玉川上水みどりといきもの会議

玉川上水の自然を生物多様性の観点でとらえ、そのよりよいあり方を模索し、発信します

果実を並べる ー バイオフィリアを考える

2017-02-10 07:33:00 | 生きもの調べ
  12月の観察会のあとで、果実の計測をしました。その作業が終わってから、私はこれを自宅に持ち帰り、大きさ別に並べてみました。最大のものがシロダモ、最小がムラサキシキブでした。


大きさ順(左上から右下へ)に並べた果実類

  それから今度は黒系、赤系、その他と色別に並べ直してみました。


色別に並べた果実類.上が黒系、3行目が赤系、右下の3つはその他

  私はこういうふうに規則を決めてきちんと並べることが好きですが、それは統一感、あるいは整然としたことが好きだからかもしれません。
ただ果実の場合はやはりいろいろな色があるということに楽しさがあるのも確かです。そこで私はこれを木皿に入れてみました。そうすると、なんとも楽しい雰囲気が醸成されました。それは「きちんとした」ことの魅力ではなく「ごちゃごちゃした」ことの魅力といえると思います。ごちゃごちゃ感ということでいえば、ガラスか金属の容器でもよいのですが、ここはやはり木皿がなじみます。ぬくもり感のある木皿に赤や青や黒の果実がいろいろ並んでいる。これを見ると胸がときめくようなよろこびがあります。


木皿に入れた果実類

 私は、それは私たちがサルの一種だからだと思います。果実食であるサルは、赤系の果実を見つけることをしてきたはずです。緑の中に赤やオレンジの果実を見つけることは、生活の基本でした。たまに動物を殺して食べることもあったでしょうが、それは滅多にないボ−ナスで、それだけに頼っては生きていけません。われわれの祖先はその後、ドングリ類や、さらには穀類などを利用するようになりますが、それより前のずっと長いあいだ、私たちの祖先は果実を食べてきました。そのDNAは私たちの中に確実に残っています。
 私はこのように人間をサルの一種としてとらえてみるようにしています。学生の実習などで野山を連れあるくとき、だいたい15人くらいを境にして、それ以上だとうまくいきません。どうしても説明を聞かない学生が出て来るし、解説する側も集中力を欠く傾向があります。考えてみれば、スポーツの1チームの人数は野球は9人、サッカーは11人、多めのラグビーでも15人です。軍隊の基本単位もその程度でしょう。私は、それはヒトがハンターとして進化するなかで獲得した性質によるのだと思います。リーダーがいて、メンバーがいて、大物猟をするとき、15人程度よりも少ないと人手が足りなくて獲物の追い出しがむずかしくなるだろうし、それ以上になると意思伝達がうまくゆきません。このように、人の行動や思考は、人をサルの一種と見ると納得できることがあります。
 エドワード・ウィルソンはこの考えを進め、「バイオフィリア」という概念を提唱しています(ウィルソン「バイオフィリア」、狩野訳、1994)。バイオフィリアというのは「生きもの好き」という意味ですが、その内容はヒトの行動を進化的に考えると、ヒトは目にする無数のものの中から生きものを峻別する能力があり、強い関心をもつということです。そして生きものと接したいと感じるというのです。そしてそれはヒトが自然の中で生き、その中で食べ物としての生きものを見つけ、食べられるか食べられないかを区別し、覚える必要があったし、危険な動物や有毒な植物には不気味さや恐怖心を持つ必要があった、だからそのような性質が遺伝的に組み込まれているのだというのです。これはたいへん説得力のある説です。
 ウィルソンは人のさまざまな好みは長いサバンナ生活で獲得されたと言います。だから人は見晴らしのよい場所を好むし、同時に水の得やすい河辺などを好むといいます。意外であり、おもしろいと思ったのは、日本庭園もサバンナのイメージだというのです。確かに日本庭園は日本の自然を代表する森林のようではなく、芝生にツツジの低木があり、刈り込みをする造園管理をします。ウィルソンは、これはサバンナの景観だというのです。


サバンナをイメージさせるといわれる日本庭園(島根県の足立美術館)

