玉川上水みどりといきもの会議

玉川上水の自然を生物多様性の観点でとらえ、そのよりよいあり方を模索し、発信します

2017年の観察会の記録

2017-12-31 01:01:01 | 観察会
2017年2月の観察会
2017年3月の観察会
2017年4月の観察会
2017年5月の観察会
2017年6月の観察会
2017年7月の観察会
2017年8月の観察会
2017年9月の観察会
2017年10月の観察会
2017年11月の観察会
2017年11月の観察会 年輪調査
2017年12月の観察会
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タヌキの糞からの検出物 2017年秋

2017-12-28 11:40:53 | 生きもの調べ
2017.12/28

津田塾大学で12月に回収したタヌキの糞からの検出物

 2017年12月5日に津田塾大学のタヌキのタメフン場から47個のタヌキの糞を回収して、主要な内容物を検出して出現頻度を比較した。この前には9月に回収したので、今回回収したのはおもに10月から11月にかけての期間中に排泄された糞である。
 糞は0.1mm間隔のふるい上で水洗し、残渣をシャーレに移して肉眼的に判別されたものを取り出した。判別されたのは動物質(甲虫、その他の昆虫、貝殻、哺乳類あるいは鳥類の骨、毛、羽毛)、種子(カキノキ、ブドウ、ムクノキ、ミズキ、ツルウメモドキ、不明種子)、人工物(プラスチック片、ポリ袋の断片)である。


タヌキの糞から検出された動物質


タヌキの糞から検出された種子

 結果は次のとおりであった。もっとも頻度が高かったのはカキノキ種子で、出現頻度は78.7%に達した。ついで骨の40.4%であった。またブドウの種子が34.0%であったほか、ムクノキが12.8%、鳥の羽毛が10.6%であった。そのほかは10%未満であった。人工物はプラスチックもポリ袋も10%未満と低頻度であった。



 このことから、この季節の津田塾大学のタヌキはカキノキを非常によく食べていたことがわかった。ブドウの種子は野生のヤマブドウなどではなく、栽培ブドウであり、あるいは人の食べ残しなどを食べたのかもしれない。骨も高頻度で出現したが、ネズミ類のような小さい骨ではなく、中型哺乳類やハト・サイズ以上の鳥類の骨と思われるものであった。
 人工物が少なかったのは、これまでの結果と同様であり、津田塾大学のタヌキは人工物に依存的ではないことがわかった。
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自然の話が聴こえた

2017-12-21 21:32:04 | 講演



2017年12月21日に地球永住計画の連続講義で「自然の話が聴こえた」と題して講演をしました。はじめに、講座終了後にもらった参加者からの感想を紹介します。

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参加者からの感想(お名前は省略)

-- 私は「理系の人」は違う人種みたいな気がして、近づきにくいという苦手意識がありました。でも今日のお話からは、心が温かくなる話題が次々にでてきて、生き物を調べるって愛情のあるおこないなのだと感じました。とてもユーモアがあって楽しかったです。それに「理系の人」がギターで歌を歌うなんて思ってもいなかったので、びっくりしましたが、その歌がお話とぴったりで、いっしょにうたいながら泣きそうになりました。

-- 実際にひとつひとつ解明してゆく成果の偉大さに脱帽します。「知ることが偏見をとく」ということばが私にとって重く響きました。高槻先生の多才さは、多方面に対する好奇心ゆえであると痛感しました。

-- 歌も写真もとても素晴らしかったです😊。イラストを描いたり、子供さんに向かってタヌキや自然のことを教えられるのは高槻先生にしかできないことです。糞は自然に分解するのが理想なのだとよくわかりました。「糞土師」の野沢さんと対談してほしいです。何曲もうたってください。

-- お会いしたかった先生のお話が聞けてうれしかったです。話の最後にカーソンのことばを使う人は今までもいましたが、先生の講演ではイヤミなく、気取りもなく、心から納得できました。

-- 専門家のお話を聞けると気負ってきたのですが、初めのところで「ノートを準備している人がいますが、知識を得て知的になろうなどといういやらしい考えは改めて、ボーッと聞いてください」と言われたので、リラックスしてきけました。そして、聞いたあとで、身近な玉川上水の話が、こんなに深い話にまで掘り下げられるのかと感銘しました。

