プシコの架空世界

ホレホレ触るとはじけるゾ。
理性がなければ狂いません(妄想の形成にも理性の助けがいる)。

呪術的責任

2012年07月05日 16時59分42秒 | インポート

 橘玲著『(日本人)かっこにっぽんじん』より引用。

 古代の呪術世界では、王は民衆の支配者であるというよりも、神と交感する霊媒とみなされていた。その役割は豊作をもたらす神の恩寵を得ることで、日照りがつづくとひとびとは王を殺し、神の生贄にしてしまった。旱魃や洪水、地震などの天変地異は、神を怒らせた王の「責任」とされたのだ。

 こうした“呪術的責任”は、範囲の定めのない“無限責任”でもある。1923(大正12)年に起きた皇太子の狙撃事件にかかわりのある者は、その全員がなんらかの“けがれ”を負っている。餓死から譴責(けんせき)処分まで、それぞれが相応の「責任」をとらなければ社会全体の“けがれ”はぬぐわれない。

 政治学者の丸山眞男は、このきわめて過酷な“無限責任”が、日本を“無責任社会”にしたのだと論じた。

 日本では、いったん「責任」を負わされ、スケープゴートにされたときの損害があまりにも大きいので、誰もが責任を逃れようとする。その結果、権限と責任が分離し、外部からはどこに権力の中心があるのかわからなくなる。このようにして、天皇を“空虚な中心”とする、どこにも「責任」をとる人間のいない奇妙な無責任社会が生まれたのだ。

 ところで、僕がブログを公開している理由のひとつは、責任を取りたいという気持ちがあるからです。

 簡単に言えば、僕は反面教師になりたいのです。

 僕の失敗談を語ることによって、同じ間違いをする人の数を減らせるのではないかと思っているのです。

 それから「道」を示したかった。

 どういうふうに発病し、どういうふうに回復していったか、そのプロセスを可視化したかった。

 さらに、まだまだ認知度の少ない統合失調症の症状や患者の内面を知ってもらえれば、知った分だけ、差別や偏見も解消されるのではないか、そうすれば精神医療の敷居もさらに低くなるのではないかと思いました。

 とにかくそれが自分なりの責任の取り方だと思っているのです。

 そう自分が決めたのです。

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コメント (2)
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