 さて、果実にもどります。サルである私たちの祖先は野山で果実を探して食べていたはずです。緑の中で赤い果実を見つけることはきわめて重要なことでした。それを口にして味を確認し、食べられるものとそうでないものを区別して、覚えたことでしょう。
 私が果実類を木皿に入れたとき、理屈抜きに楽しい気持ちになったのは、これで説明できそうです。でも、それは赤い実を見てうれしく感じたことの説明になっても、いろいろな果実があることを見て楽しいと感じたことの説明にはなりません。
 このことを少し強引に説明してみます。人類の祖先はおいしいものがたくさんあれば大量に採集して持ち帰ったことでしょうが、想像すればわかるように、いくらおいしくても同じものだけを食べるのはうんざりするもので、少しでも違うものが混じっているほうが食事にアクセントがつくものです。
 だから木皿にいろいろな果実があるのを楽しく感じたといえるかどうかあまり自信はありません。そこは今後の課題としたいと思いますが、そのことが私たちの本質的な性質であるとして話を進めます。もしそうであるなら、人は、さまざまであること、つまり多様性を好むということになります。
 ある日に集めた果実を並べることから、人類進化のこと、人の本質にまで話を広げるのは強引であるに違いありません。しかしこのときの体験は、私にとってはなかなか示唆的なことでした。人にはものごとをきちんと並べることの整然さに惹かれる面と、ごちゃごちゃといろいろなものが雑然とあることに惹かれる面があるのは確かなことのように思えます。前者が極端に強調された時代が70年ほど前のこの国にありました。それが行き過ぎであったことは多くの日本人が腹の底まで感じたことです。では戦後それを本当に脱却したと言えるでしょうか。私にはそうは思えません。
 あるとき私はスペインからの留学生と上野動物園でゾウの実験をしたことがあります。動物園ですから小学生や幼稚園児が来ます。私は「かわいいな」と思って見ていたのですが、そのときスペインの留学生がつぶやきました。
 「これが日本ですよね。動物園に来ても引率され、管理されている。こうして小さいときから集団行動に慣れていくんですね。」
 彼は日本とスペインの違いを言っただけなのか、少し批判的に言ったのかわかりませんでしたが、そのことばは私の中に今でも突き刺さっています。
 我が家の子供たちが小学校のとき、学校で作品展があったので見に行きました。広い講堂のようなところに絵と習字が1年生から学年順に並べられていました。それを見ると1年生の作品は個性的でひとつひとつが違っていましたが、3年生くらいから急に絵の雰囲気が同じになりました。習字も同じで、まるでコピーのように同じ字になるのです。
 思うに、教育には知らないことを知らせる、できないことをできるようにするという大きな目的があります。それは基本的に大切なことで、江戸時代から「読み書きそろばん」と言われたのはそれを象徴的に表わしています。しかし十分に読める字が書けるようになったあとで、さらにコピーのように同じ字を書くように型にはめていくのは行き過ぎです。少なくともヨーロッパ人から見たらそう思えるようです。
 そうして育った大人は、会社のために一心不乱で働くとか、家庭生活を犠牲にして仕事を優先するようになります。こうした体質は、戦中と戦後で社会体制が変わっても、本質的にはまったく変わっていないように思えます。「個性を尊重しよう」、「ナンバーワンよりオンリーワン」と謳われるということは、現実がそうでないということを皮肉に示しています。
 目を世界に転じると、第二次世界大戦が終わって半世紀が過ぎたころから、先進国が内向きになり、政治的、経済的に不順な国からテロリストが生まれています。それは自分たち以外の人や国を理解せず、偏見を持ち、それをさらに先鋭化するためです。そういう現実を見るにつけ、「人間とはそういうものなのか」と絶望的な気持ちになります。
 しかし、もしそれは人間のもつ一面にすぎず、私たちは実はそれと同じほど多様性を好む性質を持っているとすれば、大きな希望が持てるように思います。多様性を好むということは、自分とは違う人に興味を持つということです。しかし、その違いはし足あ「違うからよくない」とか、「違うから劣っている」とされがちです。しかし、私たちが果実に対して感じるように、いろいろな色や形があることのほうがよいと考えるようになれば、「これにはこういう良さがあるし、あれにはあの良さがある」と考えることになり、「いろいろあることで全体ができており、その全体を大切にすることがよいことなのだ」と考えることになります。
 戦争中に日本人が極端な考えに陥ったのは、そのような教育が行われたためであることは明らかです。そうであれば、私たちは子供に対して、人の持つもうひとつの側面である多様性を好むという性質を正しく育てるよう導くべきだと思うのです。