-- 前回と同様にすばらしい話をありがとうございました。日々ただボーッとした生き方をしている私からすると、コツコツと調査を継続していらっしゃる先生の姿勢には尊敬しかありません。今日聞いた考え方などを自分の生活にいかせるようにしたいと思いました。「ビリーブ」が坂本龍一の曲だと初めて知りました。
たいへん失礼しました。これは私の思い込みで、正しくは杉本竜一でした(高槻)。

-- 歌までうたって、聞けてお得でした😀。ありがとうございました。

-- 先生自身は最後に「長くなってすみません」といってましたが、きく方からすると、ぜんぜん長いと感じなかったし、無駄な話はまったくありませんでした。もっと聞きたいくらいでしたよ。

-- 私は動物が好きで、今日はタヌキの勉強をしようと思ってきたのですが、タヌキのことだけじゃなくて、植物の話もきけたし、最後のほうではアイヌの話や、カーソンの話もでてきて、人が生きることにまでつながっていました、その話が、みな自然につながっていて、すーっと理解できました。

-- 初めから最後まですべてが完璧だと思いました。ひとつの芸術作品そのものだと思いました。最後の歌のところでジーンときて感動しました。

-- シメの歌がとてもよかったです。専門的な知見をうまく心に届ける手立てのひとつは音楽ですね。絵もしかりだと思います。両者がうまくマッチした、とてもすてきな講座でした。

-- スライドが非常にわかりやすくて、お話もおもしろくて、あっという間の2時間でした。

-- とてもおもしろく勉強になりました。いつも論文でお名前を目にしている高槻先生がどれだけ自然を愛し、動物・植物のことを考えていらっしゃるかが伝わってきました。私は現在、宇都宮大学で奥日光の森林植生の変化について研究しています。植生変化はシカの影響が顕著にでているので、高槻先生の論文をたくさん読んで参考にさせていただいています。また、来年度から野生動物調査の会社で働くので、タヌキの食性や糞の話がきけてとてもよかったです。私も、先生のように自然を想う気持ちをわすれずに動植物と向き合っていきたいと思います。また、このような講義があれば、ぜひ参加します。ありがとうございました。

-- タヌキの糞を調べることで食性がわかり、その場所の植物のことがわかるということにつながっていることに驚きました。私はテレビ番組の制作会社に勤めているので、「自然番組のネタはないか」というヨコシマな気持ちでお話を聞いたのですが、反省しました。自分の目で見る、「会話」するためには「単語」を覚え、文法をマスターしなければならないという言葉が心に刺さりました。

-- 科学的に目で見ながら、イラストや和歌、人形や歌で表現されて、わかったことや思いが伝わってくるのがすばらしかったです。自分の目で観るとらわれない自由さが(関野先生もそうですが)高槻先生の魅力ですね。「偏見は知らないことから生まれる」という言葉はすべてに通じていて、大事なことだと、改めて思いました。


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内容は昨年のものと重なる部分が多いので、違いのあるところを中心に簡単に紹介します。

 私が玉川上水の生き物調べを始めたのは、景観としての緑地ではなく、生き物のすむ場所としての緑地としてとらえてみたいと考えたからです。そのとき、珍しい生物だからではなく、むしろその逆で、ありふれている、あるいは誰にも顧みられない、さらにいえば嫌われている生き物に注目したいと思いました。そういう考えから、タヌキをとりあげました。タヌキは誰でも知っているようで、実は誰もその実態を知らない動物です。玉川上水は江戸時代には面積の半分は畑で、残りの半分は雑木林であったことがわかっています。しかしその雑木林は戦後に減少し、断片化しました。玉川上水はやせ細っていきました。タヌキはそこに逃げ込むように生きています。そのタヌキはいま道路建設という危険に直面しています。



 タヌキの「いる、いない」を、玉川上水と周辺の孤立緑地を比較すると、玉川上水のほうが撮影率が高く、玉川上水の連続性がタヌキの生息にプラスになっていることがわかりました。


