玉川上水みどりといきもの会議

玉川上水の自然を生物多様性の観点でとらえ、そのよりよいあり方を模索し、発信します

下生え調査

2018-05-21 10:42:20 | 生きもの調べ
玉川上水はかつては上水を汚さないように両岸の植物は刈り取りをして育たないように管理されてきましたが、戦後は緑地として林を育てる保護的な管理をされてきました。そのために林の下には武蔵野の雑木林に生える植物が生き残っています。一方、橋の両側や意図的に上層の木を伐る管理をしている場所もあり、そういうところには草原に生えるような植物が多くなります。また林の縁(林縁)には林と草原の両方の植物が生え、特につる植物が多くなる傾向があり、玉川上水にはそういう要素もあります。
 そういう背景から5月20日の観察会では玉川上水の緑の幅の広い小平の小平市中央体育館あたりから創価高校あたりまでの林の下で1m×1mの方形区を12個とって、出現した植物の被度(植物が覆う面積割合%)と高さを記録しました。その数字の積をバイオマス指数とし、CHで表しました。この数字が大きいほど植物量が多いことを意味します。
 その植物を草本と木本、その大小、常緑、洛陽などによって類型しました。草本のうちイネ科は別扱いにし、またつる植物も別にしました。そして、種ごとのバイオマス指数の平均値と類型ごとの合計値を計算しました(生データは付表につけました)。
その結果、12カ所で54種が出現したことがわかりました。バイオマス指数の平均値で大きい値をとったのは、アズマネザサ、スイカズラ、ウグイスカグラなどでした。
 これをこれまでとってきたデータと比較してみました。


玉川上水の森林とオープンな場所での下生えのバイオマス指数


 グラフは類型をさらに単純にして4類型だけを示しています。ここには5月19日に久右衛門橋の近くでとった明るい場所でのデータも示しています。
 それを見ると上木がないオープンな場所ではバイオマス指数が6000とか8000もあり、草本(シダを含む)、イネ科、つるが非常に多いことがわかります。5月19日の久右衛門橋近くのデータもそれに近いですが、ここにはススキはなくノカンゾウが多かったため、イネ科が少なくなっています。これに対して森林の下生えは3000くらいで半分ほどで、木本が多いという結果です。これはムラサキシキブ、アオキ、マルバウツギ、コゴメウツギなどです。しかし20日に調べたところは木本は非常に少なく。合計値も1000にも達していません。この理由は明らかで、この辺りには低木が少なめだということもありますが、この日は典型的なところをとろうと、低木の茂みを避けるように調査区を選んだからです。実際には上記の低木類もありましたから、それらも含めてとれば木本がもう少し多くなったはずです。

<まとめ>
 重要なことは上層の木の有無で下生えの植物が大きな影響を受け、量だけでなく、種類も大きく変化すること、その中でつる植物が多いことは玉川上水の特徴の一つだということです。
こういうデータを積み重ねることで、玉川上水の緑地はいかにあるべきかを論じるときの根拠を得ることができると思います。

付表

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2018年5月の観察会

2018-05-20 08:50:57 | 観察会
5月の観察会は20日に行いました。このところ夏日になったと思うと肌寒くなるという具合で安定しませんでしたが、この日は暑からず寒からず、湿度が低くて気持ちの良い日でした。初めての参加者もあり、人数はいつもよりは多めでした。
 はじめに今日の予定を説明しました。午前中は玉川上水の林床植生の調査をした。
 説明のあと、中央体育館の東、道路建設予定あたりで群落調査の実際を紹介することにしました。初めての参加者も多かったので、玉川上水の歴史の中で森林がどう変化したかを説明しました。


玉川上水の説明をする


 上水が機能していた時代は水が汚れないように刈り取りをしていたので、森林はありませんでした。水道ができて、上水の機能は必要なくなってからは、緑地として残されるようになったので、玉川上水の緑への姿勢は管理から保護になり、コマラやクヌギが育って武蔵野の雑木林のようになりました。その結果、そういう場所に生きていた動植物の生息地となっています。しかし、玉川上水は細長く、両側を道路や宅地に挟まれていて、林に光が差し込むので、林にふさわしい動植物はあまりいないことが多いのですが、小平のこの辺りは緑の幅が広いので、十分な幅があって森林の植物も多く残っています。残っているというより、逃げ込んだという方がふさわしいかもしれません。

