玉川上水みどりといきもの会議

玉川上水の自然を生物多様性の観点でとらえ、そのよりよいあり方を模索し、発信します

2017年11月の観察会(2)年輪調べ

2017-11-26 21:10:34 | 観察会
11月26日に今月2回目の観察会をしました。今回は切り株の年輪の読み取りをしました。

 鷹野橋の近くにムラサキシキブの果実がきれいな紫色になっていました。


ムラサキシキブ

踏切のところにはシャクチリソバが咲いており、一部に果実がなっていたので「ソバ」が3稜形を示すことを説明しました。

  

 中央体育館のところでスイカズラの説明をしました。ホワイトボードに「忍冬」と書きました。「スイカズラのことをこう書きますが、冬の間、緑の葉をつけてなんとか冬を越すということだと思います。この枝先には楕円形の葉がついていますが、下のほうに葉は深い切れ込みがあります」
「あ、ほんとだ」
「なので、知らないと違う植物の葉だとまちがえますが、よく表面の毛のようすなどを見ると同じものであることがわかります。玉川上水には柵があるのでつるとして上に伸びていますが、じつは林の下にたくさんあって、横に伸びています。からまれるような上に伸びたものがあるとスルスルと上に伸びるわけです」
 見るとウグイスカグラがあったので、葉の質感や対生である共通点を説明して
「似ていますよね。どちらも同じLoniceraという属です。」
今日、はじめて参加した人の中に玉川上水を英語で解説する準備をしているという人がいたので
「おもな植物の属名を覚えておくと、海外の人と会話が進みます。北半球では植物にも共通のものが多いから、種の名前まではわからなくても、属がわかっていれば、通じます。そこから共通の話題が広がるものです。ぜひお薦めします。」
 「ここにはコナラの木がたくさんありますが、ナラはQuercusといいます。英語ではoakですが、これはよくカシと訳されます。でもこれはまちがいといえばまちがいです。というのはカシは常緑で、漢字では樫と書くので、イメージとしては暗くてどっしりとした木をイメージします。でもoakは落葉で新緑のさわやかな明るい林を作る木というイメージで、カシとは全然違います。
 ところでコナラはQuercus serrataといいますが、serrataというのは葉の縁のギザギザのことです。話はずれますが、フクロウの翼にはこの構造があってセレーションserration構造と言われます。これがあるために消音効果があり、それによってネズミに気付かれずに襲うんです。新幹線のパンタグラフにもこれを応用した加工がしてあって音が小さくなっているそうです。



 ついでに、ギザギザがないのを全縁といいます。この「全」というのは「まったき」という意味で、人は生きているうちにいろいろつらい体験をしたりしてなかなかまっすぐには生きられないものです。そういう苦労なくまっすぐに生きる私のような人をまったき人というんですよ(笑い)」
 「全というのは<全部>などに使われます。すべてという意味ですが、これはひとつもこぼれがない、つまれとりあげかたが完璧、まったきことだということでしょう」
「へえ」
「話がとまりませんから、先に進みましょう(笑い)」





色づく玉川上水の林

 久兵衛橋まで行き、下見で見つけておいた切り株の年輪を調べることにしました。はじめに木の年輪の概説をしました。それから、今日の調査の目的を話しました。
 「玉川上水は1653年にできたのだから400年近いわけです。上水ですから水を清潔にしないといけないので、木は小金井のサクラをのぞいて伐採され、下生えも年2回強制的に刈り取りをさせられたそうです。戦後は上水の機能を終えて、緑地として木は伸ばすようになりました。だから多くの木は70歳以下のはずです。以前に調べたグラフをみると、たしかに直径50cm以下のものがほとんどなのですが、少しだけこれを上回るものがあります。種ごとにみると、クヌギ、コナラの一部などに太いものがあります。これは戦前からあったと思われ、木はすべて伐り取っていたわけではないように思います。このことは気になっていましたが、今年ここの木が切られたので、年輪を調べることにしたというわけです」





