気ままな旅


自分好みの歩みと共に・・

戦禍に育まれた中学時代   (3)   

2015-04-11 00:15:05 | 日記

机と椅子の残りの半分は熊野神社の近くにあった中目黒小学校にクラス全員で取に行くことになった。 

   北京の国民学校で使っていた西洋風の椅子と机が一体になっていない分が軽く感じた。 

   クラス全員で学校のある油面商店街から自然園下を通り、そこからは大きな緑色をした丸いガスタンクの見える上部を目指して住宅地の裏の近道を歩いた。 子供の足で二十分程かかった。 

裏門から入って二十脚位を貰って持帰った。 この学校は大きく立派だった印象を受けた。  

 奥の校舎の裏手に二十五㍍のプールがあった。 

北京ではプールがなく泳ぎは苦手だ。 最初はプールの横幅を泳ぎ切ることを目指し、次に二十五㍍に挑戦した。 顔を上げて泳ぐのは無理でひとかき都度沈んでいった。 息が長く止められたので、出来るだけ潜ったままで頑張った。 

   友人と遊んでいて背中に乗られ底に沈められた時も同じで酸素消耗を防ぐため動かないでいた。 危ないことをしたものだ。 

このプールは日本大学の水泳部も利用していたと言う。 

夏休みになると、何とか泳げるまでになったのは、このプールのお蔭だった。 

  美術の時間に組み立ての帆船を作る事になった。 

   組立に必要な工作糊を買いに神田まで友人ふたりと行った。 店の人に膠を和紙などの紙に塗ると「一時は弛むが乾くとぴ~んと紙が張り何でもその上に塗れるよ」と教えられ、ふたりして揚々と帰宅し帆船組み立てに活用して大得意だった。

  理科の時間に自宅の近辺を中心に井戸の水位を調べる事になり

   確か何人かとグループを組み、紐の先に重しを結び井戸を見つけると、紐を垂らして水位の深さを測定して歩いた。 我が家の井戸の水位は二メートル程だったと思う。 

我が家では夏になると昔馴染みの西瓜を吊るし冷やしていた。 

    祐天寺裏から自然園下に向かう途中の家で一メートルしかない水位の井戸を見つけ、土地の等高と水位の高低差に因果関係があるのに興味を持った。

  社会の時間で目黒不動尊の地中に埋もれているものを探しに同じメンバーで境内を歩きまわった。 埋もれているならともかく、落ちている訳もない縄文土器と見間違えた水差し風の土器の大きな欠けらを見つけた。 

 「昔の土器かな・・」「先生に聞いてみよう・・」とか言い合いながら拾って歩いていた。 近くにたまたま竹の棒が落ちていて先程の土器を竹の先に差し込み、くるくると廻していた。 遠心力が働き、土器は竹の先から飛んで落下してしまった。 

「あ~」と叫んだが時すでに遅し。 

  疑ってはいたものの、「もしや本物で大発見かも知れないのに‣・」口惜しいのと、申し訳ないとの気持ちが入れ交じっていた。