玉川上水みどりといきもの会議

玉川上水の自然を生物多様性の観点でとらえ、そのよりよいあり方を模索し、発信します

これからのこと

2017-02-10 12:43:49 | 生きもの調べ
 本書をしめくくるに当たって、これからのことを考えてみましょう。玉川上水は360年以上もの長い歴史をもっています。そして20世紀の後半に下流の10キロメートルほどが暗渠でつぶされましたが、西側の約30キロメートルは残りました。そして、上水としての機能は終えましたが、市民が散歩を楽しむ緑地として維持されてきました。散歩を楽しむ人がいれば、ジョギングで体を鍛える人もいます。そして私たちのように動植物の観察を楽しむ人もいます。
 玉川上水は歴史遺産でもありますから、維持するための管理が必要です。建物などの歴史遺産であれば劣化しないという管理をしますが、玉川上水には動植物が生きています。とくに木は大きく育ち、下に生える植物を被ったり、玉川上水の壁面に根を伸ばしたりするため、何もしないと玉川上水を変形していきます。そのため、守ることは手をつけないことではなく、適切に管理することが必要になります。現に私たちが観察している「野草保護観察ゾーン」は草原の野草を戻すために上層の木を刈り取って維持されています。
 一方、なんといっても玉川上水は東京の市街地を流れる水路です。東西に流れていますから、これに並行した道路もあれば、南北に横切る道路もあります。都市が人の暮らす空間である以上、利便性が求められるのは宿命といえます。都市であることと原生的な自然を両立するのはもともと相容れないことなのです。
 そのことを考えながら、本書の主人公であるタヌキのことを考えてみます。江戸時代の小平辺りの農地について詳細な土地利用面積が記録として残っているそうです。それによれば農地面積のおよそ半分が畑、残りの半分は雑木林であったことがわかっています。雑木林は焚き付けや緑肥のために不可欠でした。こういう環境はタヌキにとって理想的といえるものです。これは多少の変化をしながらも昭和の30年くらいまでは続いていたようです。だからタヌキだけでなくキツネもたくさんいたようです。

 「用水路 昔語り」(2016)には昭和45年頃にはキツネ、タヌキがよく見られたという古老の談話が記録されています。

「ウサギはいましたか」という問いかけに、
「昭和四五年頃にはいたね。ゴルフ場に巣を作った。キツネ、タヌキがよく見られたのはその前で、いまの学園地区全部が林だったからね。」
(こだいら水と緑の会、2016、「用水路 昔語り」)


 その後、1960年代から人口が急増し、農地が宅地に変化し、道路がつき、雑木林は激減しました。キツネはいなくなり、かろうじてタヌキが、残された雑木林で生き延びています。
 こうしたことを考えると、玉川上水にタヌキはいますが、息をひそめ、辺りを気にしてビクビクしながらかろうじて生き延びているのであって、その将来は決して安泰ではないということを忘れてはならないと思います(コラム参照)。
 都市という宿命は避け難くありますが、それを安易にしかたないとするのではなく、むしろ、だからこそ私たちは奇跡のように残された玉川上水の緑の価値を考え、その自然にマイナスになることは最小限に留める努力をすべきだと思います。
 そんなことを考えていたとき、ハッとすることばに出会いました。
 それはアマゾンの森林伐採についての記述で、

「この行いは、経済的な見地からすれば正当化されるのかもしれない。しかし、料理を作るための焚き付けとして、ルネサンス時代の絵画を使うのに似た行為であることに変わりはないのだ。」(ウィルソン、「バイオフィリア」狩野訳、1994)

 表現は違いますがハスケルの次のことばも本質的には同じことを言おうとしています。

 膨れあがる安価な材木の消費量が作り出した経済的な「必要」で正当化された、この軽率で恩知らずな行為は、私たちの内面の傲慢さと混乱が外に現れたものであるようだ。(ハスケル、「ミクロの森」、三木訳、2013、築地書館)