 直径20cmくらいのコナラがありましたが、切り口に透明なプラスチックのようなコーティングがしてありました。切り株が腐らないようにしたのかもしれません。そのため、もともと読み取りにくい年輪が読めないようなので、もっと太いケヤキを調べることにしました。これは周が166cm(直径53cmほど)ありました。中心に小さなクギを立て、そこから凧糸を張り、中心から5本ごとに線を引くことにしました。対岸にも2本切り株がありました。これらは直径49cmほどでした。そのほかにも直径20cmほどのケヤキがあったので、それも調べました。
 私が調べた直径20cmの細いものは63本の年輪がありました。まちがいなく戦後のものです。
 4本のケヤキに参加者をあてがい、年輪数をかぞえ、5本ごとに中心からの距離を測定してもらいました。これらはすべて60本台でした。切り株の高さを考えると正確な年齢にはならないので、ほぼ同世代と見てよいはずです。





「あー!」
関野先生が声をあげました。どうやらルーペが落ちてしまったらしく、玉川上水の川底に見えました。リーさんが自宅にもどって長靴をもってきました。急斜面を降りて、無事に拾えたらしく、うれしそうな顔をしました。



 そこでの作業を終えて下流の鎌倉橋に行きましたが、そこには細い切り株が1本あっただけなので、旧小川水衛所の近くに行き、大きなケヤキを測定しました。これは直径が64cmありました。久右衛門橋のところは急斜面だったので測定しなかった松岡さんに測定を任せました。





 結果は年輪が125本もあり、今日の最高齢でした。外側から数えて、30本のところで、
「この辺であの人たちが生まれたんだ」
「この辺で私が生まれて、ここまでくると太平洋戦争、このあたりが大正で、これより先は明治だな(笑い)」
なんだか不思議な気がします。
 こうして5本のケヤキを調べました。意外なことに久右衛門橋の太さはずいぶん違うのにいずれも60歳台でした。幹を単純に円形とみなし、中心から半径を計算して、年齢数で割ると1年の伸び(太さの半分)が計算できます。それをみると細いものから年率、1.7mm、3.6mm、3.9mm、4.3mmとじつに倍以上の違いがありました。最後の1本は2.6mmで、やや成長がわるいものでした。環境にさほどの違いがあるとは思えず、その木が明るいところに育ったか、上に大きな木があったために成長が悪かったといった違いによるものと思われます。私は太さと年齢がほぼ直線関係にあると予想していたので、それはまったくはずれたということになります。

ケヤキの測定値


 しかし「戦前も一部の太い木は残していたはずだ」という推察は支持されたことになります。玉川上水にはこれより太いケヤキはあちこちにあります。太さはすなわち年齢ではないとはいえ、直径1mもある木が戦後の70年で育つはずはありませんから、まちがいないと思います。
 玉川上水を歩くと赤いテープを巻いた木があります。これは「伐採予定」という意味です。さまざまなことを考慮しての伐採でしょうが、せめて伐採された木の年齢を測定することは記録として残しておきたいと思います。玉川上水の多数派であるコナラやクヌギの20-30cmのものが戦後のものであること、例外的な太いものは戦前のもので、それがどのくらいのものかを知りたいと思います。


伐採予定の赤テープ


鎌倉橋から

 歩きながらの雑談で「殺す」ということが話題にのぼりました。関野先生は「いちからカレー」プロジェクトをしておられますが、それがテレビに放映されたとき、菜食主義者から動物を殺すことを批判されたそうです。そのこと自体というより、放映したことへの批判だったそうですが・・・。それに関連して、ヨーロッパでは動物に痛みを感じるものと感じないものがいて、感じるものを殺すのは残酷だが、感じないものはよいという基準があるそうです。タコは痛みを感じるが魚は感じないそうです。しかし私たちはそうは感じない。魚だって痛みは感じるし、かりに魚が痛覚としての痛みを感じなくても、殺す側には心の痛みがある。平気で殺すわけではないが、それは生きるためにしかたないことで、だからこそ感謝していただく。この生き物は痛みを感じないから平気で殺してもよいというのはおかしい。そういう話でした。私もそう思います。植物に痛覚や神経がないことは事実ですが、木を伐ることには心が痛みます。





