玉川上水みどりといきもの会議

玉川上水の自然を生物多様性の観点でとらえ、そのよりよいあり方を模索し、発信します

2月の観察会

2017-02-01 08:10:28 | 観察会
 2月12日におこなった観察会は、いつもと違い、武蔵砂川に集合し、東に移動して玉川上水に向かうというコースをとりました。というのは一年で一番緑が乏しく、同じ場所では新しい発見もあまり期待できないと考えたからです。
 カラリと晴れ上がった快晴で西武線が西進すると武蔵砂川の近くで真っ白な富士山が大きく見えました。玉川上水まで歩いて近づくと、鷹の台あたりとはまったく違い、木の下に低木がなくすっきりしていました。それに川幅が広く、豊富な水が静かに流れていました。また木の多くはサクラでした。


砂川の玉川上水

 そこで、植物ではなく玉川上水そのものについて少し話をしました。
「玉川上水は1653年に完成しましたが、大都市江戸の飲料水確保が目的ですから、上水に枯葉やゴミが入ることは厳禁で、そのために木はサクラだけ、草は刈り取るべしというお上からの達しがあり、農民の負担はかなり大きかったといわれています。その後、玉川上水の機能は武蔵野台地の農地化のために野火止用水のような分水をすることにも拡大します。そもそもこの台地はそれ以前は集落はなく、水が確保されてから集落ができるようになりました。今は小平監視所より下流は上水の機能をもたなくなったので、低木が生え、木もサクラよりもコナラ、クヌギ、ケヤキなどが多くなり、水は少なくなっています。」
 最初は北側を歩きましたが、橋があったので、そこで日当たりのよい南側を歩きました。
 しばらく歩くと、玉川上水が南のほうに曲がり、西武線から離れます。松山さんによるとこれが立川断層にあたるので、直進すると水が流れなかったのではないかということでした。実際東西に走る道はここで低くなり、玉川上水の水底よりは低いので、上水は土手を作って高くしたのがわかります。


地面が低くなり、玉川上水の水底よりも低くなる場所を示す図

 松山さんは玉川上水の底に礫があるのが不思議で、これは人が入れたのではないかと言います。でも歩道にも礫はあるし、ここが砂川といわれるのは、川に砂が多かったからだというのを読んだこともあるので、私はこれはもともと礫のある土地なのではないかと言いました。
「ブラタモリで取材してもらわなくちゃ」
ということになりました。

 その低まった道がまた登ると金比羅橋に達しました。この辺りにはよい林があり、去年の春に来たときはヒトリシズカやニリンソウが咲いていました。金比羅橋で北岸の竹林に移動したら、鈴木純さんがフクジュソウがあるといいました。

 
フクジュソウ(左:棚橋さん、右:豊口さん撮影)

 花はないと思っていたのでみな喜びました。それで花がパラボラアンテナ構造になっていて太陽光を受け止めて花を温め、昆虫を引きつけている話をしました。
 はなびら(正確には花被片)の形とともに、その反射率も温度確保に関係していると思われます。フクジュソウの花びらは独特のツヤがあります。反射というだけならプラスチックのようにピカピカ、ツルツルでいいと思うのですが、ビロードのような上品な輝きのようなものがあります。それに物理的必然があるとしたら、人が感じる「特別感」と関連があるのかもしれません。
 私は日本画は世界の誇る芸術的レベルにあると思いますが、光の表現という点では明らかに西洋画に遅れをとったと思います。金色に光るものは金粉を使いますが、油絵では反射をとらえて明度を表現することで光っていることを表現します。輝きが強ければとなりの影の部分を強調することで相対的な差の大きさで表現します。ロシアの建物の玉ねぎ模様の輝きとか、絹のツヤなどの表現は日本画では表現しません。フクジュソウの花びらをみてそんなことも考えました。
 それから、フクジュソウにまつわるアイヌの民話を紹介しました。
 あるコタンの酋長の娘が身分の卑しい若者と恋をし、酋長が許さないことを悲しんで二人が心中をする。そこに咲いたのがフクジュソウだという話です。同じモチーフはギリシアのアネモネにもあります。枯葉色の土の中から生まれる新鮮で美しい生命に若者の純粋さを重ねるというのは世界中にあるものと思われます。
 目の前に竹林があったので、話題はそちらに移りました。まずこれは自然か植えたものかについて。
「もちろん植えたもので、モウソウチクは薩摩に入ったといわれています。竹は筍を食べるし、まっすぐな素材はカゴやウチワなどに最適ですからきわめて有用な栽培植物で、農家の裏などに植えられました。地下茎が発達して土壌をつなぎとめるので大地震でも地割れが起きたりしないので「地震になったら竹林に飛び込め」と言われました。」
といったら松山さんが
「私の祖母は関東大震災のときに竹林に逃げ、そこで出産したのが私の母です」
「ああ、そのことを知ってたんだ」
「だったら名前をカグヤにすればよかったのに」(笑)
「いえ、邦子です」(笑)
この辺りは私が玉川上水の調査をしていた十数年前には昭和の農村という雰囲気の残った場所でしたが、いまはコンビニやビルができてかなり変わりました。