 玉川上水の林を伐採し、上水にフタをして暗渠にするのは現在の重機を使えばいとも簡単にできることです。私は小平に住むようになって20年ほど経ちます。小平は全体としては比較的豊かな緑が残っていると思います。しかし、ある日、突然竹林が伐採されてあっという間に立派なビルが建ったり、雑木林が伐られて駐車場になるなどを見てきました。それは心の痛むことですが、都市ではこういうことはある程度避けられないことなのだろうとも思います。その自己納得のささやかな拠り所は、このような小さな緑地の場合はほかにもまだたくさんあり、代替があるということにあります。
 しかし、玉川上水は一本しかありません。その代替はないのです。そして連続していることがそこにすむ動植物にとって重要であることもわかっています。
 私が重要だと思うのは、あの戦後の社会全体が経済復興に邁進していた時代に、30キロメートルの部分が残されたということの意味です。東京が経済発展をすることはよい、だが、そうだからといって江戸時代から続き、先人が残してきたこの緑地をつぶしてはいけない、昭和の大人たちはそう考えたのだと思います。それは英断というべきことです。私は残された「一条の緑」を失うことは、ウィルソンの言う「料理のためにルネサンス時代の絵画を焚きつけすること」だと思います。火の焚き付けはほかにもあるはずだし、そもそもその火はほんとうに必要不可欠なのかを立ち止まって考えるべきだと思います。
 360年続いた一条の緑は空中写真で見ればまことに心もとないほど細いものです。



立川から小金井辺りまでの玉川上水の空中写真

 その心もとなさを見ると、これを経済復興の最中(さなか)に守るという英断を下した人たちがいたということは感動的なことです。そのことを思えば、私たちは玉川上水を次の世代に引き継ぐ責務があると思います。あと40年ほどすると玉川上水ができてから400年の年になります。そのときに、平成の大人たちはよくぞこの玉川上水を残す決断をしてくれたと思ってもらえるでしょうか。
 私にできるのは玉川上水の動植物を観察することだけですが、そのことが玉川上水のすばらしさを示すことにつながって欲しいと願っています。そのことを若い人や子供たちに伝えるささやかな努力をこれからも続けたいと思います。