つづく

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

経験と直感

2017-02-10 06:31:24 | 生きもの調べ
  生きものを相手の調査は効率が悪いもので、もっと無駄なくしないといけない、とは思いますが、いまの私は無駄を含めて調べることそのものがおもしろいのだから、時間がかかるなら、かければよいと思います。
 11月に武蔵野美術大学で「これまでにわかったこと」を報告したとき、多くの人が
「こんなにいろいろなことを調べていたのですね」
とか
「これだけのことをよくコツコツと調べましたね」
と言ってくださいました。私にはこのことは多少認めてもよい気持ちがあります。それは私が長いこと研究者として生き物を相手にしてきた経験があったからだと思います。
 自然の中を歩いていて「ピン!」と来ることがあります。たとえば津田塾大学の林をみて
「ここにはタヌキがいそうだ」
と感じた直感がその例です。それにはセンサーカメラの調査をして、タヌキはヤブがあるところにいる傾向があることを知っていたことが背景にありました。また玉川上水の植物調査をして、玉川上水の緑の幅が狭いと草原的な植物が多く、広いと森林的な植物も生えていることを知っていたこともあります。そうして経験と動植物のついての知識があるから、玉川上水に接したまとまった林があり、大学という静かな環境ならタヌキがいる確率が高いと考えたのです。それは「直感」ということばで表現されるかもしれませんが、その直感を持つにはそれなりの経験と知識が必要です。
 あるとき私は小平駅のホームで電車を待っていました。そのときホームの屋根からチラチラとオレンジ色のものが降りてきました。私の中で「アカかな?ウラナミアカかな?」とアンテナが動き出し、見ると「ウラナミアカ」でした。これはウラナミアカシジミという小さな蝶で、シジミチョウの一種です。それが駅のホームの屋根のほうから下に降りてきたとき、私の意識はまずこれがハエやハチではなく蝶であることをとらえ、大きさからシジミチョウであると絞りこみ、チラと見えた翅の色からアカシジミ系のものだと判断しました。この仲間には数種がいますが、この辺りにはアカシジミかウラナミアカシジミしかいません。もっとも赤系のシジミチョウといえばベニシジミがいますが、それは赤と焦げ茶色がパターン模様になっているので、違います。シジミチョウ類には街中にでもいるヤマトシジミがいますが、カタバミを食草としますし、もう少し里山的なところならハギなどを食草とするルリシジミやギシギシなどを食草とするベニシジミなどがいます。これらはいずれも草本類や低木を食べますが、アカシジミやウラナミアカシジミの幼虫はコナラなどの木の葉を食べます。だから食草とは言わないで、「食樹」といいます。そうなると、ほかのシジミチョウの仲間のように空き地や畑があればいるというわけにはいかず、雑木林などがなければなりません。私の頭の中で1、2秒のあいだにそういうことが回転し、
「へえ、こんなところにウラナミアカがいるんだ。ということは、そう遠くないところに雑木林があるんだ。もしかしたら大きな家の庭から来たのかもしれない」
と思いました。もちろんホームにいるたくさんの人は誰一人気づいていません。
 そういう背景がありますから、玉川上水でタヌキについて調べるというときに、何ができるか、どういう方法を採るか、それは実行できるかなどを考えました。それには、これまでの経験が活かされていたと思います。事前に計画できることもありますが、ある程度の結果ができてから新たな課題が生まれることもあります。
 糞虫が市街地の狭い公園にはいないという思い込みがまちがっていることを示すために多くの場所で調べることになりました。このときも、これまでの経験で
「ここでやめたらこれまでやったことが無駄になる。ここはがんばりどころだ」
と判断しました。その意味では、一見ずるずると調査を継続したようで、押さえどころは押さえていたと思います。それは非効率なようで非効率ではないといえると思いますし、そこには私の長年の経験が活かされたと思います。
 これについてウィルソンの次の記述は自分のことを言っているように思えました。一部は略していますが、

