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老化現象

2022年10月11日 | インポート
 

 我々の誰もが必ず通らなければならない運命なのに、もっとも議論されない、見たくもない代名詞が「老化と死」である。

 みんな自分の死を直視できない。怖いのだ。いったい何が起きるのか?



 だが、人類が地球上に登場して、この運命を逃れた者は誰一人いない。人間以外のあらゆる生物、生命体と同じように、死を意識しないまま、気づかないまま、知らないうちに通り過ぎたいと思うのだが、そうは問屋が卸さない。



 「老化と死」という命題について、人生で最大の洗礼を受けるのは、多くの場合、30~40歳代になって、ある日、ふと鏡のなかに見知らぬ老人がいることに気づくことだ。

 鏡のなかにいるのは自分のはずなのだが、違う、自分はこんな年寄りではない……。

 ほとんど全員がショックを受けるのだが、よくよく見れば、無情にも自分なのだ。



  「もう二度と鏡なんか見たくもない」

 と思っても、見ない訳にはいかない。次に見るときには、少しだけ慣れて、「自分が老けてきたのか」という冷酷な現実を思い知らされ、それを自覚するのである。

 そうして、人生で初めて、「時間と老い」を意識させられる。



 私の場合は、若い頃から、ずっと山歩きに夢中になってきて、20歳代、30歳代なんかは、年間50回以上、つまり休みさえあれば、雨が降ろうが風が吹こうが、お構いなしに山を歩いていた。

 だから体力にも自信があったのだが、同じように歩いていても、疲労の回復度合いが歳とともに違ってきた。



 10代では、きつい運動の後、その日のうちに体が痛くなったりしたが、翌日にはケロリと治っていた。20代になると、その日はなんともなく、翌日に体が痛み出したが、それでも、その日のうちに治っていた。

 30代に入ると、苛酷な運動を行って、本当に痛みや疲労感が出るのは翌日から翌々日になり、それが長引くようになった。40代では、疲労感が三日もしてからピークに達した。しかも、それが数日間も尾を引くようになった。



 50代になると、たった一日の苛酷労働でも、一週間くらいも疲労感が持続するようになってきた。60代になると、簡単には疲労感が抜けず、サウナやマッサージの助けを借りないと元に戻らなくなってきた。

 この分では、70歳代になったら、いったい何が起きるのか?



 だから、私は60歳代になってから、毎日2時間以内の易しい山歩きを欠かさないようにしているが、たった2時間でも、毎日疲労感が積み重なり、やがて、歩くことに辛さを感じ、どうしても入浴などの助けを借りずにはいられず、降雨などで休むと、翌日には快調に歩けるのだ。



 私が、自分の老化を意識するようになったのは、「海馬による即時記憶」が40歳あたりから、目に見えるように劣化しはじめたことだ。

 とにかく「固有名詞」が出てこなくなった。いつも口に出るのは「あれ、それ、あの……」と指示代名詞ばかりだ。

 記憶というものが、ひもつき団子として成立していることは重々承知しているが、記憶の紐を辿りたくとも、最初の紐の端っこが見えないのだ。



 50歳代に入って、それは自分の人格能力に絶望感を抱くほどのひどさになった。

 このようなブログを書いていても、イメージやビジョンはそこにあっても、それを表象する言葉が見つからない。

 「自分はもうブログも書けない」

 と、深刻な鬱状態に陥ったことも少なからずある。



 私の場合は、若い頃、バイク転倒事故で、脳挫傷=大脳萎縮を起こしているので、たぶん他の人より海馬の萎縮、記憶矮小化がひどいと思う。いわゆる「高次脳機能障害」なのだ。

 事故で脳に大量の血腫ができてしまったので、これが微少脳梗塞を起こして、突然、意識が揺らぎ、薄くなることが頻繁に起きていた。平衡感覚が弱まり、ふらつくことが多かった。

 だから、逆に、槍穂の大キレットやジャンダルムなどに頻繁に出かけて、それを克服しようとしていたのだが、これは人には勧められない。



 私は、家で、何か必要なものがあって、それを買いに店に着く頃には、きれいさっぱり忘れてしまって、何も買うのだったか、まったく思い出せない。

 だから、買物にメモが絶対に欠かせないのだ。なければ100%忘れる。

 普通は、強いイメージのものに関連させて(紐をつけて)記憶するのだが、それでも忘れる。

 例えば、千日回峰の酒井雄哉を思い出すのに、ウイスキー行者などと強いイメージの概念を作る。百回くらい、思い出しを繰り返すと、ようやく記憶できる。



 だから、若い頃、クラシックギターに凝っていたのだが、どうしても楽譜が記憶できず、プロになることを諦めるしかなかった。

 講談師の田辺鶴瑛のギターBGMをやってたのだが、譜面が覚えられなくて、さんざん怒られ、最後は追い出された。

 311後、放射能被害について講演することも多かったのだが、台本カンペを用意しなければ、人前で話すこともできなかった。

 話している最中に、自分が話している筋道を忘れてしまうのだ。



 それに老化現象が加われば、向かうところ敵なしで、タクシー乗務のときも、行き先を忘れかけて、何度も冷や汗をかいた。大型二種免だが、これでは、路線バスを運転してもルートを忘れそうで、バス乗務に二の足を踏んでしまった。