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子供観察会 ー 手応えのあること

2017-02-10 11:42:06 | 生きもの調べ

 玉川上水で観察会をして来ました。解説をしながら、背景の違う人から質問をもらって改めて考えたり、調べ直したりするのはよい経験になりました。
 そうした中でももっとも印象に残ったのは、子供を相手におこなった観察会「タヌキのうんちをさがしてみよう」でした。その記録は紹介しましたが、これは私にとって文字通り新鮮な驚きの連続でした。
 私はふつうの観察会ではとくに準備はせず、およその課題を考え、季節にふさわしい観察対象を確認する程度で会に臨みますが、子供を相手にするときはいつになく準備をしました。まず子供たちがリラックスするように、タヌキのお面を作って、「みなさん、こんにちは」と言えばよいのではないかと思い、紙粘土に絵の具を塗ってお面を作りました。それから何を見せるかを考え、もちろんタメフンは紹介するのですが、それだけでなく、実際に糞を拾うところを見せ、それをポリ袋に入れるが、その袋にデータを書くことを子供にさせました。それから、糞の水洗も子供に見せようと思い、ふるいと歯ブラシを持参しました。またこれまで検出して保管している、タヌキの糞から出てきた種子や輪ゴムなどを持参し、ルーペで見てもらうことにしました。
 糞をみて「汚い」、「汚いから見たくない」という子供がいても不思議ではありません。でも実際にはどの子も目を輝かせて見ていました。
 またタメフン場に行くとき、歩きやすい道を歩いてもよかったのですが、意図的に笹ヤブを突き進むことにしました。あとで写真を見ると子供の表情は嬉しそうでした。
 でも、糞の水洗は失敗だったと思いました。去年の2月の糞にはギンナンがたくさん入っており、ムクノキの種子が出てきたので、1月の糞にもなんらかの種子が出てきて、それが何の木の種子であるかを教えたら興味を持ってくれると思っていました。また、もし種子が出てこないときは、哺乳類の毛か鳥類の羽毛、あるいは昆虫の体の一部などが出てくることが多いので、そういうものが出てくるかもしれないと思っていました。
 ところがその日、2つの糞を水洗しましたが、うまくいきませんでした。まず乾燥していたために糞がカチカチに固まっていて、水を流してもなかなかほぐれてくれないのです。しばらく歯ブラシでごしごしこすりましたが、なかなかほぐれず、かなり力を入れました。少し時間が経ったので子供も退屈しているように感じました。気がつくとズボンの膝の部分が濡れていました。何か出てこないかなと、メガネをはずして何度か覗き込みましたが、イネ科の種子が少しあるだけで、動物の毛なども出てきませんでした。そういう訳でこれはうまくいかなかったと思っていました。そして
「ま、こういうこともあるだろう」
と自分に言い聞かせました。
 ところが、あとで感想を書いてもらったら、意外なことが書いてありました。幼稚園くらいの子供が私が糞を洗う行動をおもしろそうだと感じたらしく。真似をしていたそうです。それから私が膝を濡らしながら、ふるいを覗き込んでいた、そのこと自体が子供に印象を残したというのです。
 それから、風邪気味だった男の子はカメラに写ったタヌキの写真がパソコン画面に映しだされるのを見て「風邪がなおったみたい」と言っていたそうです。別の子は、タヌキが輪ゴムなどを食べていたことにお驚いたようです。野生動物がどういう生き方をしているかを考えたことのない子供たちは、動物もきれいに洗われたような清潔な食べ物を食べていると思っていたのでしょう。皿に乗ったものを食べるとは思っていないでしょうが、せいぜい畑のトマトとか、イチゴのような食べ物を食べると思っていたのかもしれません。だから、残飯のような不潔なものを食べるというのはショッキングなことだったのかもしれません。
 私は半生を生き物のことを調べることに費やしてきましたが、その根底には、子供の頃から生きものが好きだったからということがあります。その子供の頃に持った思いは、老人になった今もまちがっていなかったという確信があります。だから、このおもしろいことを若い人に伝えたいという気持ちがあります。そうした気持ちで若者向けの本を書きましたが、本を書くということは、読者という不特定多数の人を相手にすることで、直接話をすることとは違います。多くの人に読んでもらえるという、効率のよさはありますが、著者の一方的な発信ということになります。
 それに比べると今回の子供観察会ではわずか15人ほどの子供を相手にしましたから、経験や知識の伝達の広がりは狭いものです。しかし、私の中にはずしりとした手応えが残りました。要するに確かなことをしたという実感があったのです。
 私はすでに高齢者になりました。残された時間はそうありません。だからその時間を手応えのあることに使いたいと思います。それはこの子供観察会のように、自分の経験が確かに伝わったと実感が持てることです。どちらがよいというのではなく、本を書くというのは広がるというよさがあり、直接話すのは狭いけれども手応えのあるというよさがあるということなのでしょう。それをバランスをとりながらおこないたいと思います。