玉川上水と孤立緑地でのタヌキの撮影率

 調査をするにあたって、私は緑の残っている津田塾大学に着目しました(こちらもどうぞ)。調べてみたら、確かにタヌキがいました。そして、タメフン場をみつけて、マーカーによってしらべたら、その動きがわかってきました。とくに力を入れたのは、糞を分析で、これにより、タヌキの食物の季節変化が明らかになりました。タヌキは果実を軸とし、果実がなくなる冬や春に哺乳類や鳥類を、春と夏には昆虫を食べていました。


津田塾大のタヌキの糞組成の季節変化

ただし、津田塾大のタヌキがよく食べる果実はギンナン、イチョウ、ムクノキなど高木種に限定的で、郊外で多かったキイチゴ類などは食べていませんでした。それはなぜか?
 ここで重要なのは、糞から出てきた小さな種子の名前がわかること、それだけでなく、その種子を含む果実、その果実をつける植物がどこに生え、どういう育ち方をするかという知識がないといけないということです。私は日々、果実や小動物の標本を作っていますから、種子の多くは名前がわかり、その植物の生育状態がわかります。だから、糞を分析すると、そこからさまざまなストーリーが読み取れるのです。それはとても楽しい作業です。


果実と種子の例

 今年になって何箇所かで森林の調査をしました。下生えの調査をしたところ、玉川上水の落葉樹林では落葉低木が多いのに対して津田塾大では量が少なく、アオキなどの常緑低木が少しあるだけでした。それはなぜか?


玉川上水の落葉樹林(右)と津田塾大のシラカシ林(左)の下生えの量と内訳

 森林を構成する樹木の調査をすると、玉川上水ではコナラなどの木が多いのに対して津田塾大ではシラカシが多く、しかも世代交代もおこなわれていることがわかりました。それはなぜか?


津田塾大学での樹木調査


玉川上水(凡例では「中央」とした。これは玉川上水の小平市中央公民館近くのこと)と津田塾大の林の木の太さを太い順に並べた図。常緑樹が濃緑色。玉川上水では常緑樹は細い木だけだが、津田塾大では全体に常緑樹(シラカシ)が多い。

 津田塾大学の記録を調べたら、1929年に都心から移転したとき、砂埃がひどいのでシラカシを植林したという記録がありました。


1929年に撮影された津田塾大学の写真。周囲は畑と雑木林で一軒の家もない。

そのときの木が育って、いま100歳の立派な林に育ったのです。そのために林は暗く、常緑低木しかないために、タヌキは高木の果実が落ちてきたものを食べるしかないというストーリーが読み取れました。
 そこで、これを論文に書きました。観察会の成果が論文となったことはうれしいことでした。



 タヌキの食性の論文といえば、1年前に天皇陛下が皇居のタヌキで、同じ糞分析をして論文を書いておられます。



思えば、世界広しといえど、タヌキの糞をひろって分析する人などそうはいません。それを天皇陛下がしておられることを知り、私は「同志」のような共感を覚えたのでした。そこで私は次のような短歌を作りました。



 さて、タヌキは果実を食べて栄養を得ているので、食べることを通して得をしていると思いがちですが、植物からすれば、ただ果実をプレゼントしているわけではありません。植物側からみれば、果実を提供して、タヌキを利用して種子を散布させているわけです。



実際、タヌキのタメフン場にはムクノキなどの芽生えがたくさんあります。これによりタヌキが森林で種子散布という役割を果たしている、という話が聴けました。

 タヌキが糞をすると種子が運ばれますが、それと同時にその糞を利用する糞虫がいる可能性があります。そこでトラップを作って玉川上水に糞虫がいるかどうかを調べたら、コブマルエンマコガネがよくいることが確認されました。コブマルエンマコガネを飼育したら、ピンポン球ほどの馬糞を1日でこなごなにばらすことがわかりました。


ピンポン球くらいの馬糞をおいた容器に5匹のコブマルエンマコガネを入れたときの分解過程

その動画を紹介したら、会場から拍手が起こりました。

 次に、糞虫もタヌキと同様、孤立緑地ではいないことを確認しようとしました。ところが調べれば調べるほど小さな緑地にも糞虫がいることがわかりました、最初は腑に落ちなかったのですが、44箇所も調べて37箇所にいたので、糞虫にとっては玉川上水がほかの緑地よりもすみやすいとはいえないと結論せざるをえない、つまり私の予測はまちがっていたということがわかりました。
 いずれにしてもタヌキを中心に動物や植物がつながりをもっていることがわかり、「自然の話が聴こえた」と思いました。


