩避けにネットが張られた所。
私は
あの場所には帰ってもらいたくなかった。
もちろん
いつでも職場で眺められる、という場所でもあるが
もし
Pちゃんが伴侶を見つけてそこで卵を産めば
またも
私の心配がループする。
そこは鳩が巣作りしてはいけない人間の場所、娯楽の場なんだ。
そこで子育てはしてもらいたくない。
Pちゃんが幼鳥のころに
大きな音に驚いて巣から落ちた場所。
飛べなければ二度と戻れない高い場所。
人間が何百人、何千人と行き交う場所。
Pちゃん自身がそれを知っているだろうに。
だから
君の戻る場所はこのサンルーム。
そう、漠然と決めていた。
もちろん、それは私の決めたこと。
Pちゃんはそんなことは考えてもいないだろう。

17日
自分の決断が鈍らないうちに
朝の9時近く
網戸を開ける。

私は追い立てるようにした。
するとPちゃんは
あっと言う間に
そこを出て
北の方に飛んでいった。
まったく旋回もせず、どこかに止まることもなく。
私は姿を追いかけたが
大空は広すぎる。
瞬く間に姿を消してしまった。
ここでも
半信半疑だった。
戻ってくることと
二度と戻ってこないことと
自分自身がグルグルとその思いに捕らわれていた。
そして
今もその気持ちです。
半分ずつ。
だからまだ答を見出せていない。
半ば
戻ってくることを信じて
毎朝4時ごろには
網戸を全開する。
そして鈴の音を鳴らす。
職場に行くときも
それを持って鈴を鳴らしながら自転車に乗っている。
しかし
Pちゃんが向かった方向は北の方。
私が向かう方向は南の方。

この鈴は
派手な黄色のポーチにつけている。
黄色のポーチは餌入れ。
Pちゃん(鳩全般)に
色の識別ができるかわからないけれど
視覚と聴覚で
餌、私、の認識をさせていた。
そうそう
黄色いハンカチ、というわけではないけれど
サンルームの内と外に
黄色のタオルもずっと下げている。
マンションやビルの谷間にある我が家。
見つけづらいかもしれないから
黄色で目印、なんてね。
屋根を黄色にしなくちゃわからないのにね。
そのポーチには
餌と
Pちゃんの残した羽根2枚が入っている。
鈴の音と羽根と餌と黄色。
これが私とPちゃんを繋ぐ唯一の絆、形見。

1日置いて
休みが変則的に2日続く(週に3日休みが集中した)。
その2日間。
北の公園、南の公園3箇所に寄った。
鈴の音を鳴らして。
特に街の中の公園は
鳩のパラダイス。
餌をやる人と共存していた。
リラックスして羽根を広げて休んでいた無防備な鳩もいた。
それらを観ると
Pちゃんもこのようにしているのかもしれない、と少し安心した。
しかし気休め。
どの鳩も大きい。
Pちゃんより大きい。
一羽だけで見ると
十分大きく感じたけれど
太り具合がちがう。
やはりまだ早かったのかな、と自分を責めることもある。

今日も帰らない、今日も帰らない、と毎日思っている。
夢まで見る始末。
心の表れで、追いかけて、逃げていくPちゃん。
重症だ、トモロッシ、と自分に言う。

23日の日曜日
仕事は多忙。
そんなときに
チーフが
「あれ、Pちゃんでないの?」と職場の窓越しに見える
例の場所に
一羽の鳩。
Pちゃんにそっくりだが・・・
私は「2分間だけ、お願い。」と言って
黄色ポーチを持って、外へ。
鈴を鳴らして
「Pちゃん!」と呼んでみる。
Pちゃんではない、親だ、と思いつつね。
やはり反応がない。
そのあとにもう一羽がやってきたので
あれはPちゃんの親だ。夫婦だ。
残念なのと、ホッとする気持ち。
(あの場所に帰ってもらいたくない気持ちのほうが強いので)

とにかく
無事でいることを知りたいのだ。
鳩の習性については全く無知だ。
姿を見せれば
また、次を期待してしまう。
するとまた姿を見せないことに心配する。
それがわかっている。
が、半面
あのときサンルームで放してよかったのか、という疑問にも
答がほしい。
あれでよかったんだよ、無事だよ、伴侶を見つけているよ、
など明確なものが欲しい、というのもある。

いやいやそこまで知らなくていいんじゃないの、
放鳥までが
私の義務。
あとは野生の宿命に任せましょう、と思ったこともあるんじゃないの、と
どこからか聞こえる声。
そのくらいドライにしなければ気持ちが持たないでしょ、と。

幾つか
自分のその後の気持ちをシミュレーションしていたのですが
現実には
オロオロしている自分です。
まだ、答は出ていない、と。






最新の画像もっと見る

2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
お久しぶりです (JMC)
2013-06-26 21:53:59
鳩。あとは本当に野生の宿命にまかせるしかない。
子離れと同じかな。

うちの実家のビーグル、ハナコもサヨナラの時が近づいてるようです。15年生きてるからね。

シャツ活躍してます。さんきゅーでした
着てる写真撮ったんだけど、スマホに機種変したらデータ移動できなくて(>_<)
また折を見て
返信する
Unknown (ジャスさんへ)
2013-06-28 04:14:37
ジャスさん、お久しぶりです。
あなたと会った日に、
鳩が偶然飛来しましたね。
あの鳩がPちゃんの親、そして、餌をもらう幼鳥が
Pちゃん。
あの時、まさかその幼鳥がうちに来るとは
予想できませんでしたね。
Pちゃんの数奇な運命に
幸あれ、と祈るしかないね。
生き延びる宿命だからこそ、私の手を借りたんだ、と
思うことにしています。

ビーグルの寿命はどのくらいでしょう。
うちの猫たちもそのくらいの年齢に近づきつつありますが
今の所、元気でいます。
ハナコさん、家族に愛されて幸せな人生。
そう思っていますよ、ハナコさん。
返信する

コメントを投稿