つづく

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誰でもできる生き物調べ

2017-02-10 10:38:57 | 生きもの調べ
 私は物心ついたときから動物が好きで、小学校では昆虫の採集や飼育に熱中していました。戦後の山陰では昆虫や魚が好きでそれを採るのは男の子ならだれでもしたことですが、植物が好きだというのは女々しくて恥ずかしいという空気が濃厚でした。私は小学5年生のとき、昆虫採集に行った低山でスミレを何種類か見つけて魅了されました。でも、そういう雰囲気がありましたから、スミレが好きだなどとは友達には口が裂けても言えないことでした。でもあまりにも魅力的だったので、土ごと採集してきて鉢に植えて栽培しました。それは秘め事だったので、友達が遊びに来ると見つからないようにしました。 
 その後、高校生になると生物学者になりたいと思うようになり、大学に進みました。そして幸いなことに大学の研究者になり、40年近く研究をしました。
 そういう私ですから、生物に対してふつうの人より関心も強く、知識も多いのは当然のことです。その意味ではやや特殊な経歴の人間といえるでしょう。でも、今私が玉川上水で調べていることは、現役時代と違い、専門的な機器や道具がいるわけでもないし、チームを作ってトレーニングや指導をして組織的なデータ取りをするということもありません。身軽な服装で、バックパックを持って行くだけです。それでできる調査をしています。私はある観察会のとき、主催者に持ち物を聞かれて答えました。

  3つあれば十分です。野外を歩ける服装、筆記道具、そして一番大切なのは好奇心

 玉川上水は市街地の中を流れる運河ですから、動植物は豊富とはいえません。日本の多くの地方都市であればこれよりも豊富な動植物のいる雑木林などはいくらでもあります。だから、だれでもその気になれば私たちが調べた程度のことは調べることができるということです。そう、身近な自然の動植物を観察するのはだれでもできるのです。このことについて、レイチェル・カーソンは次のように語っています。

「自然にふれるという終わりのないよろこびは、けっして科学者だけのものではありません。大地と海と空、そして、そこに住む驚きに満ちた生命の輝きのもとに身をおくすべての人が手に入れられるものなのです。」(カーソン、「センス・オブ・ワンダー」、上遠訳、1996)

 エドワード・ウィルソンも同じことを言っています。

「知られざる神秘的な生き物は、いまあなたが座っている場所から歩いていけるところにも棲んでいる。」(ウィルソン、「バイオフィリア」、狩野訳、1994)