玉川上水のタヌキを軸とした生き物のつながり

 こうした調査をする過程でイギリス国営放送(BBC)の取材を受けました。講演ではそのときの取材のようすを紹介しました。私はイギリスの研究者との対話を通じて、自分が日々、標本を作ったり、分析をしたりしてきたことが、国際的に「通じた」と思いました。


クリス・パッカムと玉川上水を歩く


クリスに狸というじを書いて里の哺乳類だという説明をする

 それから2つの子供観察会のようすを紹介しました。ひとつはタヌキの糞分析、もうひとつは糞虫の観察です。
 糞分析のときは、子供にタヌキの話をして、笹薮をかき分けながら進んでタメフン場に行きました。







そしてセンサーカメラの結果をみたり、糞を水洗いして中身を拡大鏡でみてもらうなどしました。

また頭骨の観察もさせたので、子供はしたことのない体験に大喜びしていました。最後に「タヌフン・ミニ博士認定証」と手作りの紙粘土のタヌキをプレゼントしました。これは私にとって初めての、とてもよい体験になりました。



 夏には糞虫観察をしました。



前日にトラップをしかけたところ、9個のトラップ全部に8匹くらいのコブマルエンマコガネが入っていて、子供たちはとてもよろこびました。


トラップにはいっていたエンマコガネ

それを武蔵野美大にもっていって、顕微鏡でみてスケッチを描いてもらいました。



すばらしい作品でした。



この観察会では発泡スチロールでタヌキの模型を作って消化のようすを説明し、100円ショップでみつけた細長い風船と空気入れで、腸の説明をしました。



また紙粘土で糞虫の拡大模型を作りました。


紙粘土で作ったコブマルエンマコガネの模型

最後に糞虫と犬の糞をお土産にわたしました。あとですてきな手紙が届きました。


糞を渡されて鼻をつまむ男の子



 子供観察会は子供たちの心に生き物すばらしさを残したと思えました。

 次に玉川上水での訪花昆虫の調査結果を紹介しました。さまざまな花にさまざまな昆虫が来るが、花を皿形と筒型に、昆虫を蜜を舐める口をもつものと、吸い上げる口をもつものに分けて整理すると、なめる昆虫は皿形によく訪問し、吸う口をもつ昆虫は筒型に多いものの、皿形にもよく来るという結果がえられ、合理的な説明ができました。このことも生き物がつながっていきているという「自然の話が聞けた」例といえます。



 玉川上水の野草はその上に生える木の影響を受けます。したがって森林の管理は花だけでなく昆虫のありかたに影響するわけです。そこでチームを作って玉川上水沿い30kmをあるいて花の分布状態を調べました。こうして作った「花マップ」がちょうど印刷できたので、紹介しました。
 
 このあと、こうした活動を通じて考えたことを話しました。重要なことにしぼって紹介すると、ひとつは、私たちはきれい、きたない、かわいい、君がわるいなど、見かけで、あるいは見もしないで偏見を持ちがちです。しかし糞虫の例でみたように、正しく平明な目でながめれば、きたないどころか偉大な役割を果たしていることがわかります。つまり、知ることは自分が陥りがちな偏見から自分を解放させてくれるということだと思います。知るためには心を平明にして科学的な態度をもつことが一番力になると思います。

 その意味で、レイチェル・カーソンの「地球は人間ためのだけにあるのではありません」ということばと、それとまったく同じことばをアイヌが語っていたことを紹介しました。また、小さな鳥であるミソサザイの話をしました。美しい森にクマが現れての乱行をしました。それをおさえるためにミソサザイが奮闘し、クマを成敗したとき、サマイクルの神がその勇気を讃え、小さいからといってバカにしたり、偏見をもつことはよくないと言いました。またホタルがクマの目のまわりで光って弓をいるときの目印にしてこれた、これは神が小さくても無駄なものは作らないことの例だと語りました。これこそが私が学んでいる生物多様性の最も重要な概念だと思います。











