気ままな旅


自分好みの歩みと共に・・

ケンタッキーのPilgrim教会からダンボール箱が我が家に届いた。

2015-04-06 16:07:52 | エッセイ

いまから4年前の3月11日に「東日本大震災」が起きた。 

 これまでに経験をしたこのない大きな揺れを感じた。 

停電になった。 妻が車での帰路、信号機の故障で危険を感じたと言う。 まず考えたのは懐中電燈の電池補充と大きいローソクだった。近くのコンビニに車を走らせた。 コンビニは何もなかったかのように灯りもこうこうと灯っていた。 この光景に緊張感が緩んだ。 夕食の準備もできず携帯で或る遠いレストランに電話をしてみた。 いつもの通り店は開いているとのこと。 早速、車を走らせたが停電は一部の地域だけのようだった。 ところが、店のテレビで想像も付かない津波による被害の実態を知った。 帰宅し息子と連絡を取ったところ、停電はないとのことでひとまず安心した。

 大変な事態になったのを肌で感じ取敢えず食糧補充にコンビニに再び行くと大きく様変わりしたのには驚いた。どの棚にも食料品が消えていた。 電池もだ。 さっき来た時に買っておけば良かったと悔やんだ。 食料と水はわずかだが防災備品としてあるので一時しのぎはできる。 日本国内で入手不能な不足分は米国にいる娘に頼むことにした。 カンテラ、寝袋、懐中電燈、便器、水、コンロなど備える事が出来た。 一週間後には二次被害対策はできた。 娘がいなく輸送体制ができなければ無理だったと思う。

こうした状況も含め津波による大震災のニュースが世界を駆け巡った。 

 我が家も余震による被害に備え、落ち着きを取り戻したいま頃、アメリカから大きなダンボール箱が届いた。 不審に思い送り主を確認した。 受取人は間違いなく私だ。 婿の実家を想い浮かべた。

早速、開封してみた。 中には貯蔵ができる食料品だった。

 娘婿の実家の通っていた教会からの義捐物資であった。 日系人社会では孫たちも街頭に立ち募金活動に立ち上がったそうだ。

 教会では信者の家族の上に降りかかった未曽有の被害救済に賛同され、この救援に至ったものであった。

 この好意を活かしたく、被害地に近い友人に趣旨をしたため物資を送った。 大いに喜ばれた。 更に、妻の仕事である英語教育Labo の子供たちにも「人の優しさ、助け合い」を教えたく各家庭に主旨を添えて送った。 

そして、残りの貯蔵備品は二次災害に備え、我が家の物置に仕舞ってある。 

感謝を込めて、こんなことがあった事を知って欲しく記述しました。