 初冬の穏やかな1日でした。



リーさんと豊口さんの撮影された写真も使わせてもらいました。ありがとうございました。

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2017. 11月の観察会 1 杉並へ

2017-11-17 21:37:40 | 観察会

 11月12日に、現在の玉川上水の最下流部、浅間橋を見ようと計画しました。井の頭線の三鷹台に集合し、宮下橋から下流に向かいました。10人あまりの参加者がありました。宮下橋で玉川上水を見ると、割合川幅もあり、見慣れた小平あたりとさほどの違いはないようだし、下流とはいえ、きれいな水が流れていました。
 このあたりは私の「花マップ」の担当領域でもあるので、その記録も兼ねました。それで「花マップ」についても説明しました。およそ100カ所の橋があるのですが、その橋と橋のあいだに目的の花があれば、「あり」と記録し、証拠写真を撮影します。その範囲に複数回現れても記録としては「あり」だけですが、となりの範囲に同じ花が出てきたらもう一度記録します。毎月10種から20種の花を取り上げるので、100種ほどの花について100箇所の記録がとれますから実に10000のセルについての記録がとれることになります。これはたいへんな情報量です。
 歩きはじめるとさっそくイヌホオズキが咲いており、緑色の果実がありました。撮影し、記録用紙に記入するところを見てもらいました。


イヌホオズキ

 この時期ですから、花は少なく、夏のような「忙しさ」はありません。果実としてナンテン、ヒヨドリジョウゴ、カラスウリなどがよくありました。
「ヒヨドリジョウゴの果実はモビールみたいにぶら下がります。ナス科だから果実の上のところを見るときちんと5枚のガクがあって、ミニミニトマトみたいでかわいいです」とホワイトボードを使って説明しました。


左からナンテン、ヒヨドリジョウゴ、カラスウリの果実

 メドハギの花の終わったものがあり、マメ科の3小葉をこれもホワイトボードを使って説明しました。ナンテンハギも咲いていたので、「ハギ」というのは狭い意味でのハギではなく、マメ科についてゆるめに使われるという説明もしました。
 ノコンギクがありましたが、野菊はむずかしいことを説明しました。シラヤマギク、ユウガギクはわかるのですが、シロヨメナ、カントウヨメナなどはとてもむずかしいようです。
 ときどきススキがありましたが、いずれも小さな株で、「ススキ原」といえるようなものはありません。ススキは明るい場所がないと生えませんから、橋があると明るいのでその両側に残っていることが多くなります。


橋の脇にはススキが残りやすいことを説明する(加藤さん)

 かつての玉川上水では上水であることの機能を優先して繰り返し草刈りをし、木はサクラくらいしかなかったと伝えられていることを解説しました。戦後しばらくくらいまでは玉川上水沿いで茅葺きができるほどススキがあったという記録があります。それが今は刈り取りをしなくなったので、木が育ち、その結果、ススキが退行しつつあります。
 センニンソウが果実になっていました。冬の低い太陽が南から射して、その羽毛が輝いています。この果実の構造をホワイトボードに描きました。
「ひとつの果実の先に長い羽毛のような毛が生えてそれで風に飛ばされるのですが、これが4つついています。どういうわけか、種子はほとんどに穴があいています。昆虫が食べるんだと思うけど、調べたわけではありません。
 この羽毛で飛ぶわけだけと、これは関野先生がグレートジャーニーでモンゴルにいったとき、プージェーという少女が羊に春に最初に食べさせる草としてでてくるオキナグサと同じで、あれもキンポウゲ科です。センニンソウはこの毛が仙人のヒゲみたいだということだし、オキナグサはおじいさんの白髪みたいだということで、同じです」
「へえー」


センニンソウの種子と冠毛(リーさん)

そこで持ってきた実体顕微鏡の「ファーブル」をとりだして、その羽毛をみてもらいました。
「うわー、すごい。細かな毛が生えている」
「こんなふうに見たことなかった」
「そうでしょう。鳥の羽毛と似ています。鳥も飛ぶために空気抵抗を大きくsうrうため、細いもので面積を広くするけど、これも風で種子を飛ばすために空気抵抗を大きくする。まったく同じ生物が同じ目的のとめに似た形になった」
「なーるほど」
「昔、顕微鏡ができて、こういう微細な構造を見たとき、生物学者は生物は被造物だったと信じていた。そして微細な構造があることを知って「神のみわざは細部におよぶ」と信仰の確信を強めたんです」