 金比羅橋を渡ってからは北側を歩きました。鷹の台辺りと違い、背丈を超える高さのフェンスがあります。散策する人の数は少なく、静かで、右側に清流が豊富に流れてなかなか楽しい雰囲気でした。


玉川上水をみる(撮影、豊口さん)

野草ではありませんがスイセンが咲いており、春の光が水面を反射していました。


スイセンと春の光

 左側の林縁にツル植物が多いので、その説明をしました。
「ツルは光合成で生産したものを、普通の植物が自立するために茎に投資することをしないで、細長い茎を作ってほかの植物のからまって高さをかせいで葉を高いところにつけて光合成をするというちゃっかりした生活をします。だから支えとなる木があり、しかも光がある林縁が一番ふさわしい場所なんです。だから林縁の多い玉川上水にはツルが多いんです。これはスイカズラです。スイカズラは漢字でどう書くか知っていますか?」
「・・・」
「冬を忍、忍冬と書きます。冬にも常緑なので、冬を耐え忍ぶってことね」
「へー」
「いまは洋画はタイトルをそのままカタカナで書くけど、昔はイメージを日本語のタイトルにしててね、「忍冬」というのもあったし、「いそしぎ」とかもあったな」
これには高齢者しか反応しませんでした。そのスイカズラの奥にシキミが蕾をつけていました。


シキミ

「シキミはミカン科で、木ヘンに秘密の蜜「樒」と書きます。密かに咲くということだと思いますが、派手さのない色なので、仏壇に供えたりしますね」
 花はウグイスカグラくらいしかないだろうと思っていたので、フクジュソウとシキミがあったのは意外でした。
 そこに「ニガキ」というプレートのついた木があり、鈴木さんが
「私このところ冬芽にはまっていて、ニガキの冬芽は握りこぶしみたいな形なんですよ」
そこでそれを見ると、たしかに握りこぶしのような形をしていました。
「裸芽ですね」
「ラガってなんですか?」
とリーさん
「コナラなんかは鱗のように冬芽を包んでいるでしょ?あれがなくて芽を裸のまま出しているのを裸芽っていうんです」


観察会のようす(撮影 棚橋さん)

そのあと、記念撮影をしました。


記念撮影

 イヌシデの直径20cmほどの切り株があったので年輪を数えてみました。


年輪を読む(撮影 棚橋さん)

内側ははっきりしていて40本はまちがいなく数えましたが、周辺部は年輪が狭いだけでなく、線が不明瞭になったのでよくわかりませんでしたが、50歳プラス数年といえそうでし
た。


年輪をかぞえる(撮影、豊口さん)

 そのあとおもしろい展開がありました。棚橋さんが中心部を指差して
「ここに伸びる木があったのですか?」
私は質問を少しとりちがえて
「この高さ(20cmくらい)だと、これを頂点とした円錐の木があるということです。木が育つということは、次の年にこの外側を成長部分が覆うということです。成長するところは樹皮の内側の形成層です」
「え?内側からそだって広げていくんじゃないんですか?」
「え?木は内側から育つと思っていたの?」
「はい」
「おれもそう思ってた」
「いや、育つのは外側で、内側は死体だよ」
「へえー、そうなんだ」
「樹皮は内側から広げられて亀裂を起こすわけだ。それが樹種によって硬さや繊維が違うから種ごとに独特の樹皮になるわけだ」
「うん、なるほど、なるほど」
「ついでにいうと木の節って知ってる?」
「はい」
「板にある丸いこげ茶色のやつね。「お前の目は節穴か」というのは、丸い穴が空いていて目みたいだけど何も見えていないという意味なわけだ」
「はあ、そうだったんだ」
「いまの子供は本物の板を見ることがないから節っていってもわからないからね」
「で、節がどうしてできるかっていうと、さっき言ったみたいに、木は育つにつれて幹である円錐を重ねるように肥大していくわけだけど、幹から出る枝は新しい表面に飲み込まれるようになるわけだ。その部分を縦に切って板を取り出すと古い枝の痕跡が輪切りになる。それが節なわけだ」
 といってノートを取り出して説明しました。


節の説明

「はあー、そうなんですね」
「だから、切り株にもおもしろい話がたくさんあるんだ」
「そうですねえ」



 玉川上水駅に着いたとき、12時を少しまわっていました。そこに成瀬つばささんが解説する観察会の一団がいたので挨拶しました。つばささんが「フユシャクがいました」というのでみに行きました。
「ここです」
というのですが、ただコナラの木があるだけで何も見えません。覗き込んでいた鈴木純さんが
「あ、わかった。わかったので抜けます」
とそこを離れた。私は目をこらして見ましたが、見つかりません。2、3分たったかもしれません。やっと見つかりました。翅はほんの申し訳程度で飛べません。フェロモンを出してオスを呼び寄せて交尾します。つばささんは下見をして見つけたということでしたが、これを見つけるのは神業としか思えません。


フユシャクのメス

 このあと、解散としました。

 これで去年の今頃から始めた観察会が一回りしたことになります。楽しく、発見もたくさんありました。あと1回で今年度が終わるので、4月からは調査を主体としたものにするつもりです。

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