玉川上水みどりといきもの会議

玉川上水の自然を生物多様性の観点でとらえ、そのよりよいあり方を模索し、発信します

5月29日の観察会

2016-05-29 05:29:22 | 観察会

 毎月一度の観察会をすることにしたが、実際には1か月に一度だと植物が大きく変化してしまうので、できればそのあいだにもう一度集まったほうがよいと思い、人数は少なくなっても5月中にもう一度おこなうこととし、29日を選んだ。
 鷹の台の駅に集まって玉川上水に移動した。
 ひとつの作業として、今後の訪花昆虫の調査のために、自分が調査ルートのどこにいるかをわかるようにするため、玉川上水沿いにある柵にビニールテープで番号をつけることにした。杭の幅が2mなので、5つにひとつ5, 10, 15と番号をつけ、自分がスタート地点からどのあたりにいるかがわかるようにすることにした。

群落調査
 この作業をしながら、植物や昆虫などに出会うと自然と集まって話をするので、進み方はゆっくりだった。柵はまっすぐではなく、ときどき道幅が広くなって、緑地の幅が狭くなることがあったので、緑地幅の広いところで面積種数曲線を調べることにした。
 このあたりは林としてはわりあい明るく、スイカズラの多いところだ。始めに10cm四方から始めたが、スイカズラしかなかった。ある学生に調べてもらうことにして、
「よーく見て、ちょっとでも違うと思う種が出てきたと思ったら言って」
と言い、面積を増やしていった。スイカズラは木質のつるで、若いものは草本に見えるし、葉も切れ込みがあるので、違う種のように見えることがある。ビギナーの学生は
「あ、ありました」
と言うが
「それは同じスイカズラなんだ」
として、さらに探してもらう。私は慣れているので、最初からすぐに3種ほど見つけておいたが、言わないで見つかるのを待っていた。だが、誰からも声が上がらない。しばらくして
「あ、これ違う。これなんですか?」
という声があった。
「はい、シオデです」
というと
「これってサルトリイバラの仲間ですか?」
「あ、よく知っていますね、そうSmilaxという同じ属ですね。うん、これをサルトリイバラの仲間と思うのはなかなかスジがいい」
というと笑顔。
「単子葉植物なのに葉の形が丸っぽいのは特別なことです。そして3本の主脈があることも共通です。花があれば近いことが納得できます。
 私は鳥取の出身ですが、西日本では柏餅はサルトリイバラの葉で包みます。」
「へえー」
「あのねえ、柏餅のカシワはナラの仲間だけど、そもそもカシワってね」
といって手を合わすジェスチャーをすると
「柏手」
「そう、「かしわ」というのは手のひらのことなんです。だから餅を両手で包むということだから、葉っぱならなんでもいいわけだけど、餅はくっつくから、大きくて、丈夫で、ツヤのある葉がいいわけだから、使える葉は限られる」
「なるほど、それで南のほうにはカシワがないからかわりにサルトリイバラを使うんですね。「サルトリイバラ餅って言うのかな」
「いや、私は逆だと思う。そもそも餅というのはねばねばする食べ物で、熱帯の里芋を食べていた時代の食感を引き継いだという説がある。モチ系の食べ物は南由来だから、柏餅はむしろサルトリイバラにはさむのが原型で、北上する過程でサルトリイバラが少ないか、カシワのほうが多いかの理由でカシワの葉を使うようになったのだと思う。江戸が日本の中心になったのはたった昨日みたいなこもんだからね」
学生さんはやや納得できないような顔をしていたが、東京が日本の中心だという教育を受ければすっとは納得できないのかもしれない。
 調査面積を広げるうちに
「こっちにあるこの草はなんですか?」
「あ、それはヤマカモジグサ」
「・・・・」
皆さん黙っていたが、「こんな草にも名前があるの?」あるいは「こんな草の名前がなんでわかるんだ」という顔だった。
「さっきのとは違うんですね」
「あ、ノカンゾウね。確かに細長い葉だから似ているといえば似ているけど、科レベルで違います。ノカンゾウはユリ科、ヤマカモジグサはイネ科」
「へえー」
「パッと見ると似ているいたいだけど、ノカンゾウは葉が交互にかみ合うように出ているけど、イネ科は稈(かん)、ようするにストローがあって、そこに節がある構造になっています。そこから鞘(しょう)に支えられた葉が出ます。生長点はこの節(ふし)にあるので、この上の部分を刈り取られても再生できます。」
たまたま調査をしているときに、調査区の中にあるツリガネニンジンを折ってしまった人がいた。
「ツリガネニンジンは生長点が茎の先端にあるから、刈り取られるとダメージが大きいわけだ」
「そうだよね」
「実は地球が乾燥した時代に内陸に森林が成り立たない乾燥地が生まれ、そこで繁栄したのがイネ科だった。そのときにヒツジやバイソンのような反芻獣が爆発的に進化し、たくさんの種が生まれた。植物の葉は丈夫な細胞壁でできているから、ふつうの哺乳類の歯で噛んだくらいでは消化できない。われわれサルが利用できるのは春のみずみずしい細胞壁がやわらかい時期で、葉が硬くなってからは無理です。それを臼のような歯をもつ草食獣はよくすりつぶす。そして4つある胃袋に入れて、また食道を逆流させて何度も噛み直します。そして胃袋に微生物がいて発酵させます。それによって細胞壁が破壊されて内側の原形質が利用できるようになるだけでなく、微生物自体が寿命が短いから良質のタンパク質である死体が大量に生まれます。反芻獣はこれを利用するわけです。つまり人が草を利用できないから牧場でウシを飼って肉に変化させて利用するというのと並べて考えると、反芻獣は胃の中に微生物を飼ってその肉を利用するといえる。反芻獣の出現したことは、地球の物質循環も大きく変化させたほどの革命だったんです。」
「へえー」
「しかも、その微生物は反芻獣のお母さんの唾液を通じて子供に伝えられるんです」
「え、そうなの?」
「それが数百万年ずっと伝えられてきたと思うと感動的でしょう?」
「うん、うん」
ひとかたまりのヤマカモジグサから壮大な話に展開した。私たちが調査をするときはテキパキとすませて、ひとつでも多くの調査区をとるという感じで余裕がないが、こういう調査では雑談をしながら楽しく進めるほうがよい。