 そう考えると、ここまで残された玉川上水をこれ以上破壊してはならないし、そのための努力をしなければならないという思いを強くします。アマゾンの森林破壊についてE.ウィルソンは「アマゾンの森林を伐採することは、ルネサンスの名画を燃やすような愚行である」という意味のことを言いました。

 私はまだ地球永住計画という大きなプロジェクトを理解できていませんが、玉川上水で生き物を調べることは、どこかで人間と自然のありかたを考えることにつながっているのかもしれないと感じています。こうして話を結びました。

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 いつも「質問はありませんか」という関野先生が「去年は歌がありましたが、今年はないんですか?」と言いました。実はギターを密かにもってきていたのを、めざとくみつけておられたようです。それで準備していた「ビリーブ」という歌を歌いました。歌うときに、モンゴルやスリランカで写した写真を紹介しながら歌詞とギターコードを確認しました。



 玉川上水の話をしたあとだったので、
「世界中の希望をのせて、この地球はまわってる」
「世界中のやさしさでこの地球を つつみたい」
「いま素直な 気持ちになれるなら 憧れや 愛しさが大空に はじけて耀るだろう」
といった歌詞が心に共鳴しました。



うたいながら、会場の皆さんも大きい声でうたってくださったのがわかったので感動しました。

そのあとで質問を受けました。




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12月の観察会

2017-12-11 07:55:52 | 観察会




寒くなりましたが、スカッと晴れた青空の日でした。鷹野橋から、いつも歩く北側ではなく、今日は南側を歩きました。日当たりがよいので、果実が多いと思ったからです。しかし思ったほどはありませんでした。
 まずあったのはナンテンでした。


ナンテンを見る

「ナンテンは常緑なので、緑色に赤い果実が映え、縁起物として正月に飾られます。鏡餅とナンテンはいかにも日本的ですが、考えてみればクリスマスカラーは緑と赤でまったく同じです。クリスマスカラーはセイヨウヒイラギから来ています。クリスマスツリーにしても、セイヨウヒイラギにしても北ヨーロッパのもので、樹木信仰が強い文化です。ヨーロッパで強い影響力をもつようになったゲルマンより自然への距離が近い」
リーさんが
「さっきゲルマンと違うっていってたけど・・・」
「うん、幽霊とか妖精とかが存在感のある世界。アイルランドなんかもそう。これに対して、ゲルマンは宗教でもルターがやったように理屈っぽいでしょう。音楽だってそうだ。論理で納得させる。それが技術と結びついて産業革命を起こして世界を変えていき、明治日本はそれにとびついたわけだけど・・・・」
「もともとはどの民族も自然を大事にしていたんじゃないかと思うんですけど・・・」
「そう、みんなそうだった。でもゲルマンはそこから離れる傾向が強かった。近代日本はそのゲルマン的西洋世界を追いかけ、アニムズム的旧世界を捨て去ったのは、大きなところでまちがっていたところがあると思うな」

 さらに歩くとヒイラギがありました。ボードに「柊」の字を書いて
「これ読める人」
といったら、なんと朝鮮の小学生が
「ヒイラギ」
と答えました。3年生くらいだと思います。日本語は完全で、もちろん朝鮮語も話せるのですが、どちらかというと日本語のほうが使い慣れていて、頭で考えるのは日本語だということでした。
「ヒイラギはセイヨウヒイラギとは違います。日本のヒイラギはこういう具合に歯にイガイガがあって触ると痛いですが、年をとるとカドがとれます(笑)。セイヨウヒイラギはIlexという属で、モチノキと同じです」
確認のためにスマホで確認すると、セイヨウヒイラギはIlex aquifolium、モチノキはIlex integraでした。「aquifoliumは水・葉ということ、アクイはアクアリウムなどのアクアで水です。フォリウムはフォリアつまり葉の格変化です。モチノキも緑の葉を背景にした赤い実はとてもきれいです。モチノキは餅の木で、枝をこねまわすとネバネバした液がでてきて、それが餅のようにネバネバするからです。子供の頃、年長の子供がこれでメジロをとっていて、すごいなと思いました」
「へえ、モチノキの意味を初めて知った」