「・・・科学者の真の仕事、科学という営為の骨格であり、筋肉であるものは、・・・ごく地道なものだ。良い問題を見つけようと努力し、実験の計画を立て、データと格闘し、・・・推論した上に、ようやく何かが - 普通はごく些細なことだが - 明らかになる。・・・科学者の大半は、勤勉で仕事熱心な職人であり、特に聡明なわけではなく、ただ自分の好きなことを職業にしているというだけにすぎないのだ。(ウィルソン、「バイオフィリア」、狩野訳、1994)

つづく

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

何を見つけたか

2017-02-10 05:28:24 | 生きもの調べ
  玉川上水での一年足らずの観察会と調査で何がわかったでしょうか。短い期間だからわかったことは知れていますが、それでも時間を有効に使って、かなり集中的に調べることができたと思います。生きものそのものについては前の章に書いたので、ここでは私にとって大切であった発見にしぼって書いてみたいと思います。
 調べるということは、調べることによってそれまで知らなかったことを知るということですから、新情報を得るということです。私は長いあいだ生態学を研究してきましたから、何がわかっていて何がわかっていないか、ある程度わかります。だから、すでに知られていることよりも、まだ知られていないことのほうを調べたいと思います。とはいえ、希少な動植物がいるわけではない玉川上水で調べるのですから、もともとそこに無理があるわけです。
 でも問題はその「新しい」ことです。もしそれを「タヌキの分類学」とか「形態学」などとするのであれば、新しい発見はないでしょう。いや、あるのかもしれませんが、私にできることではありません。しかし、私はこれまで研究をする中で、生きものリンク(つながり)という視点を注ぐと、新しい発見がたくさん、というよりいくらでもあることを学びました。
 その良い例はタヌキの食べものです。私は若い頃、シカの食性を知らないといけなくなりました。図鑑類を見ると「シカは木や草の葉を食べる」とあまりにも当たり前のことしか書いてなくてがっかりしました。そこで自分で勉強し、開発して糞分析を試みましたが、わかったのは北日本のシカにとってササが重要だということでした。それ以前にそのことを指摘した人はいませんでした。正確にいえば、シカがササを食べることは推測はされていたのですが、定量的に明らかにした人はいなかったのです。わかってしまえば当たり前のことですが、そのことでその後シカとササの関係について研究が大きく進みました。
 タヌキの食性を調べたときも同様でした。タヌキについてはいくつかの論文があったので読みましたが、頻度法という方法を使っていたのと、植物の種子がまとめてあり、識別された植物名が少ないので、あまり役に立ちませんでした。そこで自分で調べてみると、タヌキは果実をよく食べ、しかも里山的な植物をよく食べることなどがわかりました。事例を増やし、その後公表された論文などを集めてみると、場所により違いが大きいことがわかりました。要するに「タヌキの食性はこういうものだ」という一般論はあまり意味がなく、個々の場所でていねいに調べるしかないということです。
 実際、津田塾大学のタヌキの食性を調べてみると、これまで知られているタヌキの食性と共通することと、違うことがありました。そしてそのことは90年前に植林された津田塾大学のキャンパスにある林の特徴を反映したものでした。
 タヌキの食性をタヌキの性質のひとつとして捉えるのではなく、食べられる植物の側からも考えると、食べるという行為を通じてタヌキとほかの生きものがつながっていることがわかります。つまり視点を変えて見れば、同じことが違って見えるということです。
 そうすると、タヌキは果実を食べているつもりなのですが、植物から見れば、果肉を提供して種子を散布させているということが理解されます。そういう見方をすると、実際タヌキのタメフン場にムクノキやエノキの実生(みしょう)があることに気づきました。
 そして、果実(多肉果実)がそのような機能を発揮させようとしているという目で見ると、さまざまな果実が直径5ミリメートルから1センチメートルくらいで、カラフルであることの意味も「これは鳥に食べてもらうためだ」と理解できました。そう思って秋の玉川上水を歩くと、低木類が自分をアピールしているように見えたから不思議です。
 同じ現象を見方を変えたら違って見えるというのは、ただの観点の違いであって、事実そのものは違うわけではないという意見はありえることです。でも私はそうではないと思います。違う見方をする、あるいはできるということは生物のことを理解する上でははなはだ重要なことです。私が尊敬するカナダのデビッド・スズキさんは、著書の中でプルーストのことばを紹介しています。