 2mの折り尺を使って方形区をとり、出現植物の被度(植物が覆う割合)と高さを記録しました。実際にどう評価するかを説明しました。

方形区をとって記述する


 初めの場所で多かったのはスイカズラでした。その特徴を説明してから、ひと枝をとってポリ袋の名前を書いた上で、みなさんに回して見てもらいました。こういう調査では花がなくても名前がわからないといけないので、その土地の植物をよく見て、花がなくてもわかる訓練をしておかないといけません。
 スイカズラ、テイカカズラ、キヅタなどつる植物がよくが出てきたので、つる植物の特徴と、玉川上水につるが多いわけを説明しました。
「草は毎年枯れては翌年伸びるということを繰り返します。これに対して木は最初は草と違いがありませんが、蓄積をして大きくなり、毎年大きくなって行くため、自立できる構造を持っています。それだけ一年の生産は構造物に投資しなくてはなりません。しかし高くなれば光をえるチャンスが大きくなりますから、時間が経つと木の方が有利になります。つまり光を得るための競争には高くなることが有利なので、そのための投資が必要だということです。ですから、もし自立しないで高くなれて光を得ることができたら一番都合が良いのです。つる植物はそれを実現しているわけです。自立はしないで他の植物を利用して高さを稼げるので、茎にあまり投資しないで葉に投資ができるというわけです」
「つる植物には明るさと寄りかかる木の両方が必要で。その条件を兼ね備えているのは林縁です。玉川上水には林縁が多いのでつる植物が多いのだと思っています」
テイカカズラの「テイカ」は藤原定家だということは知っていましたが、なぜそうなのかは知らなかったので、スマホで調べてもらったら、定家は式子内親王(後白河上皇の皇女)が死んだ後も忘れられず、墓にからまりたいとかなんとか読みだしたので「なんだかいやらしい話だねえ」(笑い)。
 いくつか調査区をとったので、Uターンして上流に行くことにしました。途中でエゴノキにオトシブミ(エゴツルクビオトシブミ)があったので見ていたら、豊口さんが成虫そのものを見つけました。


エゴノキにいたエゴツルクビオトシブミ


これは別の日に撮影したエゴツルクビオトシブミ

 鷹野橋に近づいたところの用水脇にアオダイショウがいました。日向ぼっこでもしていたようです。


アオダイショウ


 植物の種類が少なく、あまり時間がかからないので、次々とデータを取りました。植物についても説明をしました。ネズミモチが出てきたので、トウネズミモチとの区別点を伝えました。葉を太陽にかざした時、葉脈が見えるのがトウネズミモチです。「透明のトウネズミモチ」と覚えると便利だということも言いました。


トウネズミモチの葉をかざして見る関野先生


水車橋をこえてからコンビニで弁当を買い、その西にある林に行きました。ここはアマナが生えているところで、よい林が残っているので調査をしようと思いますが、思ったよりも木がまばらで、林の下生えとしてふさわしくない場所が多く、慎重に選びました。


水車橋の近くの林を歩く


群落調査の説明をする


 その場所にはアマナがあったので説明しました。アマナはすでに枯れかかっていました。
「spring ephemeralという言葉があります。ephemeralはeternalの反対です。eternalって何ですか」
「永遠とか・・・」
「そう、<私たちの愛はeternal>なんてね」
「だからephemeralはその反対、はかないということです。それで<春季草>と言います」
「春の妖精って聞きましたけど」
「そういう訳もある。はかないことを<妖精>というのも一つの訳でしょう」
落葉樹林は、冬は明るいですが、初夏になれば濃い緑に覆われます。短い春の一時期は明るくて、他の植物が出てくる前には燦々と光を浴びることができます。スミレなども同じ時期に咲きますが、スミレは夏まで緑です。ところがアマナは早春に出てきて花を咲かせるともう枯れてしまいます。短い間に光合成をして、生産物を地下に蓄えて、あとは来年の春まで休眠します。そういう訳でephemeralという訳です。悪いけどちょっと一つだけ、掘って見ますね」
 掘り出すと大きめの地下部が出てき他ので、歓声が湧きました。
「ちょっと食べて見ますね・・・」
といってかじると
「甘くはないなあ」
しばらくすると、口の中が苦くなりました。アマナというのは葉の味なのかもしれません。


アマナの地下部


 タチツボスミレは玉川上水では出ていないのですが、ここにはよくありました。このことも玉川上水が暗くてこちらの方が明るいことを示しています。花が終わって未熟な果実があったので、開放花と閉鎖花の説明をしました。
 「普通の花は雄しべと雌しべがあって、他個体の花粉を受けて遺伝子の多様性が生まれます。それで問題なさそうなのに、スミレでは花の少し後に根元から花が開かない閉鎖花という花が出てきて、そのまま果実ができます。これは受粉しないので、遺伝的には親と同じものです。それぞれに一長一短があり、開放花は天候不順などで訪花昆虫がこないと受粉できないという危険があります。その点、閉鎖花は確実です。その両方の方式を持っていれば、順調であれば開放花で種子を作り、危険に備えて担保として閉鎖花を作るのだということがわかってきました。スミレだけでなく、タデなど他にも閉鎖花を作るグループがあります」

