『知足日記』

『知足』とは、『生かされて、生きている』・『必要な物、必要な経験は与えられている』・『すべて必要。すべて良し』と知ること

【41】私はだれでもない。(大きな自分とちいさな自分)

2004-12-24 04:17:25 | Weblog
「私」とは何かと言いますと、
『過去の記憶の集大成』であるというようなことが、よく言われますが、
ただそれだけではないように思うのです。(^^;ゞ

たぶん、上の文節の「私」というのは、肉体人間の頭脳の、思慮分別を中心にした意識としての「私」のことであるように思うのです。

でも、その「思慮分別」をさせている「大いなる命」に繋がる自分と
というのは、もっと広大で、大きな精神だと思うのです。

それは、感情と精神との違いかも知れません。
感情はつねに変化してゆくもの、精神はその感情を見守っていて、
不変(普遍)であろうとする意識のことです。

ですから、私たちは「精神」を生きているのかも知れません。

この精神を顕そうとする私が、「大きな自分」であり、感情を顕そうとする私が、「ちいさな自分」です。

そして、この「大きな自分(大いなる自分)」を顕している時には、「過去はない」という生き方をしているのだと思うのです。

この「過去のない」生き方というのは、把われのない生き方(いのちの立場)のことです。

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