 真の発見の旅とは、新たな土地を見つけることではなく、新たな目で見ることだ。(スズキ、「いのちの中にある地球」、2010)

 玉川上水の生きもの調査のもうひとつのハイライトは糞虫だったと思います。私は糞虫をトラップで採集し、室内で飼育し、糞を野外に置いて分解のようすを観察するという毎日を続けました。そのとき、この東京郊外の町に糞虫がたくさんいるのに、それを調べようとする人は誰もいない、それどころか糞虫がいることそのものを知る人さえいないということを感じました。動物の糞に集まる不潔な昆虫など興味をもたないのは当然かもしれません。しかし、糞虫が生態系で重要な役割をもっており、それを調べることは複雑な生き物のつながりを知ることの興味深い世界を知ることにつながります。
 社会動物学という学問分野を確率して生物学の流れに大きな影響を与えたエドワード・ウィルソンは次のような驚くべき事例を紹介しています。

 ミツユビナマケモノは、南米から中米にかけての大部分の地域で、低地帯の森林上部の葉を食べてくらしている。ミツユビナマケモノの毛皮のなかには、地球上でここにしかいない小さな蛾、クリプトセス・コノエピが棲んでいる。週に一度、ナマケモノが排便のために地上に降りたとき、雌のクリプトセスは一瞬だけ宿主を離れ、ナマケモノの新鮮な糞に卵を産みつける。孵った幼虫は、糸を出して巣を作ると、糞を食べはじめる。幼虫は3週間で成虫となり、ナマケモノを探すために樹木の上のほうへ飛んでいく。このように、クリプトセスの成虫は、ナマケモノの体表で生活することで、子供たちに栄養に富んだ排泄物という餌を確保することができ、糞便を餌とする他の無数の生物たちを出し抜くことができるのである。(ウィルソン、「バイオフィリア」, 1994)

 この記述は糞虫のことを書いているのではありません。ナマケモノの毛皮の中というきわめて特殊な場所に生きる特殊な蛾がいて、その蛾が生きるために、ナマケモノの糞を利用して産卵し、そこで孵化した幼虫が糞中で育って再びナマケモノにとりつくために樹上に飛んでいくという驚くべき生活史を紹介しています。このこと自体、驚くべきことですが、同時に、このことを明らかにした生物学者の執念もまた驚くべきものです。
 自然界にはこういう私たちが知らないことが無数にあります。ウィルソンはそのほんのひとつでもよいから明らかにすることは大きな意味があるということを伝えようとしているのです。他人(ひと)は関心を持つことはないが、そういう興味深い世界があるのだということに気づいたという意味で、糞虫を調べた私にはウィルソンのことばに共鳴するものがあります。
 さて、昆虫調査といえば、標本箱に入れる種類を増やすために採集すれば一件落着というのもひとつの調査のありかたです。しかし私は糞虫の存在をタヌキがいることのリンクとしてとらえようとしました。
 タヌキが食べ物を食べれば、当然、排泄します。排泄すれば糞が地面に落とされます。その糞はどうなるだろう?糞虫がいて分解するのではないか?とつなげて考えたいと思いました。そして実際に調べてみると、コブマルエンマコガネが採れ、飼育してみるとすごいパワーで糞を分解することに目を見張りました。そしてそのパワーに感激すると同時に、その活動が糞を分解して土の中にもどすことで、物質循環に貢献するという偉大なことをしているということも理解できました。
 糞虫が糞を分解することはもちろん私が発見したことではありません。しかし、玉川上水にはほとんどコブマルエンマコガネしかいないという事実を確認し、それには草食獣がいなくなってしまったという背景があったのではないかという仮説を立てました。そして、八王子や大月で調べてその仮説は無理なく説明できました。
 玉川上水に糞虫がいることを確認した次に考えたのは、では市街地の緑地には糞虫はいなんだろうということでした。ところが調べてみると、意外にいるという結果になりました。そこで「いない」ことを示すために調査地点を増やさなければならなくなりました。それは大変でしたが、がんばって44カ所を調べることで意外にも糞虫はほとんどの場所にいることが示されました。そのことがわかったときの喜びは大きいものでした。
 玉川上水という、これといって希少な動植物があるわけではない場所で、特別の装置や道具を使うこともない調査によるだけで、生き物のリンクを示すことができました。