糞虫
 私は玉川上水で糞虫の調査を始めたので、このところ糞の分解などを見るために毎日のように玉川上水に通っている。その流れで、27日に新しく糞トラップを4つ置いておいた。1日おいて今朝、確認したらコブマルエンマコガネが来ていた。4つのトラップのうち1つはエンマムシしか来ていなかったが、そのほかには数匹のコブマルコガネが確認できた。


糞トラップの底に捕らえられたコブマルエンマコガネ


糞トラップを観察する

 ここまで、のべで20以上のトラップナイト(1つのトラップを一晩置いておくのを1トラップナイトという。2つを1晩置くのと1つを2晩置くのはどちらも2トラップナイトとなる)を調べ、ゼロもあったが、入っていた場合、すべてコブマルエンマコガネだ。これからも続けるが、これまでの結果がたまたまとは思えない。玉川上水には確かに糞虫がいるということ、その大半はコブマルエンマコガネだということはまちがいないようだ。

訪花昆虫
 前日下見に来たとき、ホタルブクロが花を咲かそうとしていた。ゴム風船が定着していま「風船」といえばゴム風船になったが、ツヤのある紙で作った和風船がある。ホタルブクロはちょうどあの和風船ように口を閉じていた。
 それが一晩経ってみると、ちゃんと開花していた。つぼみをみながら
「これってムム・・・って唇を閉じていて、開くときに「ンマ」って言ったみたいな気がする」
と言ったらみんなが笑った。


開花前後のホタルブクロ

 今回は端境期のようで、前回調べたエゴノキやマルバウツギの花は終わり、かといって先週からつぼみをつけはじめたムラサキシキブやネズミモチ、ナンテンなどはまだほとんど開花していない。いま咲いているのはドクダミくらいだった。そこで、分担してドクダミ、一部花を開き始めたホタルブクロ、ムラサキシキブへの訪花昆虫を記録することにした。1つのセッションを10分間とし、ひとつの花について3セッションのデータをとることにした。
 結果はドクダミとホタルブクロはゼロ、ムラサキシキブで2セッションでそれぞれ1匹のハチが来ただけだった。午後3時頃だったので少し日がかげり、花に直射日光が当たらないところもあったせいかもしれないが、それにしても大量の花が咲いているドクダミにまったく訪花昆虫が訪れなかったのはたまたまではなさそうだった。ときどきヒラタアブが来ていたが、ドクダミの中に生えるもう花の終わったオニタビラコには執着するが、ドクダミは見向きもしないようだった。どうやらドクダミは人気の花とはいえないようだった。


ドクダミの花に来る昆虫を待つ

 今回、小平市の中央公園というところから東に進んで津田塾大学の南までの600mあまりを歩いた。この範囲の中央あたりに府中街道が南北に走る。そのすぐ東側は上層の木を減らして明るくなっているので、4月以来、ハルジオン、オニタビラコ、ドクダミがつぎつぎと咲きついできた。明るいので花が咲きやすいのだろう。観察しながらここに至ると、歩くスピードがいつも遅くなる。それだけ発見が多いということだが、それはここの生物多様性が高いということだ。
 それにすぐ隣接して、津田塾大学のキャンパスにあるシイ、カシの常緑広葉樹林から続く林があり、うっそうとした雰囲気になる。この違いがまた多様性を生んでいるように思う。これは群落の管理と生物多様性のありかたを考えるよいヒントになると思う。調査が終わってから常連のメンバーと玉川上水の価値やこれからわれわれがすべきことについて話しあった。


津田塾大学の南側のうっそうとした林のようす

 私たちの雑談を聞きながら、美大の学生が言った。
「僕としてはイネ科の構造の話がおもしろかったです。機能的な背景があってそういう形があるんだということを知らないで、表面的なことを描いてもうまく表現できないように思うんです。」
うれしい発言だった。
「それはそうだよ。骨の構造がわからないで、人や動物を描いたのはだめなんだよね。不自然さが出てしまう。表面的に似ていても、見る人が見るとわかる。このプロジェクトで、美術系の人と自然科学系の人が影響しあうといいと思うんだけどな。私も絵は好きだけど、でも自分の役割は自然科学的姿勢を示すことだと思ってるんだ。生物学的に正確に描くことを伝えることだと思う。それはほんとの芸術を志す人には伝わると思うんだ。美術系の人の感性と自然科学的な事実優先の視点がぶつかってよいものが生まれるといいんだけどね。」

