気ままな旅


自分好みの歩みと共に・・

戦禍に育まれた中学時代(4)  

2015-04-12 00:14:47 | 日記

  夏休みになり旧盆の休みに入ると、校庭が夕涼み野外映画館に変貌した。 

丸太の柱を左右に建て、そこに白い大きな布を張った粗末なスクリーンだったが、楽しかった。

夕涼みを兼ねて、出掛けるので友人に会えるのも楽しみの一つだった。 

クーラーもない頃だけに夜風が涼しく楽しめた。

浴衣を着る女の子も目立ち始め戦争は嘘のように感じられた。 

友人と夜空を眺めながら天体の話に興じていた。 

 祐天寺境内では盆踊りに相撲大会が行われた。 

北京で学校対抗の相撲大会に補欠で出場したこともあり、身体は小粒だが運動神経はあり、得意になった気分で近所の友達と技の練習をして会場に出掛けて行った。 結果は上手投げで勝ち賞品を貰い友人と喜んだ記憶がある。

  それより大変なことになった。 

同じ中学の友人ではないが、近くに住んでいる同学年の友人が自転車を借り、荷台に保冷庫を括り付けアイスキャンデーを売る話を聞いた。 仕入れは中目黒にある卸業者から卸して貰うのだと言う。 当時、一本五円で安いのは三円だった。 遊び仲間なので何となく面白半分に手助けをしていた。 盆踊りが佳境に入り、人いきれで暑くなり、前を通る友人を見つけると声を掛けていたから行商人はたまらない。 こちらは商売の妨害をしている認識がない。 行商人の男が「許可は・・」と脅しを掛けてきた。 即座に中止したほうが良いとばかりに友人は退散した。 

商売をするなんて、随分大人びて、しかも許可もいることも知った。 

 或る時、休み時間に「君の名前は中国語では何と言うの」と元ちゃんに聞かれた。

「ねいてん ういふ と言うのだよ」と答えた。 

ふたりの後で、この会話を聞いていた友人がヒヤリングのとおり英和辞書を引いた。 英語で「wife」だ。 「奥さん」と言うのか・・。 

そんなことから、一時はからかい半分に「わいふ」と呼ばれたこともあった。 

あだ名に「奥さん」が定着しなくてよかったと密かに胸を撫で下ろした。 

その後、英語の試験に出題されたが「これだけは間違わないよ」とある友人からからかわれて言われたことを今でも鮮明に憶えている。 

また、英語の時間で「アリババと四〇人の盗賊」を誰かが朗読すると、必ず笑を堪える箇所があった。 そこは、「・・Morgiana was so clever ・・」と読むと反射的に「こういくぞ」と繫がるのが面白がった。 

たわいのないことで面白がる年頃だったのかも知れない。