 しばらく行くとツルウメモドキが赤い実をつけていました。「赤い実」というのはじつは正しくありません。果実というのは種子とその付属物で、この日観察したのは多肉果です。代表的なものとしてサクランボをとりあげると、赤い果皮があり、内側に甘く多汁質な果肉があり、中に硬い種子があります。それと比べるとツルウメモドキは果肉はなく、黄色い果皮は硬く、たべてもまったく栄養はなさそうです。それに、内側の赤い「実」が熟す頃には下に落ちてしまいます。ややこしいのはこの「赤い実」は種子で、種子の外側が多肉質になっていることです。これは「仮種皮」といいます。形態学的にいえば種子の一部ということになります。しかし植物学的なことを離れれば、鳥にとってこれは「果肉」そのものであり、種子散布という現象からすれば、果肉の機能をしているということになります。


ツルウメモドキを採集する関野先生


ツルウメモドキ

 それに前後して、ムラサキシキブ、ネズミモチ、ヤブラン、マユミ、ゴンズイ、サネカズラなどがあり、計測のために少し採集しました。


ムラサキシキビ

ネズミモチ

ヤブラン

マユミ

ゴンスイ

サネカズラ


果実の説明をする

 サネカズラはビナンカズラともいいますが、これは油をとって整髪料に使ったからだそうです。あとで足達さんが調べたら、万葉集に以下の歌があるそうです。

   名にし負はば 逢坂山のさねかづら    
   人に知られで くるよしもがな            
     三条右大臣(25番) 『後撰集』恋・701

想像するに、「あの有名な逢坂山のさねかずらよ、人に知られないでこれたらよいのに」というような意味のようですが、サネカズラとどうつながるのかわかりません。少し調べると、「さねかずら」とは「小寝葛 」つまり「ともに一夜を過ごす」という意味があるのだそうです。私は「さね」は種だと思い込んでいたのでびっくりです。これが正しいとすると、サネカズラはベッドインを象徴する植物ということになります。そう思うと、カズラそのものがからまるものであってなまめかしさの含意があるようで、むしろいやな感じがします。(文末の補遺参照)
 古代の歌には今の感覚でいうと、なまなましくてはばかられるようなことが平気でかかれますが、それは現代人のほうがいやらしいのかもしれません。
 江戸時代に銭湯が混浴であるのをみた西欧人が
「日本人は倫理観のない恥知らず」
といったそうですが、言われた日本人は
「男だろうが女だろうがいっしょに風呂に入ることの、どこがいけないんだ」
とポカンとしていたそうで、いやらしいのは西洋人の方だというのを読んだことがあります。
 以下の話題は私の記憶をたぐるので不正確ですが、そのつもりで読んでください。文部省唱歌の「蛍の光」は2番までしか歌われませんが、3番は次のとおり、

   筑紫のきわみ みちの奥
   海山遠く 隔つとも
   その真心は 隔てなく
   ひとつに尽くせ 国のため

 実は日本が日華事変で領土を拡大するたびにこの歌詞は変化し、一時は台湾や樺太まで含まれました。文部省の唱歌を選ぶ委員会だかなんだかは、「よい国民」を育てるためといって、男女のことに関する歌詞は一切排除しました。だから日本では長いあいだ、学校でうたう歌と町でうたう歌は違うものでした。「蛍の光」の3番は九州から東北までですが、遠く離れていても「そのまごころはへだてなく」で、これは男女のいやらしい心を歌ったものであるとして不採用になったそうです。どこがいやらしいのかと思います。これをいやらしいと感じるほうがいやらしいわけで、混浴をみた西洋人のことで連想しました。

 それから武蔵野美大に移動して、流しのある教室を貸してもらいました。はじめに果実の計測をすることにし、黒板に説明を書きました。



去年、同じように黒板に書いた図で、果実の大きさと種子の大きさを大きいものから並べると、果実の大小は種子の大小ほどは違いがないだろうというもので、それは実際に結果で支持されたという話をしました。



なぜそうであるかは、系統の違うさまざまな花は子房の形もさまざまですから、種子の数や大きさもさまざまなはずです。それが鳥に食べてもらうという共通の目的の結果、5-10mmの大きさの多肉果になったはずだという話です。
 その説明をしてから実際に計測をしてもらいました。