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5月15日の観察会

2016-05-15 05:15:02 | 観察会

 5月15日は昆虫専門の新里さんと韓さんの指導による観察会があった。私がおこなうときは植物を中心にした解説で、ゆっくりゆっくりと歩いて、花が咲いていたらその説明をし、関連した植物学や生態学の話をするようにしている。ふつうの散歩をする人に比べれば、えらくゆっくりした歩みだと思っているが、この日のスピードはそれよりはるかに遅いものだった。
 ある古い切り株で韓さんが「これ、キノコムシです」というので、見たが、なんだかわからない。よく見ると長さがせいぜい1mmほどのゴマ粒の大きさもない小さな甲虫がいた。写真にとって拡大すると、なかなかおもしろい形をしており、ツツキノコという仲間だということだった。筒のような形をしたキノコムシということらしい。これなど、ただ歩いていても絶対に気づかないことだ。キノコがあれば、キノコムシがいるのではないかと思って、キノコを崩してみる人がいて、しかも微細なものでも見分ける目があってはじめてわかることだ。


ツツキコノの一種

 その古い切り株がちょうどテーブルみたいで、みんなもキノコを崩したりしていた。材が腐ってボロボロになった部分を崩すと小さな茶色いアリがたくさんいてうごめいていた。この切り株が「教卓」がわりになって、昆虫講座が始まった。新里さんが取り出したのはコクワガタだった。「あっ、すごい!」といっしょに参加していた小学生の男の子が目を輝やかせている。これを使って甲虫の体の説明が始まり、昆虫の体は3つに分かれていること、そのどこから脚が出ているか、口はどうなっているかなどの説明があり、みんな一生懸命に聞いていた。


切り株の「教卓」で昆虫学教室が始まった(棚橋さん撮影)

 といった具合で、その後もエゴノキの葉の虫瘤や、オトシブミの巻いた葉などで立ち止まっては説明があり、人数も多かったこともあっていっかな進まない。
 そうした観察をしながらのんびりと昼までを過ごした。


新里さん(右)と韓さん(左)

 最後は私が前の日に設置していた糞トラップ(コラム参照++)をチェックしに行った。小さなバケツに糞をぶらさげたものだが、犬の糞を2カ所、馬糞を2カ所おいていたが、馬糞は両方何も来ていなかった。犬糞はひとつにコブマルエンマコガネが2匹、もうひとつにエンマムシと、どういうわけかコメツキムシが来ていた。

 お昼を食べて、午後は訪花昆虫の実習をすることにした。津田塾大学の南側に明るいスポットがあり、マルバウツギやエゴノキが咲いていたので、そこでひとつの花の株に2人が担当して、花に来ている昆虫を記録してもらうことにした。記録の内容は、ノートに時刻、花、昆虫の3項目である。はじめにいっしょに記録のしかたを説明した。それからマルバウツギ、エゴノキ、ハルジオン、ノイバラの4ペアに分かれて、10分間の観察を時間をあわせて3回おこなうことにした。


訪花昆虫の記録をとる参加者(棚橋さん撮影)


マルバウツギに来たハチ(棚橋さん撮影)