「自然界では、一つだけ離れて存在するものなどないのだ。」(カーソン「沈黙の春」、青樹訳、1974)

 とはいえ、もちろんそれはタヌキを軸にしたものであり、しかも、そのごく一部を示したにすぎません。そうではありますが、生きものがつながって生きていることが実感できたことはすばらしいことだったと思います。
 このときに感じたのは、生きものを調べるというのは「これでおしまい」ということのない奥行きの深いものだということでした。作業としての終わりもありませんが、「こういうことが起きているのではないか」と考えることにも終わりがありません。
 このことについて私がいつも心に置いているレイチェル・カーソンのことばがあります。

 私自身も含めて、地球とそこに棲む生物に関する科学を扱っている人々に共通する特質がひとつあります。それはけっして飽きることがないということです。飽きることなどできないのです。調べるべき新しい事項はつねに存在します。あらゆる謎は、ひとつ解明されれば、より大きな謎の糸口となるものです。(カーソン著、レア編「失われた森」、古草訳、2000)

 その深い楽しみが東京という都市の中でもできるというのは驚きでもあり、ありがたいことでもあります。これは日本列島の自然が恵まれているためだということを思い起こすべきだと思います。日本の夏の高温多湿が植物を茂らせる、そのことが昆虫をはじめとする小動物の生息を可能にしているのです。

つづく

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

知りたいから調べる

2017-02-10 04:26:38 | 生きもの調べ
  私は前の節で自分の調べたことがタヌキの保全に役立てばうれしいと書きました。それはまちがいないのですが、調査がそのためだというのなら、それはちょっと違います。確かに自然保護や生物多様性保全を実践する上では調査の成果はとても重要です。こうした活動はときに政治的なイデオロギーと直結することもあるし、市民運動としての側面があって保全そのものが目的になることもあります。あるいは環境教育という文脈で子供に自然を好きになってもらうよう導くことを目的とする流れもあります。私は調査がそういうことに役立つから大切であることを認めた上で、自分が行うのは少し違うと思っています。
 私は半世紀ものあいだ動植物を観察し、生物学を学びました。そうして感じることは、生き物というのはなんとよくできているのだという驚きです。そして、そのことを知ったときにはすばらしい感動があります。小さな葉一枚でも、昆虫の脚一本でも、細かく見ればさらにその中に微細な作りがあり、しかもそれがすべて意味をもっています。初めはその意味がわからなくても、調べてわかったときに深い感動があります。その感動こそが私が生き物を調べることの原動力になっています。好奇心といってもよいかもしれませんし、センス・オブ・ワンダーといってもよいでしょう。その生きもののすばらしさを、画家は絵で、音楽家は音楽で表現しますが、私はそれを自然科学的な手法で表現したいと思います。それが感動を伝える一番よい方法だと思えるからです。
「これはなんという草なのだろう?」
という疑問から始まり、誰かに名前を教わることがあるでしょうし、図鑑類で知ることもあるでしょう。それを繰り返していると、似た植物、違う植物がわかるようになります。そっくりなのに微妙に違うとか、違う場所に行って、見慣れているものとよく似ているものに出会って興味を持つこともあります。

