実際、人間という生き物は本能から遠い存在。
本能に従っていれば、狂気も一過性のものであったはずなのに。
自己意識というものがあるばかりに、余計な苦労を背負い込んでいる。
最も高く飛翔する心は、最も深く沈みこむ心。
幸か不幸か、人間はそれらを抱え込んでしまった。
ああ、栄光と悲惨とは人間を表現するのにふさわしい言葉だったのだな。
だから、人間が存在する限り、これらの言葉もまた無くなることはないのであろう。
最後は死ぬことが分かっている以上、僕たちは負け方(宗教・哲学)を学ぶべきなのか。
いい人生だったとか、悪い人生だったとか思ったところで、たいしたことにはならないのだろうけど。
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