降って来るもの

写真と散文とぽえむ

言辞の淵に佇んで

2017-02-18 22:24:00 | 
      言辞の淵に Ⅲ

何かしら半覚醒の揺らめきの心地よさを漂っていると
何方にも行きたくなくて
何処へも向かいたくなくて
 目蓋の裏に光を感じながら
そのまま漣の揺蕩いを続ける

フト、ふと、フッと
魂に成って昇ってゆくときの感覚も
 GHOSTの主人公のように
こんな風な・・と



言界が狭いと
伝えたいことが上手く飛んでゆけない
さまざまに工夫を凝らしても
 直ぐに
彼方此方の角に当たるのだ
それ故
何時でも
初めに言界ありき!!と
 自らに言い聞かせている



何も降りてこない時は
ただ黙って
その幸運との出合いを待つしかない
 八百万の神々に
願いを預けて御礼をする仕様の
敬虔な心身のままに



天地から
「何の言伝も」ない時は
その穏やかさを愛でて
珈琲を啜るしかない
 アメリカンのブラックにして
ゆっくり



空に何の兆しも感じられない時は
瞳を閉じて蒼穹を窺うのだ
 あの恋の騒めきを憶い出して
夢の居場所へ回帰するのだ
それが
何処に拡がっているのか
どんな風に拡がっているのか
 そっと教えてくれる



耳朶を揺らす幽けさが
途絶えてしまった時は
 receiverの摘みを開放し
心の感度をMaxに欹てるのだ



如何なる予兆も感じられない時は
静寂と沈黙に寄生して
 一人佇む

pocketにペンと用紙を
脳漿に真っ新のpageを開いて・・



それは何時でも
突然にやってくるものだから
何の前触れもなく現れるものだから
 その様にしか届かないから
今、此処に不在でも
一日中、待ち草臥れても
受け取る構えだけは崩さずに待つのだ



これは所謂”詩”なのか?
或いは散文と称すべきものなのか?
もしかして
詩文といえば当て嵌まるのか?

微積分のように
僕は答を見つけ出せないけれど
 それは
提示するアナタの胸に聞くしかないけれど


想ってみれば人生など
疑問符の延長線上に在るようなもので
 故に僕らは
彼のbaseballのように
九回で終わらぬ覚悟で
全ての問題と試練に真向かわねばならぬのだ

詩か否かなどの
米粒が巻き起こす程の波紋に
長く関わってなどいられないのだ
 今朝の空模様が
”くもり時々はれ”なのか
”晴ときどき曇”のような


2017 02/18 22:22
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