 そうした観察をしながら進むうちに牟礼橋が近づきました。その先は大きな道路工事がされています。そこに看板があって玉川上水が歴史遺産として価値があると書いてあったので、「こんなことを書くなら工事をするな」と話していたら、自転車で来たご婦人が自転車を降りながら挨拶をされました。「誰だろう?」と思っていたら、加藤さんが「黒木さんです。工事の話しなどしてもらえると思います」ということでした。このあたりで玉川上水を守る活動をしておられるようです。今日の観察会のことを加藤さんが伝えて来てもらうようにしてもらったということでした。
 話を聞くと、この道路工事をするにあたって委員会ができて、反対の声もあったが、やはり道路は必要だという声が強く、できるだけ玉川上水を傷つけない配慮をしながら工事を進めることになったといった経緯を聞くことができました。


この辺りの玉川上水の工事などについて説明する黒木さん

 工事のあと、植物の変化を追跡するということだったので、
「工事の前の調査はしてあるのですか?」
 と聞いたら、写真はあるが、データはとっていないということだった。それで私のほうから思い当たることがあったので話をしました。
 「実はきのう高尾山でシカについて話をしました。高尾山にシカが入ったらしいという話があり」
 というと
「えーっ、高尾山に?」
という声があがりました。
「はい。で、今後のことをどう考えるかというセミナーを開くのでシカの話をしてほしいと頼まれて行ってきました。講演がおわったらある人が来て、高尾山の西にある山で10年前からセンザーカメラで動物の写真をとってきたところ、タヌキはとれたが、シカは数年とれなかったのだけど、2013年から少し写るようになり、2016年に急増して、2017年はさらに増えたということでした。これは私が東京都のシカ対策の委員長をしていたとき、レンジャー制度を利用してシカの分布を調べてもらったところ奥多摩から檜原のほうにだんだん広がってきたのとピタリと符合しました。大事なのは、いないときからのデータがあったということです。だからいつから入ってきて増えたかということがわかった。だいたいこういう調査は増えてしまってから始められることが多いので、玉川上水についても工事前の調査があればよかったと思います。」
「ついでにいうと、私たちは花マップで、いまの玉川上水の花の分布を記録しているので、今後工事などでなくなったとき、2017年にはあったということがはっきり示すことができます」
「それにしてもほんとに高尾山にシカが入ったんですか?」
「実はですね、その講演をしたあと、みんなで高尾山を歩いたんです。そうしたらなんとシカの声が聞こえました。それも2箇所で。主催者のビジターセンターの人も聞いたことがなかったそうですが、すでに入ったのは確実です。だから、増えてからではなく、いまの段階から植物の観察をして記録をとっておけば、その変化を追跡できると思います」

 このあたりでは玉川上水にあたる部分に直径1mくらいの金属の管が2本通っていました。


地中を走る管(リーさん)
 
 工事中の道路を横切ると、舗装された歩道になり、下流に向かって右は柵で守られた岸、左は高さ1mほどの石壁になり、歩道のあいだに庭のような緑地空間が作られています。そこには牧草と外来種が生えていました。小平あたりとはまるでようすが違い、あるいは都会派には快適な散歩道なのかもしれませんが、私にはまったく落ち着かない感じです。
 ただ、玉川上水沿いはしっかり守られているので、野草もあります。チゴユリやサネカズラなどもありました。このあたりになると林のようすが違い、大きなサクラの木やそのほかにもケヤキなどの大木がありますが、上流のようなコナラ、クヌギなどはほとんどありません。木の密度が低いので、明るい場所に生える植物が多く、木もアオギリ、イイギリなど明るいところにでて成長のよいものが見られました。

 
サネカズラ イイギリ

 アオギリの話をしていると成瀬さんが果実を拾いました。アオギリの果実は長さ10cmもある大きなもので、それが翼となり、下のほうについている直径6,7mmの果実が重しになって、枝から落ちるとクルクルと螺旋運動をします。」


アオギリの果実(加藤さん)

「『少年追いやすく学なりがたし』の詩はあとの方で有名な『一寸の光陰軽んずべからず』と続き、そのあと『未だ覚めず池塘春草の夢。階前の梧葉すでに秋声』と続きます。この『梧』はアオギリのことです。昔の人は草が時間がたつと低木になり、もっと時間がたつと木になると信じていました。さざれ石が巌となるのも同じ発想です。だから、この詩は池に咲いた春の草がこれから起きることを夢見ているのに、すでにアオギリの葉には秋風が吹いて葉が落ちそうになっている、ああ、人生とは短いものだ、というわけです*」