 これを3回繰り返した。終わってから、ノートを見せてもらい、必要項目の記入もれがないかどうかを確認した。
「よい資料がとれたと思います。今後こういうやりかたで別の季節でも記録をとりたいと思います。こういう資料がたまればすごい情報になると思います。ただ、私としては訪花昆虫がいたというデータだけでなく、いないところでもデータをとることで、群落の多様さが生き物のつながりを多様にしているということを示したいと思っています。」
「こうして観察し、記録をとってみると、いままで何気なく歩いていた玉川上水が、ちょっと違ってみえると思います。花の気持ちになって待っていたと思いますが、たくさんのハチを記録していたところに、チョウが近づいてきたら、ちょっとワクワクしたはずです。あるいは飛んできたのに自分が記録する範囲の外側だったら、「もうちょっとなのに」と思ったはずです。そういう、これまで感じたことのない気持ちを持つことに意味があると思うんです。」
 その説明が終わるころに一人の学生が私の背後にあったイヌビワの木に実がなっているのを目にとめて見ていた。
「あ、おもしろいものに気づいたね。これはイチジクの仲間で、イヌビワといいます。いま小さなイチジクができています。もっと大きくなり、最後は黒に近い紫色のジューシーなベリーになって鳥が食べて種子を運びます。」
「へえー」
「イチジクは無花果と書くくらいで、私たちがイメージする花はありませんが、花がないのではなく、この実が花なんです。花の袋という意味で「花嚢」といいます。実の内側にあるつぶつぶみたいなのが花で、実の先端にある小さな花からイチジクコバチというハチが入り、そこで翅が落ちて、もう飛べなくなってしまいます。そして、たくさんの花のなかでうごめいて授粉し、そのなかで一生を終えるんです。」
この説明は間違いではないが、不十分だった。それはコラムをみてもらうことにして、そこでは会話が続いた。
関野先生が聞いた。
「そのことはハチにとってなにかメリットがあるんですか」
「メリットねえ」
私はちょっと考えた。メリットとはなんだろう。そのハエにプラスになること、おいしいものを味わうとか、子孫を残せるとか、そういうプラスになることということであろう。ハチが授粉をするのが植物側にプラスになるのはわかるが、狭いイチジクのなかで死んでしまうのではなにのプラスもないという意味であろう。
「私たち人間は自分たちのくらしから、つまり体が大きくて、明るいところ、広いところがよいと思い、長生きをする、そういう生活がよくて、そうでないものはよくないだろう、かわいそうだと思いがちです。私はよく思うのだけど、セミは地上に出て数週間で「一生を」終えるので、それは虚しいと考え、「空蝉」などといってはかないものにたとえるけど、セミはそれまで17年とかもっと長いあいだ地中で暮らすわけです。地中で暮らすなんて暗くて狭くてかわいそうと思うけど、それは人間の感覚であって、セミとしてはそれが人生の99%以上であり、きっとセミからすればそれが「人生」であって、最後の瞬間のような地上生活は鳥などに狙われて危険に満ちたいやなときなのかもしれません。モグラも同じで、モグラにすれば雨は降る、風は吹く、直者日光が当たって明るくなったり、暗くなったり、鳥やキツネなどに狙われる危険きわまりないところなわけです。それにくらべれば、土のなかは安定していて、ほっとできる空間なんじゃないですか。モグラからすれば、「あんたらなんでそんなところにいるの、かわいそうに」と思うんじゃないですかね。」
「ふーん、そうか」
と別の参加者。関野先生は言う。
「サケの一生は、生まれたところまで一生懸命もどっと、卵を産んで死ぬ、あの
「やった」
という感じの生き方は理解できるよね」
「動物にはそれぞれの事情があり、全部はできないにしても、なるべくその事情を理解することがだいじだと思うんですよ。私たちはどうしても自分たちの基準で考えてしまう。イチジクコバチってイチジクのなかで死んでしまうなんてかわいそうだなんてね。でも、イチジクコバチにいわせれば、「大きなお世話」じゃないですかね。生物学を学ぶことの意味なんて、違う動物のことを理解することの大事さに気づくことにあるんじゃないかな。」
と私。
「うん」
「ところでイヌビワっていうけど、ビワとは関係ないんですか?」
と参加者。
「はい、関係ありません。実がちょっとビワに似てからですかね。ところで琵琶っていう楽器があるでしょ?あれは果物のビワが最初にあって、それに形が似ている楽器として琵琶という名前になったんでしょうね。逆じゃあないよね。」
「そうでしょう」
と陣内先生があいづちをうつ。
「琵琶湖はその楽器に形が似ているから琵琶湖になったっていうけど、あの湖の形を空から見て琵琶に似ているなんて昔の人がわかったんですかね。」
ととりとめのない会話は続く。
 ひょんなことからおもしろい会話ができた。

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5月8日の観察会

2016-05-08 05:08:58 | 観察会

4月という月
 4月の一ヶ月は玉川上水の景色を一変させる。無彩色だった林が芽吹き、淡い緑色が出た頃、橋に立つと玉川上水は遠くまで見通せる。ところが、その緑、つまり一枚一枚の葉が無数に重なりあうことで、あっという間に緑が濃くなり、下旬になるとちょっと先も見えないほどになる。
 津田塾大学の東に鎌倉橋という橋がある。そこで撮影した写真4枚をみればそのことがよくわかる。



鷹の台界隈
 鷹の台界隈は以前、住んでいた場所で土地勘があるし、このプロジェクトを牽引する関野先生が働く武蔵野美術大学があるので、このあたりで観察会をすることが多くなった。加えて津田塾大学も近く、そこでタヌキの調査もすることになった。今の自宅からは少し離れているが、電車で20分ほどで行けるので、思い立てばいつでも調査にも行ける。そういうことが重なって、玉川上水全体をあちこち尋ねるよりも、このあたりを丁寧に観察する、つまり「薄く広くより、狭く深く」のほうがよいだろうということになった。
 そこで5月の観察会もここでおこなうことにした。4月には小泉先生と新里さん*による地形学と昆虫学の観察会もおこなわれたので、参加者もかなり玉川上水の自然になじんできた。そのあたりを考えて、5月は少し内容に変化をもたせることにした。

リンク(生き物のつながり)を調べることの意義
 5月ともなると、肌寒い日もあれば、暑いと感じる日もあるようになる。そういう日は昆虫も活発に動くようになる。私はある意図があって昆虫を調べてみたいと思っていた。そして「玉川上水の生きもの調べ」の中で昆虫の調査の提案をした。それは昆虫が私が示したいと思っていることに適していると考えたからである。
 私は長年シカと植物との関係を研究してきた。また学生を指導する過程でタヌキやテンのことも調べた。いろいろな動物を調べたと思われているが、そうした動物を通して示したかったのは動物と植物はつながって生きているということであり、その意味では一貫している。生き物のつながりのことを私は「リンク」と呼んでいる。リンクというのは、頭の中でなんとなくイメージされても、具体的にどういう関係があるかは実はよくわかっていない。それは、学問が細分化され、専門家は狭い分野しか対象としないためである。私は自然界で起きていることを説明するにはそうした局所的な視点は有効でないと思う。そういうつながりを調べるには昆虫は適している。というのは、昆虫は種類が多く、いたるところにいて、さまざまな生き方をしているからだ。
 リンクを示すには生き物の生活を知ることが大切である。よく、自然はすばらしいから保護しなければいけないと言われる。だが、そこでいう「自然」とは、屋久島や知床のような原生的自然であり、それは貴重だから、大切に守ることは誰でも同意する。だが、日本列島にそのような原始的自然はごくわずかしか残されておらず、大半の自然は人がなんらかの影響を与えることで成り立っている。例えば、雑木林は人が管理してきた林である。そうであれば、その影響がどういうものであるかを正しくとらえることが必要である。自然保護というと、「貴重な動植物がいないか」という調査がおこなわれる。そして絶滅危惧種がいれば開発中止となる。それは必要なことだが、そういうリスト調査をして貴重種を見つけ出すことだけでは、そこにいる生きものの生活を知ることにはならない。
 大切なのは「いる、いない」ではなく、「どう生きているかを知ること」である。なんでもよい、たとえばアリがいることを考えてみよう。アリに限らず動物は食べ物が必要である。アリが生きるためにはアリの食べ物になる生物が不可欠である。そのためには一定の面積に最低でも数種の植物があって、その植物を利用する動物がいる必要がある。それも1年を通じて、である。多くのアリは巣を作る。その巣を作るための土壌的条件なども必要となる。そうしたことをもろもろ考えると、ひとつの動物が生きるということの奥行きが想像できる。それを「ここにはなんとかアリが生息する」だけで片付けるのがリスト作りであり、これではほとんど何も理解していないことがわかる。
 もうひとつの大切なことは「数が少ない生物が貴重ではない」ということだ。数が少ない生物を守らないといけないということには多くの人が同意するだろうが、だからといって、そのほかの生物は守らなくてもよいことにはならないはずだ。だが、実際にはそのことがしばしば横行している。トキがいなくなったことは大問題で、その復帰が大事業として進められているが、その一方で、どこにでもいたメダカが絶滅危惧種になってしまった。あるいは、気象庁が季節の訪れを知らせるために観察記録をとってきた動植物のうち、トノサマガエルなどがいなくなったために、対象からはずされた(2016年3月5日、朝日新聞)。これは、「珍しくもない生物は守らなくてもよい」という姿勢の結果だと思う。このことの意味は深く、私は時間をかけて説明してゆくつもりだが、一言でいえば小さな命に対する慈しみの心だと思う。こう言えば、古くから言われてきた使い古した言葉のように思えるが、私はそのことを生物学を通じて伝えたいと思う。そのことを示すのに、生物の形が合理的であることとか、あるいは生物の美しさを伝えるという方法がある。だが、私は生きものがつながって生きていることを示すのが一番良い表現法だと思う。それをするのに、さまざまな動物の中でも最も多様で、どこにでもいる昆虫がふさわしいと思う。

昆虫調査の経験
 <後述(講義録の2、3参照)>

5月8日の観察会
 この日の玉川上水は緑も濃くなって夏のような景色になっていた。林の中は薄暗く、葉が生い茂って水面があまり見えないほどだ。気温も高く、きっと夏日だったと思う。
 この前の観察会で花を咲かせていたウグイスカグラが赤い実をつけていた。
「この前までピンクの花をつけていたウグイスカグラが実になりました。熟すと半透明できれいです。あんなに花があったのに実はあまりありませんが、これは鳥が食べるからです。よくヒヨドリやキジバトがきてついばんでいます。中には扁平な種子(たね)が数個入ってます。」


ウグイスカグラの花(左)、果実(中)、種子(右、格子間隔は5mm)

 しばらく歩いていたらノイバラが咲いていた。


ノイバラ(2016.5.7)

「どうですか、この清楚な美しさ。これを見ると、サクラやウメの仲間だってわかるようね。私たちはバラといえば、赤くて花びらが重なり合ったものを思い浮かべる。あれがバラ、中には黄色やピンクのものもあるけど、とにかく艶やかで豪華な花の代表のように思う。それを原種を「改良した」というけど、私はこの野生のバラのほうがよほどきれいだと思うな。たぶんヨーロッパの文化に艶やかで豪華なものへの志向があり、そういうものを選抜したのだろうけど、それが「改良」つまりよいほうに変えたといえるだろうか。違う方向の選抜もあったはずだけど、そうはしなかった。中国のボタンも同じだと思うな。」
「学名はローサ・ムルティフローラRosa multiflora、「花がたくさんつくバラ」という意味です。よく似たのがヨーロッパにもあって、それを改良したのがバラなんだ。「庭の千草」っていう歌を知ってるでしょう?」
「知りません」
「え?知らないの」
と言って私は最初のところを歌ったのだが、メロディーを聴いても知らないということだった。誰でも知っていると思っていたので、驚き、がっかりした。
「そうか。じゃあケルティック・ウーマンは?」
「知りません」
「困ったな、ケルティック・ウーマンっていうのは、すばらしく声のきれいなグループで、声だけでなく美人揃いなんだけど、そのレパートリーのひとつにこの歌がある。ぜひ聞いてみて。「庭の千草」は日本の歌では白菊になっていて、日本の秋を歌っているけど、もともとはこの野ばらを歌ったものなんだ。現題は「The last rose of summer」、夏が終わって散ってゆく野ばらの儚さを歌ったもので、アイルランドの国民歌なんだと思う。アイルランドは飢饉があって、たくさんの人が難民のようにアメリカに渡ったんだけど、植物の好きな民族でナショナルカラーが緑。貧しかったアイルランド人たちは機会あれば集まってこの歌をうたって連帯感を強めたと言われてるんだ。それには豪華なバラではなくて、野ばらでなくちゃね。」
 明るい場所にはコゴメウツギが咲いていた。小さな花がかたまって咲く、なかなか好感のもてる花なのだが、この花はよく見ると複雑な形をしているのは知っていた。5枚の「花びら」のあいだにチョンと尖った「飾り」があるのだ。ただ、その「飾り」があるのはおしべがきれいな旬のものだけで、多くのものは「花びら」だけしかない。ところが、そう思い込んでいたのは私のまちがいで、その場でスマホで確認したら、「花びら」と思っていたのは萼で、「飾り」が花びらだった。どうやら花びらは落ちやすいようだ。


コゴメウツギの花穂(左)と花の拡大(右)

 ノイバラやコゴメウツギもそうだが、マルバウツギ、ガクウツギ、エゴノキなど、この日は白い花が目立った。早春にはウグイスカグラのピンク、スミレ類の薄紫、ボケの赤、外来種だが、オオイヌノフグリの空色、ホトケノザやヒメオドリコソウのピンクなどさまざまな色の花が咲いていたが、この季節になると白い花が多くなる。私は、これはこの季節にぐっと多くなる昆虫が白い花を好むものが多いためではないかと思っている。いずれにしても、初夏の花が咲き、昆虫も多くなった。
 


 こうして、例によって花が咲いていたり、特徴的な葉の植物にであうと説明をしたりしながらゆっくり歩いて行ったが、回を重ねたせいか、誰かがおもしろいものを見つけては人が集まってあれこれ話をするということが増え、そうした人の塊があちこちにできるようになったように思う。これはとてもよいことだと思った。


おもしろいものを見つけると人の塊りができた。

森林ギャップ
 私は少し保全生態学的な話もしようと思い、ある場所で立ち止まった。
 「私から質問です。私はなぜここで立ち止まったでしょう。」
返事がない。私が立ち止まった場所にはとくに花もないし、特別の木もない。
 「向こうを見てください」
と私は水路の方を指差す。


木が間引かれて明るくなり、低木が開花した場所

 「どういうわけか、この部分は上の木がなくて、光がさし込んでいます。」
みんながうなずく。でも、「それがどうした?」という顔だ。
 「光がさせば、明るいから植物が育つ。育てば光合成ができて花をつけることができる。見てください、見える範囲だけで何千もの植物があると思いますが、花をつけているのはごく一部です。」
 水路の脇にマルバウツギが花を咲かせている。


マルバウツギ(2016.5.12)

 「花が咲けば虫が来ます。見てください、ハエやハチがブンブン飛んでいます。こうして、林に隙間ができると賑やかになります。こういう隙間を「森林ギャップ」あるいは単にギャップと呼びます。
 ということは、林は連続的にうっそうとした状態が続くほどよいというわけではないということです。こういうギャップは原生林にもあって、台風で高齢の木が倒れてギャップができます。そうすると、その下の地面で眠っていた種子が発芽するし、そこで細々と生き延びていた植物が急に育つようになるということが起きます。
 昆虫採集をする人はそういうこと体験的に知っていて、こういう場所を見つけて採集をするんです。」
 たまたまだが、私が立ち止まった場所は玉川上水を横切る道路をつける計画になっていて、玉川上水の北側にある木立ちにはすでに金属棒で組んだ柵のようなものが作られ、立ち入り禁止になっていた。
 「この話はちょっと微妙です。ちょうどここは道路がつく予定になっている場所です。いまのギャップの話を開発派が聞けば喜ぶかもしれません。「林はずっと続くうっそうとしたものより、ときどき隙間ができるほうが生物多様性が高くなる」という部分だけをとりあげて、「だったら、ところどころに道路があるくらいのほうがいいということになる」と悪用されるかもしれません。しかしそれはまったく違います。ギャップはあくまで林の下の地面が健全であるということが大前提です。地面はただの土砂、つまり鉱物でできた岩が砕けたものでできた土台のようなものではありません。長い時間をかけて植物の枯葉などの有機物がつもり、そこに微生物や小さな生物がいて活発に活動をし、植物の種子もあって、長い時間のなかでで出番を待っている、そういう生きものに満ちたスペースであって、自動車が走るための無機質な塊りではないのです。」

群落調査
 この日は調査とはどういうものかを見聞きしてもらうことをひとつの目的とした。4月におこなった講義では結果としてのグラフを出して、読み取りをしてもらい、解説をした。しかしそのデータをどうしてとったかの話はしなかったし、その想像をしてもらうような話もしなかった。そこで、今日はふたつ、ないし3つのことを試みるつもりだった。そのひとつは「面積種数曲線」を異なる群落でとって比較することだった。対象とする群落に小さな面積をとると、ごく少数の種類の植物しかない。極端にいえば1cm平方のなかにはだいたい1種しかないはずだ。それは極端だが、10cm平方から初めて徐々に大きくしてゆくと、次第に種数が増えるが、一定の群落だと同じ種が繰り返し出てくるので、次第に頭打ちになってゆく。このカーブの形を比較することで群落の多様度の一面が表現できる。
 その例としてクヌギとコナラの多い林の下で調査することにした。


林の下で面積種数曲線調査をする(棚橋早苗さん撮影)

こういう調査の通例としてまず10cm調べる。するとスイカズラの若いのがあった。スイカズラは林縁などにあるつる植物で、この日も花を咲かせていたが、実は花をつけないスイカズラはいたるところにあり、地面を這ってもいる。そしてよりかかるものがあれば登ってゆく。その次の大きさは10cm×25cmだ。なぜ倍の20cmにしないかというと、1m四方にしてゆくには50cm四方、そのひとつ小さいのは25cmにするようがよいからだ。10cm×25cmにもスイカズラしかなく、次の25cm×25cmになってコナラの実生があった。次はヤマコウバシ、シオデ、ヤマモミジと少しずつ増えていったが、ふつうの場所よりは増えかたが少ないようだった。
「名もない草などといいますが、草にも木にもみな名前がありますよ。いきなりこの名前をわかれといわれても無理ですから、花が咲いているときにしっかりながめて、葉や枝や、毛の具合、ときには匂いなども確認して頭に叩き込むようにします。そうすると、葉をみていると花がイメージできるようになるんですよ。」
「へェー」
と驚きとも呆れたともつかぬ声がした。
 こうして1m2では5種が現れ、最終的に2m×2mまで調べて9種が確認された。これはかなり少ないといえる。
 同じ調査を直射日光のあたる、地元の人が「野草観察ゾーン」と呼んで保護活動をしている場所でもおこなった。


明るい群落での面積種数曲線調査(棚橋早苗さん撮影)

 ここは玉川上水の南側で林の幅が広いところなので、水路沿いの一部を残して道路側を明るくして野草の回復を図っているところだ。そこでも同じ調子で調査をすると、ノカンゾウが多く、そのほかにアズマネザサ、ベニシダなどが見られた。量的には少ないがヤマノイモ、ヤブマメ、ヘクソカズラなど明るいところを好む草本がたくさんあり、1m2では14種、4m2では17種が確認された。



 野帳にこのグラフを書いて参加者に見せたら「ホォー」という声がわいた。「なんだか植物の名前を言っていたが、あれからこういうカーブが得られるのか」という驚きがあったようだ。ぶっつけ本番の調査だったが、ちゃんとこういう結果が出ることに感心してくれたようだ。やはり結果を説明するよりも、結果が得られるプロセスを見てもらうのがよいのだと感じた。
 「ところで、ログって覚えてる?」
 「はい」と答えたのは入試を終えたばかりの1年生だったかもしれない。「ああ、なんとなく」という人や「忘れました」という正直な人もいた。 
 「対数ですね。この横軸の面積の対数をとると、このカーブはきれいな直線になります。」
 それを描いている時間はなかったので、そのままになったが、それができていればもっと驚いてもらえたかもしれない。

訪花昆虫の調査
 例によって解説をしながらの歩みで、しかもよい意味で自主性が生じて「人の塊り」ができがちだったので、時間が経ってしまった。津田塾大学の南側にある明るいスポットでえ予定していた訪花昆虫の実習をすることにした。
 そこにはハルジオンとオニタビラコなどが咲いていたが、観察はハルジオンに限定し、そこに来た昆虫を大きく、甲虫、チョウ、ハエ、ハチ、その他に分けて時間を決めて10分間記録してもらうことにした。武蔵野美大の学生さん2人が手をあげてくれたので、簡単な説明をした。

 参加者の一人が聞いた。
「こういう調査はなんていうんですか?」
「訪花昆虫調査です」
「ホーカコンチュウ?どういう字ですか?」
「訪の訪に虫。花粉のことを英語でポーレン、ピー、オー、エル、エル、イー、エヌ(pollen)といいます。で、花粉を運ぶこと、授粉をポリネーション、授粉する昆虫をポリネータといいます。私たちは糞虫、シデムシ、そして訪花昆虫を花虫(はなむし)と呼んでます。」


訪花昆虫調査の説明をする(棚橋早苗さん撮影)

「ノートにはまず今日の年月日を書いてね。よく年を省略するけど必ず年も書くこと。そして場所、それから何の調査か、ここは「訪花昆虫調査」だね。ノートの左側に虫が来た時刻、右側に花の名前と昆虫の名前、ここではハルジオンだけだから、花の名前は最初のところだけでもいい。虫の名前はさっき言った大間からグループでかまわない。わからないときは不明でもいい。できたら写真をとっておいて」
そしてその2人を残して次のスポットに行くことにした。
 次の場所は今が盛りのマルバウツギの群落だった。ここにはマルバウツギとノイバラがあったので、花の名前と昆虫を記録してもらうことにした。説明しているうちにも、ハチやヒメアシナガコガネなどが来ていた。ここにも2人の学生さんを貼り付けた。3番目は玉川上水の南側のエゴノキで、マルバウツギやノイバラが上向きの開いた花であるのに対して下向きにぶら下がる花なので、来る昆虫も違うはずだと予想し、ここにも2人を残した。
 時間が足りなくなったので、予定をしていた玉川上水に直角なベルトをとって出現植物の推移を示す調査はできなくなったが、面積種数の調査をし、説明をしながら歩いていたら、「記録とりました」とヒメジオンでの訪花昆虫の調査をしていた学生が伝えに来てくれた。


談笑しながら歩く。右は関野先生。

「どのくらいあった?」
「え?どのくらいって?」
「訪花昆虫の数」
「あ、全部ですか?ちょっと待ってください」
見ると、ノートの1行にたくさんの訪花昆虫の数が書いてあって、何例あるかがすぐにはわからない。
「そうか、記録のしかたの説明がよくなかったかな。ノートはちょっともったいないかもしれないけど、1行にひとつを書くと、あとで集計しやすいよ。あるいうは1行に5例とか決めておけば節約にもなるかもしれない。いずれにしても、そうしておいて、あとで正確な数がわかるようにしておくといい」
 集計してもらったら10分間で60余りもの記録があったようだ。これはたいへん多いといえる。2人でさほどの違いはなかったようだ。
 この結果はまだ予備調査なので使えないが、今後私といっしょに調査して昆虫の名前などを統一できるようにしてゆきたい。今回、大切だと思ったのは、こういう形で学生に課題を与えると、これまでのように「聞く人」から「調べる人」になるようだということで、目の輝きが違うように思った。このあとは質問も多くなったのはうれしいことだった。
 林の一部にギャップができたり、伐採したりすれば地表が明るくなり植物が開花するようになる。そうすれば花を求めて訪花昆虫が来る。つまり森林の管理のしかたが花と訪花昆虫のリンクを多様にするということである。玉川上水の緑はただ木が生えて緑陰を提供しているだけではない。そこには草本やつる植物も生えており、それが森林の管理のしかたと関連して増減する。そうした多様な森林の状態が併存することで、全体としての複雑な生き物の生息を可能にし、リンクを生み出している。そのことを玉川上水で実際に調べてみたいと思うが、今回の観察会でそれができそうな感触を得ることができた。

津田塾大学でのタメフン場の撮影
 このプロジェクトでは美大らしく活動を映像で記録している。ただ、私としては活動だけでなく、自然そのものを映像記録してほしいと思っていた。津田塾大学で定期的にタヌキの糞を回収していたのだが、前年の秋の糞からたくさんの実生(みしょう)が芽生えているのに気づいたので、これを記録しておいてもらいたいと思った。そこで、この日の午前の観察会を終え、学生さんとは別れて、関係者だけ津田塾大学に行くことにした。入り口で守衛さんに挨拶をしてタヌキのタメフン場を見に行った。
 タメフン場では、設置している自動撮影カメラの記録確認をした。カードをノートパソコンに取り出すと、確かにタヌキが写っていた。ある日の深夜の写真には腰を曲げて糞をしている姿が写っていて、歓声が上がった。


糞をするタヌキ(2016.5.2, 21:20)

 みんな確かにこの場所にタヌキが来ていたという「動かぬ証拠」を見て、少し興奮気味だった。
「ああ、確かにことにいるのね」
といいながら辺りを見回す人もいる。
「ほら、そう思ったとき、誰でもまわりを見回すんだよね。私もそうなんだ。見えるわけはないんだが、ここに確かにタヌキがいるという感慨が見回させるんだね。私はね、この感覚、自分たちがいるところにタヌキがいると感じることがとても大事だと思うんだ。なんとなくほっこりするじゃない」
「うん、うん」
とみんなうなずく。
 カメラ担当の人はタメフン場の前で腰をかがめ、低いアングルでかなりの時間をかけて丁寧に撮影してくれていた。よい記録がとれたものと思う。
 今のところ、タメフン場はここしか見つかっていないが、ほかにもあるはずだ。私たちは別のタメフン場はないかと林のなか、藪の中を歩いたが、結局みつからなかった。武蔵美の学生さんはカメラをかかえての藪の移動だったからたいへんだったに違いないが黙々とがんばってくれ、うれしかった。
 キャンパスを出ると、府中街道を自動車が次々と走っていた。これだけの交通量のある道路のほんの100m奥にタヌキが暮らしている。そう思うと不思議な気がしたが、同時にここのタヌキたちはぎりぎりで生き延びているのだというきびしい事実もとらえなければならないと思った。

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5月の植物

2016-05-01 19:38:35 | コンテンツ

アカネ
イヌムギ
ウグイスカグラ 果実
エゴノキ
ガマズミ
コアジサイ
コバンソウ
サルトリイバラ
シラカシ
スイカズラ
セリバヒエンソウ
タチツボスミレ 閉鎖花
ツルウメモドキ
ドクダミ
ナギナタガヤ
ナワシロイチゴ
ナルコユリ
ニガナ
ノアザミ
ノイバラ
ヒメコバンソウ
ヘビイチゴ
マユミ
マルバウツギ
ミズキ
ヤブジラミ
ヤマボウシ
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ヤブジラミ

2016-05-01 08:56:09 | 5月の植物




ヤブジラミ 2016.5.12

シラミの実体を知る人はいまやほとんどいませんが、「体につくいやなもの」の代表で、この果実は表面にトゲトゲがあって衣服につくのでこの名があります。哺乳類の体にくっついて種子を運ぶ植物のひとつです。葉にみるように代表的なセリ科ですが、こういう植物はさまざまなグループにあります。
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