現代の日本社会ではサラリーマンが「企業戦士」と言われても誰も異議を唱えないが、昔だったら、単なる商人である。
商人は商人のマインドで商いをすればいいのに、そこに武士的思考を持ち込むから、余計な混乱を招くのではないかと思われる。
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現代の日本社会ではサラリーマンが「企業戦士」と言われても誰も異議を唱えないが、昔だったら、単なる商人である。
商人は商人のマインドで商いをすればいいのに、そこに武士的思考を持ち込むから、余計な混乱を招くのではないかと思われる。
「聖域」とは、売買の対象にしてはならないモノではないかと(要するに単なる不動産ではない)。
つまり、「魂」の別名ではないかと。
だから、最後まで守り通さなければならないモノではないかと。
敵はそれを無きモノにしようとしている奴ではないかと。
もし、それを失ったら、未来はあるのかと。
その者に記憶=人生は残るのかと。
そんなことを思う、今日この頃の私でした。