* これは高槻の解釈。ふつうは作者が池のほとりで草の上で夢を見たと解釈されているが、そうではなく、夢見たのは春の草だと思う。読み下しも「池塘春草の夢、未だ覚めず」とすべきだと思う。春草の夢を作者が見たのではなく、春草が夢を見たと解釈すべき。その草が長い時間をかけてアオギリの樹になり、そのアオギリのはに秋の風がふいて枯れ葉になったという意味だと思う。

「ところでアオギリって山では見ないで、庭で見ることが多いけど、栽培植物なのかなあ」
 便利な時代になったもので若い人はすぐにスマホで確認します。「中国、東南アジア原産で、沖縄などには自生もするけど、本州では植えたものみたいです」

 木の名前を確認しなかったのですが、直径が70cmほどもある木を見たら、幹の隙間にヤツデが生えていました。鳥が食べてここで糞をして芽生えた可能性大です。ここに来る前、関野先生と果実の話をしました。
「種子は幹などではなく、地面に運ばれるんですか?」
「そうだと思います。なんといっても圧倒的に地面が多いでしょう」
このヤツデはその少数例だと思われます。説明をしていたら、寄ってきた人が
「あんなところにもあるよ」
というので見たら、2mくらいの高さの大きく枝分かれた部分にビワの若木がありました。これは間違いなく鳥(ヒヨドリサイズではなく、カラスの可能性大)が運んで来たものだと思われます。


木の幹の枝分かれ部分に定着したビワの若木(加藤さん)

「こういうおもしろいことは、このくらい大きな木があってはじめて起きるわけだ。このくらい大きな木だと幹にもでこぼこがあるし、枝も複雑で、そこに動物や植物の生活のイベント(できごと)がいろいろ起きる。大きい木なら樹洞(ウロ)もあるから、フクロウやムササビなんかが使えるけど、若い木のつるんとした幹だけだと、そういうことがなくなってしまう。だから、同じ木があるといっても、若い木と巨樹ではほかの生き物とのつながりという意味では全然意味が違う」

 今回、初めて観察会に参加してくれた木村野衣里さんは、私の本を読んでいたということでした。歩きながら話をすると「野生動物と共存できるか」(岩波ジュニア新書)などを読んだということでした。この本は中学の国語の本に引用されていつので、その話をしたら、内容もおもしろかったが、文章そのものにも好感をもったということで、うれしく思いました。

 その舗装した歩道は意外と長かったのですが、ついに最後の浅間橋につきました。ここで暗渠になります。その下流にあたる場所には高架の高速道路がそびえるように走っています。少し先に行って振り返ると玉川上水の林がここで終わったことがわかります。
「私はここにくると思うんだけど、ここより下流は鮮度の高度成長期の東京が選んだもの、ここより上流がそれも大事だけど江戸時代から続いた緑地を守るべきだと考えた人たちの選んだもの、ここがその境目だと思うんです。その人の思いの違いが目の当たりにできる場所だと思う」


暗渠になる浅間橋あたりで玉川上水をのぞく。舗装された歩道があり、右側(北東側)は人工的な緑地になり、さらに右側に石塀が作られている(加藤さん)。

 加藤さんはここから下流の玉川上水の上にある緑や象徴的な土管のようなものを展示した場所なども調べておられるようで、三鷹台の駅で待っているときにスマホの写真を見せてくださいました。それも大切な玉川上水の現状だと思いました。
 そのあと、富士見ヶ丘駅まで歩きましたが、途中で神田川を横切りました。文字通り三面張りで、コンクリートの隙間に外来雑草が少し生えているだけです。これを見ると人が川を完全に管理下に置いたということが象徴的にわかりました。そのことを思うと、改めて玉川上水の緑のありがたみがわかります。


神田川を見下ろす(リーさん)

「サギがとっていたから、ドジョウはいるみたいですけどね」
と成瀬さん。
「そういえば九州の福岡あたりまでサケが登っていたんだってね。サケは冷たい水を必要とするんだけど、地下水が豊富だった時代には川に地下水が流れ込んでいたために、水温が低かったんだって」
「へえー」
「日本海側はそうなんだ。太平洋側では那珂川までだった」
と関野先生。
「那珂川って?」
「茨城」
「へえ」
「とにかく、私たちが子供だった昭和30年代の日本の川は生活排水でヘドロ状態で、悪臭がただよっていたからね。その頃に比べれば、川の水はずいぶんよくなったよ」

そんな話をして、富士見ヶ丘駅について解散しました。
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