この結果は「都会の自然の話を聴く」にも紹介しました。今回、これに追加のデータがとれたというわけです。


 計測が終わったので、お昼にすることにしましたが、天気がよいので芝生で食べることにしました。





 それから教室にもどり、今度は津田塾大学で採取してきたタヌキの糞を水洗することにしました。というのは、これまでの調査で津田のキャンパス内にソーセージにプラスチックのマーカーを入れておいておいたら、タメフンからマーカーが回収されて、タヌキの動きを推察する調査をし、わりあいうまくいったのです。それで今年はキャンパス外にも出るかどうかを調べようと、11月26日に津田塾大学の南の玉川上水沿いの4カ所にマーカーを入れたソーセージを置いたのです。しかし全部で40枚、回収率は5%くらいなので出ても2枚くらい、あまり確率は大きくないが一応それを調べようというわけです。12月の5日にタメフン場の糞を回収しておきました。



 その糞をひとつづつとりだして、ふるいの上にのせ、水道水を流しながら歯ブラシでほぐすと中身が出てきます。
「ピーナツチョコってあるでしょう。糞はあれみたいなんだ。消化されなかったものがピーナツ、体内の老廃物などがチョコでこういうのをマトリックスという。水洗はこのチョコを流してしまうわけだ。そうするとくさい匂いもしなくなる」


水洗したふるい

そうしたら少年二人が「やりたい」といって洗ってくれました。すぐに大きなカキの種子が出てきました。
「あ、カキのタネだ」
お菓子の「カキノタネ」を連想して笑う人もいました。
少年たちが洗うのの脇で糞をみながら
「この匂いははなんだっけ、うーん、カツオブシと通じるものがあるわね」
「ええ、そんなあ・・・・。あ、わかる」
「でしょ」
「よくわかんない」
「それじゃだめよ、鼻がくっつくくらい近づけなくちゃ」
と、どう聴いてもまともではない会話が進んでいました。

だいたいはカキの種子、ときどき、栽培種としか思えない大きなブドウの種子、ムクノキの種子などもでてきました。
リーさんも洗いましたが、
「あ、これ骨みたい」
というので覗いてみると、ネズミの上腕骨と思われるものがありました。それから白い半透明なふにゃふにゃしたものがあり、よく腸管がそういいう状態で出るのでそう思っていましたが、末端が硬いというのでよくみると骨でした。非常に複雑に組み合わさっており、手根骨か足根骨とそれにつながる尺骨か橈骨の破片が関節していました。また湾曲した糸状のものを拾いあげましたが、その糞には羽軸があったので、それが羽毛であることがわかりました。濡れていたので糸状に見えたのですが、「乾かせば羽とわかるよ」といったら伊沢さんが乾かしたあとあ、フーフーと吹いて乾燥させたので、羽毛であることがはっきりわかりました。



 糞を分析して、たとえばネズミの体が出てくると、この糞をしたタヌキがネズミを食べた、それは死体なのだろうか、どういう状況だったのだろうかなどと想像します。小さな破片から知らなかった世界が広がるような気持ちがするものです。



 結局マーカーは見つかりませんでしたが、糞分析の体験はできたのでよかったと思います。

この日の夜、リーさんからメールが届きました。

+++++++++++++++++++++++++++
今日も色々と収穫多き1日でした。特筆すべきは、タヌキの糞の洗い出しです。
高槻先生が、シャーロックホームズという名前を挙げましたが、まさに探偵のように、小さな破片から手がかりをつかんでいく楽しさを感じました。
 どろっとした塊と、直径1ミリにも満たない細長い白いチューブから、何か小動物の内臓だろうなと思いました。「見つけたぞ」と嬉しくなり高槻先生に見てもらおうとワクワクしました。洗い進むと、どろっとしたものの中に硬いものを発見し、それが手の付け根の骨であり、細ながいものは、腸ではなくて腱だということがわかったことも、驚きでした。
 その後、極小の羽を見つけた時もかなり興奮しました。フサフサの部分が濡れて軸にくっつき羽の形はしてなかったので、はじめはゴミかなと思いました。でも、「まてまてもう少しよく見てみよう、なにかかもしれない。」と見ているうちに羽の軸かもしれないなと思いあたりました。洗って羽の形が現れた時には宝物を見つけたような気分でした。
 あのタヌキの糞を洗うという不思議な体験は、高槻先生に出会わなければ一生やっていなかったことなのだな〜と思いました。何度か高槻先生が歯ブラシで糞を洗っていたのは見てはいましたが、調査のためにやっていることで、楽しいことのようには思えませんでした。帰ってきて、じんわり今日の興奮を思い返しながら、こういうことだったのか〜と納得しました。