つづく


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生き物の側に立つ

2017-02-10 09:37:10 | 生きもの調べ
 調査を初めて半年ほど経ったとき、津田塾大学でもっとあるはずのタメフン場を探すことになり、がんばったおかげでよいタメフン場が見つかりました。そこでそこに来るタヌキのようすを撮影するためにセンサーカメラを置きました。これはうまくいって、そこに来るタヌキや糞をするタヌキが撮影されました。同時にネコやシロハラ、キジバトなどの鳥も撮影されました。
 あるとき、カメラに意外なものが写っていました。鎌の歯がノコギリ状になった道具をもった作業の人が写っていたのです。それは3日続き、ハシゴを持って来るようすなども写っていました。これは大学が近所の人との約束で、ヤブが繁ったら刈り取りをすることになっていて4年に一度おこなう作業なのだそうです。実際、タメフン場のまわりのアオキなどのヤブはすっかり刈り払われてさま変わりしていました。
 私はここで継続的にタヌキの糞を回収しようと思っていたので、こんなに刈り払われたらタヌキがここを利用しなくなるのではないかと心配になったのですが、結果的には大丈夫でした。
 写真に写った刈り取り作業をする人を見たときの感覚は今まで感じたことのないものでした。自分の調査に支障が生じると困るという気持ちも少しはありましたが、それよりもカメラに写る対象物をタヌキ、ネコ、キジバトと見たあとに作業の人が出てきたとき、「大きくて怖い存在」だと感じました。そのとき私は自分がタヌキになっているような気持ちになっていたと思います。巨大といってもよいほど大きな人が鎌を持って生活の場に生えている木をどんどん伐っていくことへの恐怖が少しわかるような気がしました。その人はもちろん仕事として作業をおこなっておられるのですが、タヌキの側に立っている私には乱暴なおこないに思えました。
 こういう気持ちを持ったのは、カメラの視点から第三者的に眺めたからだと思います。といっても、人の目とは違うとはいえ、本当にタヌキの視点には立っていません。そうであれば、もっと恐ろしいのだろうと思います。
 私はこの調査を始めたときに、タヌキ目線で玉川上水や都市を眺めてみたいと思い、そうしているつもりでしたが、この経験で、全然そうではできてなかったのだと思い知りました。
 人間とタヌキは違う動物なのだから、それは当然のいたしかたないことなのかもしれません。しかし、そうではあっても、想像することはできます。
 私たちは公園や保育園を設計するとき、使いやすさや安全とともに、子供であればこうなっていればよろこぶだろうと想像します。あるいは老人の施設などでもそうです。自分とは違うが、違う立場の人であればどう感じるかを想像します。そのときに、子供なり老人なりは私たちとどう違うかを知ることが不可欠です。それと同じで、私たちは、タヌキはどういう動物であるかを知ることで、どういう環境を残すべきかを考えることができます。
 私の持っている情報は限られますが、タヌキは下刈りされたところよりはヤブがあるところを好み、直径がせめて100メートル程度の林があることが必要なようです。その林には果実があり、昆虫、哺乳類などがいる必要があります。
 タヌキが暮らしていた林がある日、突然刈取らとられてしまい、そこを立ち退いて別の林に行かなければならないということが起きたはずです。その林も伐られ、また別の林に移動ということを繰り返すうちに、もう逃げ場がなくなったということもあったはずです。でも、私たちはそういうふうに考える機会はなかなかないし、そういう想像力も持ちにくいものです。
 タヌキは食べ物を匂いで感知しますから、食べ物の匂いがするポリ袋や輪ゴムなどは食べ物と思って食べてしまいます。多少腐っているくらいは平気ですし、よほど苦いとかまずい味がしなければなんでも食べます。体重5キロほどの動物が生きてゆくにはかなりの食べ物が必要です。果実は栄養もあり、まとまってあって逃げることもないたいへんありがたい食べ物です。カキやギンナンは自然界には少ない大きな果実でたっぷりと果肉がありますから大喜びで食べます。カキは渋く、ギンナンは臭いですが、だから食べないということはありません。地面を歩く昆虫などは貴重な動物タンパク質ですから狙って食べます。もちろん土をいっしょに飲み込むこともあります。
 私たちは「そんなものでも食べるのか」とか「不潔だ」とか感じますが、自然界に生きる野生動物からすれば、自然界にあるものからおいしいものだけを選び、洗い、火熱し、味付けをし、容器に入れて、箸やスプーンで食べることのほうがよほど「異常な」ことです。それを基準に野生動物の食生活を評価するのは意味がありませんし、相手を知らないということです。
 哺乳類であるタヌキでさえそうですから、私たちが鳥やトカゲや昆虫のことがわからないのは当然かもしれません。ましてや植物となるとまったく想像ができません。
 しかしファーブルが徹底的に観察し、実験をして糞虫やハチなどの習性や生活を明らかにしたように、よく見ればその動物がなぜそうするかは理解できるようになります。植物がどういう場所にあるか、どうして受粉をするか、あるいは種子を広げるかは、観察し、調べればわかってきます。
 私たちが玉川上水でおこなったささやかな調査でも、植物の生育地の管理のしかたが草原の花を咲かせ、それを訪れる昆虫を惹きつけることや、多肉質の果実類が、鳥や哺乳類に食べてもらうためにカラフルでおいしくなっていることを示すことができました。私たちは植物になりきることはできませんが、植物が演じている「生きている」ことの意味を読み取ることを通じて、理解をすることはできます。
 そのように、ほかの生き物とまったく同じ立場には立てなくても、その生活を理解することで、その生き物にはこうすることが迷惑なことだということはわかります。
 そのように考えると、過去半世紀に武蔵野台地で起きた雑木林の伐採と畑の宅地化は、タヌキに代表される無数の動物とそれを支えた植物の立場に立つことはおろか、思いやることもなしに、人間が自分たちのつごうだけでふるまってきたことなのだということが痛いほどわかります。
 それはともに地球に生を受けたものとしてよくないことだと思います。野上ふさ子さんはアイヌの民話の例を紹介しています(野上、2012a、「アイヌ語の贈り物」、新泉社)。
 ある貧しい家の娘が山に草をとりにいったのですが、誰かが先に来て全部をとってしまっていたので、何もとらないで帰ってきました。あるとき、お金持ちの夫人が病気になって死んでしまったので、その訳を神様に聞くと、その夫人は欲張りで山に草を取りに行くと食べられないほどとってきて家で腐らせてします。そのことを神様が罰したというのです。そして神様は独り占めすることの罪深さを戒めて言いました。「この世界には人間ばかりが生きているのではありません」と。アイヌは食べ物は人がみんなで分かち合うべきものだと考えているようです。
 それどころか、ほかの生き物への思いやりを忘れることがありません。野上さんが親しくしていて目の不自由なおばあさんは、自分が作った作物を秋になってスズメが食べようとすると、まだ熟さないうちに食べてはいけないよ、人が刈り取ったあとに残った落ち穂を食べなさい、それでも余るほどあるからおみやげに持って帰りなさいと話したそうです。
 アイヌの人々は「ウ・レシパ・モシリ」、つまり「互いに育て合う世界」という世界観をもっているのだそうです。自分がほかの生き物とつながって生きており、自分も育てられていると感じながら生きれば、ほかの生き物に思いやりを持つのはごく自然なことであるに違いありません。それは20世紀後半の北アメリカで興った「土地倫理」という哲学に通じるすばらしい世界観だと思われます。
 ひるがえって、私たちはタヌキのそばに暮らしながら、タヌキといっしょに生きているとか、互いに育てあっているという感覚を持てているでしょうか。
 アイヌの人々の哀しい歴史を思うとき、それを蔑視し、文化を消滅させたわれわれの社会の中に、過度の自尊性、利己性があることを認めなければなりません。民族問題と人と生き物の関係を混同してはいけませんが、根の部分でつながっていることはまちがいありません。私たちに他者への思いやりが欠ける傾向があることをよく自覚し、改めてゆきたいと思います。