 今、私が、このブログを書けているのは、まったくインターネットのおかげだ。言葉を忘れても、連想ゲームのように関連した単語を検索していれば、そのうち目的語にたどり着けるおかげなのだ。



 私は、若い頃、メンサに悠々入れるくらいのIQがあったのだが、先日、ネットにあったIQテストをやってみたら、やっと120しかなく、20~30は劣化していることを思い知らされた。IQまで劣化することを初めて知った。

 しかし、IQが高すぎると、何もかも遠くまで見えてしまって、組織のなかで駒として動いているときに、指導部の方針の間違いが見えすぎてしまい、結果の失敗まで鮮明に見えてしまう。



 私は、それで散々失敗した。だから組織に入ることが嫌になってしまった。他人とつきあっても、相手の間違いが見えすぎてしまうので友情が育たない。

 だから、メンサ会員たちは、孤独な「組織・友人不適者」ばかりだろうなと思う。でも、老化し劣化した今なら、組織でも大丈夫かもしれない。目に鱗が詰まってしまったわけだから。



 まあ、IQが高すぎるギフテッド少年少女は、既存の組織なんか入らない方がいい。例え貧しくとも、独立系の仕事する必要がある。近所に住む泥棒Aのような人生は勧めないが。

 だから、私も「なんとか士」の資格をたくさん取得したが、どれも中途半端のまま人生を終えそうだ。人生を自慢したいわけでないから、それで満足だが。



 ギフテッドの適性職業は、たぶん弁護士か司法書士あたりではないだろうか。

 昔、兄のように慕った、安田好弘弁護士は、間違いなく超高IQだったが、そのせいか、生涯を死刑判決者の救済に奔走している。誰も通りたがらない道だ。

 彼も、絶対に組織に適応できない人間性だった。弁護士になっても、ギフテッドには損な人生しか残されていないことを覚悟すべきだ。



 あとは「死と直面」する問題を、どう解決するかだ。

 私は、2012年頃から、呼吸器系の強烈な疾患に苛まれ、2014年には、明瞭な間質性肺炎(IPF)を発症した。

 それについては、何回か書いたので、詳しく述べるつもりはないが、5年で死ぬはずだったのが、8年目でも、とりあえず生きているのは、若い頃山が好きだったおかげだと書いておくにとどめる。



 普通に生活しているだけで、呼吸が苦しくて何度も死を覚悟した。私は若い頃からクライミングをやっていたから、死と紙一重の遊びばかりやってきたおかげで、死の影に怯えながらも、「まあ、しゃんめー」と軽く考えることもできた。

 本当に「アカン!」と分かれば、庭にテントを張って、なかで石灰硫黄合剤にサンポールを混ぜて、静かに横になっていようと思ったが、今のところ、そうせずにすんでいる。両親も死んだし、家族がいないから、とても気が楽だ。



 それよりも、老化現象による物忘れ、「認知症の跫音」の方が、はるかに怖い。

 ブログを書けなくなる自分が怖いから、毎日更新しているのだ。だが、毎日毎日、少しずつ、記憶や能力が退化してゆく現実を思い知らされると、結局、最後はテントのなかで自死するしかないのかと思う。

 希望としては、ウクライナに飛んで行って一兵士として死にたいが、たぶんロシアが日本にも侵攻してくるはずだから、そのときまで命をとっておくことにする。

 

 正直、老人ホームに入って、惚けながら余生を全うするなんてのは、まっぴらゴメンだ。最後は、私に対して散々嫌がらせをしてきた人物と決着をつけたい。

 可能なら、侵略してきた軍隊に立ちはだかって、あの世に向かいたいと思っている。そういえば、最近GyaOで、ランボー・ラストブラッドを見たが、ああいうのはしびれるよな。やっぱり、オイラは、宇宙で二番目に霊性が低い地球にふさわしいのかな。