 生き物への興味の持ち方と、そこからの展開について考えてみましょう。
「この花の仲間関係はどうなっているのだろう?」
という興味は分類学へ向かっているといえます。
 私たち日本人はサクラが好きで、春には花見を楽しみます。多くの人は
「きれいだな。サクラはいいな」
と感じ、大人になればサクラの下で酒宴を楽しみます。そういう人にとってサクラは酒を楽しむための背景ということになります。短命なサクラに、人生のはかなさを感じる人もいるでしょう。
 でも中にはサクラに植物学的な関心をもつ人もいるかもしれません。サクラにもいろいろあることは誰でも知っていますが、
「ウメはサクラと似ているな」
と気づき、それらがバラ科という共通のグループに属すことを知ったとき、
「バラ?あの庭にあるバラとこのサクラやウメはどこが共通しているんだろう?」
という興味につながります。
 一方、サクラの花だけでなく、葉や枝や幹に興味を広げる人もいるかもしれません。あるいはサクラの花に訪れる蝶やハチなどに注目する人もいるかもしれません。葉の作りはどうなっているのだろう。葉脈はどう流れているのか、サクラの葉には「腺」と呼ばれる構造がありますが、それに着目する人もいるかもしれません。
 一方、サクラの葉にはさまざまな昆虫がついて食べます。サクラといえば花が注目されますが、秋になれば紅葉し、それはそれで美しいものですが、紅葉や落葉という現象に興味をもつ人もいるでしょう。
 ここで私が言おうとしているのは、サクラの花という誰でも知っている植物ひとつをとりあげても、好奇心を持っていれば、次々に疑問や興味が湧いてくるということです。その好奇心は、子供たちはたっぷり持っているのに、大人になるにつれて別のことに興味を持つようになったり、日々の忙しさにかまけてしまうために忘れてしまいがちなものです。
 私は職業柄ということもありますが、子供のときの好奇心をずっと維持してきたように思います。その源泉はただ純粋に「生き物のことをもっと知りたい」ということであり、それが保全の役に立てばすばらしいことですが、そうでなくても知りたいという気持ちに変わりはありません。

つづく

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

玉川上水で調べる

2017-02-10 03:25:03 | 生きもの調べ

  私はタヌキの食性はすでに東京西部の日の出町でも、八王子市の高尾でも調べています。それらはいわば里山的な環境のタヌキといえます。正確に言えば日の出町ではお寺の裏にある雑木林にすんでいるタヌキで、周りには宅地もありますが、田畑もある土地です。高尾は原生的なよい森林が残る多摩森林科学園で、ここは里山というより、自然度の高い林というべきですが、周辺には雑木林が広がる場所です。これらはタヌキにとっては安住の地といってよいような場所です。
 これに比べると玉川上水は次のような特徴があります。玉川上水は広いところでは20メートルほどの幅がありますが、多くは10メートルほどの幅の狭いもので、対岸で話をすれば声が聞こえるほどです。多くの場所では少なくとも片側には車道が走り、しばしば自動車の量も膨大です。その両側は宅地で、ビルなどがある場所も少なくありません。要するにコンクリートに囲まれた細い緑地です。これを血管にたとえれば、実に危険がいっぱいの血管と言えます。北からでも南からでも道路が拡幅されたり、ビルが大きくなったりすれば緑が分断されてしまうようなあやうさです。というより、すでに玉川上水を分断する道路はすでにたくさんあり、現在も新設されています。
 そのような細い緑ですから、タヌキにとってはつねに危険と隣り合わせです。センサーカメラの調査によれば、かなり広い範囲でタヌキの生息が確認されていますが、いないところももちろんかなりあります。
 このように、「危険がいっぱい」の環境にありながら生き延びているタヌキのことを知るのは、希少動物を調べるのとは別の意味で価値があると思います。それは人が生活する場所に生き延びる野生動物とおりあいをつけてよい関係が築くことはすばらしいことだということです。原生林を守り、人が立ち入りをしなくするという守りかたも必要ですが、現実の狭いわが国土では、人をシャットアウトすることで守るよりも、人も暮らしながらしかもそこに野生動物も許容するという守りかたのほうが普遍性があります。その意味で同じタヌキを調べるといっても、それを玉川上水で調べることには特別な意味があるといえると思います。
 野生動物の保全をするにあたっては、相手のことをよく理解して、それにふさわしい守りかたをする必要があります。私たちが調べたことがそれに役立てばうれしいことです。

つづく
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする