玉川上水みどりといきもの会議

玉川上水の自然を生物多様性の観点でとらえ、そのよりよいあり方を模索し、発信します

2017年5月の観察会

2017-05-01 01:28:09 | 観察会
 5月14日に観察会をおこないました。15人の参加者がありました。鷹の台の駅から玉川上水に向かいましたが、その途中で線路をはさんだ向こうにヤマボウシの花が咲いているのが見えました。ハナミズキ(アメリカヤマボウシ)に近いので花の作りなどを解説しました。玉川上水についたらミズキもあったので、近縁ながら花のようすは大きく違うが、枝がテーブル状になるのは共通だといった話もしました。
 線路を超えて東に行くと線路沿いにスイカズラが咲いていたので、説明をしました。花筒が長いため吸蜜できるのは吻の長いチョウなどに限定されます。スイカズラは玉川上水のいたるところにありますが、花を咲かせるのは林縁など明るいところに限られます。スイカズラ科にはウグイスカグラ、ガマズミなどちょっと見るとかなり違う感じのものがいろいろありますが、対生で筒状の花をつけることは共通です。


スイカズラの説明をする


スイカズラの花

 すぐとなりにコゴメウツギ、エゴノキとあり、少し解説をしました。エゴノキは下向きの花をつけるので訪花昆虫はマルハナバチ限定であること、ほかの植物だと大きい果実を大量につけると、たとえばナラ類のようにしばらくは休まないといけないのに、エゴノキは毎年大量の果実をつけるのは不思議だという話をしました。また果皮が昆虫の採食をまぬがれるために有毒であり、昔はこれを魚を殺してつかまえるのに使ったこと、果皮は有毒だが、種子は食べられて、ヤマガラがよく食べること、食べるときに、お茶のお点前のように少しずつ回転させながらくちばしでつつくことなどを話しました。


コゴメウツギ


エゴノキの花


エゴノキの花に来たクマバチと思われるマルハナバチ

 玉川上水に入ると緑が濃くなっていることが印象的でした。昨日雨が降ったのでコナラの幹が黒く濡れていました。


緑の濃くなった玉川上水で解説をする

エゴノキにオトシブミの「ゆりかご」がぶら下がっていたので、その説明をしました。


エゴノキの葉を巻いてつくった「ゆりかご」

「<落とし文>というのは平安貴族が恋人の歩くところにラブレターを置いておくことをいったそうですが、うまくその人が読んでくれたんですかね?」というと
「別の人に読まれてしまったりして・・」
「恋敵が嫌いなんて書き直したりして・・」
などと冗談が飛び交いました。
「オトシブミの大きさを考えたら、この葉は私たちでいえば一部屋の大きさの畳を折り曲げるようなものです。そのためいきなりは曲げられないから葉脈を噛み切って葉をしなしなにしてから折り曲げるわけです。その順番も、大きく折りたたんでから、くるくると巻くわけですね。」
「へえー」
「こういう複雑な行動は、もちろん親に教わるわけはなくて、遺伝的に組み込まれているわけです。われわれヒトは多くのことを後天的に学んで覚えるので、わかりにくいですが、鳥の巣作りや渡のコースなどもみな同じです。むしろわれわれのほうが例外的なわけです」
「うーん、そうなんだ」

 林に入ると花は少なくなりましたが、キンラン、ギンラン、マルバウツギ、ガクウツギなどがありました。
「マルバウツギはウツギの仲間で、玉川上水にはどちらもあります。ウツギというのは空木で、低木類のなかには茎のなかが中空だったり、スカスカの髄があるものがあるところから「虚ろな木」ということで空木というのだと思います。ただこの種名としてウツギといわれる植物は卯の花のことで空木の<ウ>でもあり、卯の花の<ウ>でもあると思います。卯の花のほうはこの季節を卯月とよびましたが、この季節の代表的な花だというわけです。<卯の花のにおう垣根に・・・>はこの季節をうたったものですね」


マルバウツギ

「あそこにガクウツギがあります。アジサイの仲間です。アジサイは江戸時代にシーボルトがヨーロッパに紹介して人気が出ました。たしかにアジサイはとても綺麗で花びらに見えるのは装飾花といって、がくが発達したもので、訪花昆虫に目立つためのもので、花としては不完全なために結実しません。結実するのは中央にある目立たない花です」


ガクウツギ

「シーボルトは日本女性と結婚し、その人の名前が滝で、お滝さんと呼ばれていたのでアジサイの名前をHydrangea otaxaとつけたといわれています」
(実はこれはまちがっていました。otaxaではなくotaksaでした。もうひとつのまちがいは、お滝さんは結婚相手ではなく、愛妾、つまり日本人妻で、正妻ではなかったということです。シーボルトは国外追放になるのですが、そのとき妻のお滝と娘のイネを残して帰国します。当時ヨーロッパ人が外国でこうしたことをするのはごくふつうだったそうで、蝶々夫人はその例だそうで、私は知りませんでした。ヨーロッパ人がアジアをイメージして、名曲として歌うのが妾のことだというのはとてもいやな感じです。しかもそういう差別的な習慣をよいものとして作ったヨーロッパ人の作品をアジア人が歌うというのは、相当なアナクロニズムだと思います。)
「さっきから見てきた花、ヤマボウシ、スイカズラ、コゴメウツギ、エゴノキ、それにギンラン、マルバウツギ、ガクウツギなど、どれも白でした。5月は白い花が多くなります。早春にはスミレやウグイスカグラなどカラフルな花が多いのに、初夏になると白い花が多くなるのには、きっと意味があって、私は出てくる昆虫に関係しているのだと思います。白い花を好む昆虫が出てくる時期に白でない花をつけるのは不利になり、花の色が揃っていったのだと思います」

 今年度は通常の自然解説をする観察会ではなく、調査に力点を置くものに変えるといいながら、今月も解説に時間をとってしまい。ここまでで1時間がすぎてしまいました。

 津田塾大学についたので、毎木調査の段取りを説明しました。玉川上水沿いの塀をグラフのx軸とし、巻尺をはって5メートル間隔にA4の上に数字を書いて塀にはりました。そしてそれに直角に巻尺でy軸をとり、木の位置を座標であわらすことにしました。林の幅は10メートルほどでした。調査者は対象とする木の名前を聞いて、その位置を確認した上で直径を測定し、記録者である棚橋さんに申告してもらうことにしました。


x軸とした塀につけた番号


木の太さを測定する関野吉晴先生

 調べてみるとシラカシが非常に多く、ほかにはイチョウ、ヒノキ、ネズミモチなどがときどき出てくるという感じでした。ときどきわかりにくい植物もあり、枝先を双眼鏡で見て確認しました。


双眼鏡で枝先の葉を確認する
 
 15人の人がいて、熱心に作業を進めてくれたので、どんどん進み、5メートルほど進むとy軸になる巻尺を動かして進んで行きました。


y軸とした巻尺をみて位置を確認する


計測作業のようす

 作業は順調に進み、先が見えてきたころ、鳥にくわしい杉浦さんが帰らないといけないということで、少し鳥の話をしました。といっても私が知っているのは去年、この林でフクロウの死体を見つけたということです。
「繁殖しているんですか?」
「いや、そうではないみたいで、声を聞いている人によると、鳴き交わしはしていなかったそうです」
「死体をみつけて回収したのですが、お腹のところにフクロウの骨ではない骨があったんです」
「食べたものなんだ」
「そう、ところがそれがネズミではなかったんです。ネズミの骨ならわかるんだけど、違う。鳥ではないかと思います」
「鳥の骨も食べるんだ」
「ああ、鳥もカエルなんかも食べるみたいです」

そこで記念撮影をしました。


参加者で記念撮影

 2時間ほどで100メートルに達したので、作業を終わりとしました。しめくくりとして次のような話をしました。
 津田塾大学は明治時代にできた都内にある小さな学校で、学生数は十数人だったそうです。それが急に増えたので、郊外に出ることになり、いくつかの候補地があったうちの小平が選ばれたそうです。それで玉川上水沿いのここが選ばれたのですが、当時の1929年に珍しいことに空中写真が撮影されています。それを見ると、大学のまわりには一軒の家もなく、畑と雑木林が広がっています。それで、大学がまずしたのは、春の砂嵐対策として常緑樹を植林することだったということです。それが90年前ですから、ここの木は100歳くらいだということになります。


津田塾大学の古い写真を紹介する

 私は玉川上水で調査をしようと思ったとき、まずこの林でタヌキを調べたいと思いました。というのは玉川上水の林は幅が20メートルほどでタヌキのクラス場所としては狭いわけです。その狭い緑に「ポケット」のようにまとまった緑地があるとタヌキが暮らしている確率が高いわけです。しかも常緑樹が多いということは自然度が高く、実際フクロウがいたということはそのことを象徴していると思います。それでここに目星をつけたのですが、カメラをおいたらすぐにタヌキが確認されたし、タメフン場も見つかりました。
 この写真をみて、今から100年前にはこのあたりには雑木林と畑が広がっていて、家はない、タヌキにとってはすみやすい環境があったことがわかります。その後にも撮影された写真があるのですが、1960年代になって急に当時文化住宅と呼ばれた平屋の小さな家がたくさん立てられます。これは東京オリンピックの1964年に象徴されるように東京に人口が集中して、ベッドタウンが周辺に広がり、その波が小平にまで達したということです。
 東京が発展したということですが、それをタヌキの側から考えると、住める場所がどんどん狭められて、今では玉川上水に閉じ込められた状態にあるということになります。」

「ここのタヌキは実は多様性という意味ではさほど豊かな食べ物を食べているわけではなく、ギンナンとムクノキが圧倒的に多いです。それにカキの種子も出てくる。」
「肉食じゃないんだ」
「そうです、なんといっても果実をよく食べます。考えてみると、タヌキにとって動物を食べるのはたいへんです。動物は逃げるからつかまえるのがたいへんだし、死体は滅多に見つかりませんから、動物に依存的になるわけにはいかないんです。昆虫はどこにでもいますが、費用対効果を考えると、たいへんなめをして見つけても食べられる量は少ないので、効率が悪いわけです。実際、糞を分析すると、多くの糞に出てくるのですが、占有率は小さんです。そういう意味では果実はみつければ確実に食べることができます」
「なるほど」
「ただし、ここのタヌキが食べるものは限られていて、今日の調査でも大きなイチョウがあったし、ムクノキもかなりありましたが、これらが大量に出るわりに、出てくる種子の種類は少ないのです。今日の範囲では果実ができるような大きなムクノキはありませんでしたが、この林の中にはあると思います。東京西部の郊外の雑木林のタヌキの場合はサクラ、キイチゴ、ヤマグワ、エノキ、ムクノキ、ヒサカキ、ヤブランといたぐあいに月替りにさまざまな果実を食べるんですが、ここでは種数は少ないです。それはこの森林が古い立派な林だからで、タシロランやマヤランのような珍しい植物が生えるのにはいいんですが、タヌキの食物供給という意味ではあまりよくないということがわかりました。


津田塾大学の林は暗く鬱蒼としている。

 私がここでタヌキの食性を調べているのは、ここの林をそのようにとらえているからです。津田塾大学の歴史の中で位置付けること、玉川上水との関係でとらえるのが大切だと考えています。」

 さて、こうして調べた津田塾大学の林を構成する木の結果をみると、シラカシだけで半数以上を占めていました。大きい木も多かったので、印象としてはもっと多いような感じでした。こうしてまとめてみると、21種もあり、本数は少ないながら、いろいろな木が生えていたんだなあというのも印象的です。このうち、落葉樹はイチョウ、ミズキ、カキノキ、カシグルミ、サルスベリ、ソメイヨシノ、ヒメコウゾの7種で、本数ではわずか5.6%にすぎません。つまり95%は常緑樹だということで、この林がいかに玉川上水の林とは違うかということがよくわかります。

毎木調査の結果のうち本数(詳細はあとで報告します)


 そのあと、安達君ともうひとりの高校生からインタビューを受けました。安達君は先月の調査にも参加してくれて、「なぜ玉川上水の林にはコナラなど限られた木が多いんですか」と鋭い質問をしてくれたので覚えていました。彼はサークルで映像をとることをしていて、いま玉川上水の保全についての作品を作っているところだそうです。その一部に私の考えを聞くことを計画しているということでした。質問は1)玉川上水の価値をどう考えるか、2)玉川上水が道路で分断されることの生物学的な意味は、3)玉川上水の今後の保全をどうすべきと考えるかというものでした。質問の内容がとてもよく整理されており、正直「これが高校生の考えることか?」と驚いたほどです。


高校生の取材を受ける

 私は70歳が近くなり、われながらがんこさが増して来たと感じることが多くなり、「この頃の若い奴は」とこぼすことが多くなっていますが、こういう設問をしてくる高校生がいることを知ると、私の決めつけはいかんなと反省しました。よい作品ができることを期待しています。

 お昼をとったあと、もう一度津田塾大学にもどってタヌキの糞を回収しました。

 今回も豊口さんと棚橋さんが撮影してくださいました。ありがとうございました。
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