
好きなものは美女と野球。のんべんだらりんと、底の浅い濁流のような毎日。タキシードを着て司会をし、双子の姉妹やコントの国の人に会い、レコード会社を作り、オカンとオトンと三人で夜の東京タワーを見て…コク深くて笑いに満ちた、愛と哀しみのエッセイ集。
リリー・フランキー。イラストレーター。日本美女選別家協会NO.001。人間研究家でありながら、感動家。3冊目の著書にあたるエッセイ集『美女と野球』のタイトルが、「これといって趣味も興味も夢も野望もなく、日々、のんべんだらりんと過ごしています。好きなことといえば美女と野球くらいしかない…」(まえがきより)という、自身の自己認識からついてしまったくらいの謙遜家でもある。が、それはあまりのご謙遜であろう。その文章から察するに、彼は鋭い観察眼をもち、正直者で、正義感が強く、電車の中で読む者をして、ツボにはまってしまってクスクス笑いを抑えられず、思わず向かいの席の人の様子を下からうかがわせてしまうほどの表現力を備えた人物である。しかも扱うテーマは社会の差別から真の人間理解、そしてSEXから糞尿の世界までと幅広い。あまりの上品さに眉をひそめる向きもあろうかと思われるが、それは「解る人には解る。そんな世界である」と、本文にもある通りなのである。なかなか考えさせられる部分もある深い1冊である。
Beauty & Baseboll
この本を女性がおもしろがって読んでいいのだろうか…
とクスリと笑いながら読んで、かなり、私は、変な女かもと…
ごく日常のリリーフランキーさんのエッセイです。
でも、でも、かなり下ネタだらけなので、まあ、気分悪くする女性もいるかも知れません…。私は、何でも読んじゃう人だから平気だけど…。
「果たして、自分に存在価値などアルのだろうか?これを考えると人間は切なすぎるので、こんなことも感じず毎日鈍感に生きる方が多少は幸せな暮らし方である。
人の存在は瑣末である。小さい頃は社会のネジになんかなるもんかと声を荒げた物の、成長した後の現実は超ネジなのである。
要は個人の存在価値だ。事態の大小ではない。
存在価値とは、一体何をもってしてその証をすればいいのだろうか?」
…このエッセイがなぜ、便器(糞尿)逆流事件に結びつくのか??
なかなかナイスです。
「どっちが上とか下じゃない。人には上下はないと思う。
だけど、人には左右はある。横にはいろいろあるのだ。
差別はなくとも区別はあっていい。…略
常にピースな思想でいたいものだと思うけど、この季節は死んでくれてもいい人が増える。
つまらん博愛よりも、大切な人だけど幸せであればいいと思う。そして、もしかしたら自分も死んでくれていい方のグループかもしれないと思う。」
「事件の発端はチリ紙だった。そもそも僕の恋愛観、人付き合いのスタンスは”緊張の弛緩したところに勝ちを見いだす”タイプ。親密になるほど、こちらはだらしなくすることを心がけるし、相手にもまた、それを求める。」
という話で世にも○○コな別れ話。
「人様と話し合うことが、いかに無意味な事であるかを知ったのはかなり昔のこと。
学級会、部活のミーティング、男女の痴話げんか…
結局、話し合わなければいけない事柄というのは結論のわかった、どーでもよいこと。
そして、人はそれぞれに立場と感性と体調を持っていて、誰しも自分にとって不愉快な方向に展開することを好まない。人間はたいそう頭のいい生き物だけども、話し合いによって何かを完成させるほど知能が内容にも思える。逆に犬みたいに、吠える、噛みつく、しっこする、交尾するくらいの会議の方が生き方としてはタイトに思えるのだが。」
あとがきより
僕はひとから、対象との距離をとりすぎて、視野が冷たいと言われるのですが、それは、僕がどんなに思い入れのある対象や人物に出会っても、その人でない限りわからないことがとても気になるからです。
相手のことをわかったような気分になるのが怖いので、冷たくしてしまうのかもしれません。
他人のことは百%わからない。99%理解できても、それが百でない限り僕はその人に踏み込んでいく気にはなれないし、なりたくもない。
この本はエッセイでもあり、その距離感が自分の中ではとっても近い。
読んだ皆様、読みながらくすっと笑って、その後は書いてあることをすっかり忘れてください。」
ってことだけど、本当にその通り、タイトルが印象深いから、読んだ記憶はあっても、きっと中身は、すべて言われなくても忘れてしまうかも…。
ここに、記録として残さなかった方が良かったかな?
でもフランキーさんの独特な思考、かなり楽しめました。ありがとう。