リー智子
++++++++++++++++++++++++++

 たしかに、こんな体験はふつうの人はしません。ある体験をしたあと、それまでになかった世界が見えるというのがすばらしい体験なのだと思います。


今回の参加者

いつもながら豊口さんと棚橋さんの写真を使わせてもらいました。ありがとうございました。

++++++++++++++++++++++++++
<補遺>

サネカズラのサネを「小寝」ととるのは無理がある、というのが私の最初の印象でした。「さゆり」とか「さおとめ」とかいいますが、あれは小さいとかかわいいとかいう意味で、「さ」にはそういう意味があるとは思いますが、同じ意味で「小寝」というだろうか。いうとしてもそれが「ちょっと寝る」という意味だとすれば、意味がわからず、そんな言い方はしないだろうと思ったのです。
 便利な時代で少しネットで調べてみました。東歌に

   さ寝(ぬ)らくは玉の緒ばかり 恋ふらくは富士の高嶺の鳴沢のごと

というのがあります。意味は「ともに寝たのは短かった」ということで、これは東歌なのでなまりがあり、「さぬ」は「さね」ということらしいです。こういうときの「さ」は意味がなくて、歌のリズムを整えるだけなのだそうです。そうであれば「さねかずら」は「ねかずら」で、「寝るつる植物」ということになります。そうすると、「名にしおう」も「有名な」ではなく、「名前が寝るかずらとついているのだから」というようなことで、同じ音なら意味をもつはずだという今の日本でもさかんにおこなわれること(タイはメデタイに通じるなど)と通じることになります。
 それで、サネカズラの歌が男女の恋情を歌ったものであることは「あり」とします。ただこれは百人一首で、実体験や直感よりも、教養をひけらかしたり、技術をもてあそんだりする精神から作られたものだということを忘れてはいけないと思います。後半の「くる」も「来る」と「繰る」の両方の意味をからませているという説明もあります。今も昔も日本のキョーヨージンはそういう小手先の、本質的でないことに一喜一憂するところがあるように思います。
 その点、万葉はすなおで、とくに東歌は実に気持ち良いものがあります。

   下野の安蘇の川原よ石踏まず 空ゆと来ぬよ 汝が心告(の)れ

これは次のような意味のようです。

下野の安蘇の川原よ、そこにある石を踏まないで、空をとんで来たよ お前の心を言ってくれ

これは本当にあったことそのものだということがじかに伝わってきます。若い男が、あの娘に会えると川原を走ったが、石がでこぼこあって滑ったり転んだりした。ああ、もうこんな川原を走らないで、空を飛んで行きたいよ。そんな気持ちでここに来てお前に会えた。さあ、心を言ってくれ、ということでしょう。ある人はこの最後の部分を「俺が好きだか!」と訳していました。
 この歌を知ったとき、私の中でスピッツの「空も飛べるはず」が連想されました。「君と出会った奇跡はこの胸に溢れている。きっと今は自由に空も飛べるはず」。そういえばスピッツはこの武蔵野美大の卒業生でした。タヌキの糞を洗った部屋で勉強したかもしれないし、芝生で弁当を食べたかもしれない。これも不思議なことに思えます。

 古歌を現代の研究と結びつけるのはいかにも強引ですが、荒削りでも、しかし自分の体験そのものを追求した研究と、あれこれ周辺の論文をたくさん読んで、だから私の研究は意味があるのですというような研究を比べると、長い時間が経つと前者のような研究が生き延び、力をもつものです。日本の若者には後者が圧倒的に多い。

 えらく脱線しました。



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