 もっとも、何もしなくとも、やがてサルマト水爆ミサイルやポセイドン大津波の餌食になることが避けられないように思う。

 自分から悪事を行いたいとは思わないが、それから逃げ回るような人生は送りたくないものだ。幸い、私には家族も財産も守るものがなにもないので、人生に障壁がない。



 とりとめもなく書いているうちに、とんでもない方向に脱線してしまった。これも老化現象のなせる業か?  もう一度、本題に戻ろう。



 弁証法によれば、すべての事物現象は、生まれ、上昇し、変化し、衰退し、死滅する。

 そこには形而上的法則として、「対立の統一・否定の否定」がある。

 人は、生まれてから死ぬまで、常に何かしらの変化に遭遇する。それは誕生してから、「成長」と呼ばれ、やがて「老化」と呼ばれ、そして死滅に至る。



 多くの人が40歳を過ぎた頃から身体への変化を感じ始める。実は、縄文時代や弥生時代、たぶん平安時代くらいまで、日本人の平均寿命は30歳前後で、40歳に達することのできる人は、ごくわずかだった。

 だから、老化という概念は、ほとんど問題にされなかった。古代の遺物に老化を主題にしたものが、ほとんどないのは、そのせいだ。



 40歳辺りから細胞を破壊する活性酸素の力が抗酸化力を上回り、老化が進行する。

 これが細胞を傷つけ、細胞更新を促すが、細胞の更新回数は、テロメアという寿命遺伝子で定まる。

 https://stemcells.or.jp/human-lifespan/

 だが、テロメアのない無限の寿命を持った細胞があるという。それは癌細胞と幹細胞だ。これを、うまく利用できれば、人間は無限の更新が可能になるわけだが、残念ながら、人間の肉体が不老不死であることが、人間として生まれた本来の使命ではない。



 人間の本質が肉体ではなく、霊体であるとすれば、肉体は霊的本質のために存在する一アイテムにすぎないわけだ。

 ブライアン・ワイスは、精神医学者として、患者を退行催眠によって治療しているうちに、過去生の存在に行き当たった。

 一つ一つの人生は有限だが、その本質は、数百回、数千回も繰り返される肉体の試練によって、崇高な精神性を獲得するためのものである可能性が見え始めた。

 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%89%8D%E4%B8%96%E7%99%82%E6%B3%95



 繰り返される双六のような人生の「上がり」は何であるのか?

 それを、ヘーゲルは絶対精神=イデーであると指摘した。

 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%B5%B6%E5%AF%BE%E7%B2%BE%E7%A5%9E#:~:text=%E7%B5%B6%E5%AF%BE%E7%B2%BE%E7%A5%9E%EF%BC%88%E3%81%9C%E3%81%A3%E3%81%9F%E3%81%84%E3%81%9B%E3%81%84%E3%81%97%E3%82%93,%E6%8C%81%E3%81%9F%E3%81%AC%E3%82%82%E3%81%AE%E3%81%A7%E3%81%82%E3%82%8B%E3%80%82



 つまり、人はイデーに達するために、有限の肉体を繰り返し顕現しているというわけだ。だから、人は、たくさんの人生のなかで、あらゆる局面を経験させられることになる。



 そもそも、肉体が有限である理由は、我々の母なる地球が、太陽や地殻からの紫外線や電離放射線に晒され続けているという事情があり、それがテロメアを破壊し続けるため、「人間の死」が絶対に避けられない本質的属性となっているのである。



 また、「老化」という現象が、生まれ来る子供たちに、「人間の経過の、すべてを見せて学ばせる」という大切な役割を果たしていることに気づく必要がある。

 子供たちは、人が老いて人相も体力も能力も劣化し、やがて消滅するという弁証法的プロセスを、老人たちを見ることで学び、自分の運命を悟るのだ。

 「形あるもの、すべてのものが滅びる」

 宇宙の本質を、愛する人の老化と死によって学ぶことになる。



 老化する本人にとっては、疲労感が回復しなくなること、何よりも最初に、視力が衰えることで思い知る。

 60歳過ぎて、若い頃の視力を保っていられる人は、ほぼゼロだろう。 

 これは、最初に書いた「鏡のなかの老人」とともに、最初の兆候なのだ。言い換えれば、「衰退と死への第一歩」だ。



そのとき、我々は子供たちに、自分の人生を見せ、与え、主役の交代を告げることになる。

 ところが、それを自覚できないで、主役を引き継がない選択をしている指導者がいる。 それがプーチンや習近平だ。

 彼らは、自分の人生と引き換えに、人類を破滅させる結果をもたらそうとしている。彼らのせいで、人類が滅亡させられるかもしれない。



 だから、我々は、自分の老化を自覚したときから、主役の座を子供たちに交代させる準備をしなければならないのである。

 若者たちに、人生の主役であることを自覚させることだけが、人類の持続可能な未来を保証するのだ。