 歩いていると豊口さんが
「あれオオミズアオじゃないですか」
見ると木の枝にぶら下がっていました。


オオミズアオ


 説明しようと思ってネットを持ってきていた人にとってきてもらってみんなで見ました。触覚を見て
「蛾眉といって昔の中国ではこういう眉が美女の条件だった。あれ、<まゆ>っていう字、これでよかったっけ?」


蛾眉(字がまちがっている)とそういう眉の中国女性のイラスト


「あ、高槻先生が人の絵を描くの珍しい」
と棚橋さん

 オオミズアオを逃がすとき
「こんなポーズどうっすか」
と言ったら関野先生が撮ってくれました。



 12の方形区データがとれ、12時半をすぎたので、群落調査はこれで終わりにして、武蔵野美大に移動しました。
そこで黒板を使って玉川上水の説明をしました。これは現場で説明したことと重なりますが、森林の構造と植物にとっての光の獲得の重要さということです。
次にプロジェクターで、これまでのデータを使って、エクセルの入力と計算の仕方の説明をしました。植物をタイプごとにまとめると、森林の下生えと伐採した場所との違いがはっきり分けることが確認されました。今日とったデータを入力して計算するつもりでしたが、時間がたちすぎていたので、これは私への宿題とし、タヌキの糞の水洗をすることにしました。
 糞は5月の15日と19日に津田塾大学で採取したもので、玉川上水においたマーカーが出てくるかどうかを調べるのが目的でしたが、結果的には出てきませんでした。その理由はわかりませんが、タヌキ以外の動物が食べたことを含め、今後さらに継続する必要があります。


タヌキの糞を水洗する学生さん


水洗する様子


 水洗した糞からは哺乳類の毛がたくさん出てきました。ジャノヒゲとサクラ
の種子がありましたが、他には種子はありませんでした。哺乳類のものと思われる骨もありましたが、ネズミの骨はありませんでした。これは今後、精査します。


 検出物:哺乳類の骨や鳥の羽毛、ジャノヒゲの種子などが見える

それから、どういうつもりでタヌキのフンを調べているかを説明しました。タヌキについてはこれまでに次のようなことがわかっています。
1) 江戸時代に畑と雑木林が面積で半々であることがわかっている。それは1960年くらいまで大きくは変化していなかったが、その後宅地化で大きく変化し、雑木林がなくなっていった。孤立林はあるがタヌキにはすみにくい。
2) 玉川上水でセンサーカメラで調べたところ、玉川上水に入るが、周辺の孤立緑地では撮影率が低かった。
3) 玉川上水の「ポケット」である津田塾大キャンパスにはタヌキがいる。
4) 津田のタヌキはキャンパス内の食物(果実と昆虫が主体)で暮らせており、残飯の利用度はより郊外のタヌキよりも低い。
5) マーカー調査により交通量の多い府中街道を横断していることがわかった。事故も起きているだろう。
6) 府中街道に平行する道路が建設予定であり、そうなるとタヌキはさらに追い詰められるだろう。


玉川上水の緑地の変化や緑地の保全とタヌキの関係などを説明する


「タヌキの糞を調べるのは、こういうことを背景にしていて、この問題を市民に知ってもらい、タヌキを守る動きを作りたいと思っているからです。ただ私は道路建設反対をそのままスローガンとして政治的運動をするというダイレクトな動きをするのは好みません」
と言って反戦の気持ちを、B29を見たときに「高高度に見た飛行雲は美しかった」と表現することの方が「戦争ハンターイ!」と叫ぶより深い反戦のアピールになるという話を紹介しました。
「それよりは、こういうタヌキの生きている実態や、生息地が損なわれるとどういうことが起きるかを伝えることの方が自分のすべきことのように思うんです」
 「それで、府中街道の脇にタヌキが<横断します>と書いたポールみたいなものを作って(こちら)、それを見た人がニコッと笑うようなことから、交通事故が起きていることを知ってもらう、そのために大学関係者が動くだけでなく、子供たちも巻き込んだムーブメントになったらとてもいいと思うんです。ま、それはロマンチックにすぎるという人もいるでしょうが、そんな夢を持っています」
と言った話をしました。
 そんなこんなで3時になったので解散としました。野外調査と室内作業を組み合わせるという形も観察会の一つの形として「あり」かなと思いました。

いつもながら写真を撮影してくださる豊口さんと棚橋さん、ありがとうございます。今回は関野先生にも提供いただきました。バタバタしていたせいで、恒例の記念撮影をし忘れたのが残念。
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