つづく


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偏見からの解放

2017-02-10 08:35:15 | 生きもの調べ
 タヌキはこの本の「きも」に当たります。タヌキを知らない人はいませんが、それでいてタヌキを実際に見たことのある人は少ないし、ましてやその実像を知っている人はほとんどいません。
 一方、知らないながら、タヌキにはあるイメージがあります。まさかタヌキが化けると本当に思っている人はいないでしょうが、タヌキはお人好しで、小太りで、どこか愛嬌があって、愛すべき動物といったイメージがあります。それに比べればよく「タヌキとキツネ」としてペアでとりあげられるキツネはずる賢いというイメージです。それは、タヌキがよく太っていて、目の周りに黒い模様があって垂れ目の印象を与えるのに対して、キツネは細身で四肢が長く、「つり目」でシャープな印象を与えるためだと思われます(高槻。2016、「タヌキ学入門」、誠文堂新光社)。そうした印象から、同じ化けるのでもキツネは美人に、タヌキは小太りなかわいい娘にということになっています。あるいは「タヌキおやじ」といってでっぷり太った、人生の裏表を知り尽くしたような中年男がイメージされたりします。
 動植物との接点が大きかった時代には人々が実際に動物を見る機会も多かったので、たとえば「タヌキ寝入り」とか「キツネに化かされる」、あるいは「イタチの最後っ屁」などの表現が今でも残っています。かつてはこういうことばがリアリティを持っていたものと思われます。
 ところが、現代生活においては直接野生動物に接することが少なくなってしまったために、実像とイメージがつながらず、むしろイメージが誇大化する傾向があります。
 私たちには直感的に抱く印象があります。ウサギはかわいく、ヘビは気味が悪いとか、パンダはかわいく、ライオンは怖いなどというのがその例です。これは人には大きな目は赤ん坊を連想させてかわいいと感じるとか、鋭い目や牙には恐怖を感じるなどの、進化の過程で埋め込まれたものがあるのかもしれません。
 しかし、スズメはどうでしょう。私たちが子供の頃は動物を人間生活にとって有益であるか有害であるかで区別することがよくおこなわれました。鳥も益鳥と害鳥に分けられ、スズメは害鳥とされましたが、私にはスズメが悪い鳥には思えず、たまたま米を食べる性質をもっているために損をしているのであり、スズメそのものが悪いのではないと思いました。一方、小学一年生のとき、学校から帰る道でコウモリが弱って地面に落ちているのを見つけて、近づいて見たところ、黒っぽい毛が生えた体や鋭いキバからおぞましい動物だという強い印象を受けました。しかし後で知ったことですが、コウモリは漢字で「蝙蝠」と書き、その発音が福と同じなので、中国では縁起のよい動物と考えられていたのだそうです。こうした例は直感と作られた文化的なイメージにはときに乖離があることを示しています。
 本書で、糞虫についてページを割きました。昆虫好きの私には実験するときのイヌの糞に不快感を覚えながらも、糞虫そのものについては観察しながら感動することがたくさんありました。その感動をもたらすものはエンマコガネやセンチコガネの造形美にも、コブマルコガネの動きにもありましたが、それと同時に頭で考えて、生態系の中で物質循環における分解過程に貢献しているという生態学的な役割を知ったということにもありました。
 そのことは、何も知らないで「糞に寄ってくるなんてなんて汚い虫だ」と思うことといかに大きく違うことでしょう。そのように思うと、私たちはつねに動物を勝手なイメージで決めつけて見ているということ、そして、知らないということは偏見につながるのだということに気づきます。
 偏見ということで思われるのはこの十年ほどの世界の人間の動きです。同じ種である人間のあいだでさえ相手のことを知らないことで偏見をもち、それが昂じて暴力をふるうということが横行し、無数の悲劇を生んでいます。私たちは偏見を持たないようにするということを、教育を含めてもっと真剣に考えないといけないと思います。
 人間による動物への偏見は抜きがたくあるものですが、それでもタヌキのようによい印象を持たれている場合はまだよいとしても、ヘビやネズミや糞虫などのようにマイナスイメージを持たれている動物は、いるだけで嫌われ、場合によってはいるだけで殺されます。
 こうしたイメージは置かれた状況によっても変化します。人の親になり、子育てをすることになると、喜びとともにその大変さに気づきます。そして自分もこうして育てられたのだと親のありがたさを感じるものです。同時に、かわいいと思っていたスズメやテントウムシなども、ちゃんとした親であり、誰に教わることもなく子供を産み、育てていることに、改めて驚きます。驚くとともに「えらいなあ」という敬意に似た気持ちを感じます。
 思うに、動物を知るということは、勝手に持っていたイメージによる偏見が正しくないことに気づくことではないでしょうか。春になってさえずる小鳥を「春のよろこびを歌っている」と思うのは直感ですが、研究者はそれが繁殖期のオスが自分の縄張り宣言をしているのだということを明らかにしました。ハトは平和の象徴で、オオカミが残忍な動物の代表と考えられてきましたが、実はハトは種内できびしい殺し合いがあることや、オオカミは狩りをするために厳格な秩序をもち、リーダーは劣位のオオカミにいたわりをもつことなどもわかってきました。
 そういうことを理解すれば、自然科学というと、なにか冷たい、心のない行いのように思われるところがありますが、実は偏見を正すためのすばらしいおこないなのだということがわかります。そしてその底の部分には、動物への敬意があるのだということにも気づきます。「沈黙の春」の著者であるレイチェル・カーソンは次のような印象的なことばを残しています。

 海について書かれた世間一般の本のほとんどは、観察者である人間の視点から描かれており、その人間がみたものについて、印象や解釈が述べられている。しかし私は、そうした人間の目を通すことによって生じる偏見をできるかぎり排除しようと心にきめた。

つづく


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