歴歩

歴歩 歴史は歩く。ゆっくりと歩く。それを追いかける。

橿原市・藤原京跡 最古級の九九早見表か

2024年09月05日 | Weblog
 奈良文化財研究所が4日、藤原京(694-710)跡から出土した木簡が、役人が使用した最古級のかけ算の九九が書かれた早見表とみられることが分かったと発表した。
 木簡(長さ16.2cm、幅1.2cm)は2001年に藤原京左京七条一坊の「衛門府」の推定地で一部のみ現存した形で出土。
 九九の並びから復元すると、最上段の右端が「九々八十一」で左端が「五九卌五」と推定。
 全体で8段5行で木簡は全長約326mmと想定できるという。
 日本では、これまでにも九九木簡は出土しているが、1段に2-3行しか書かれていなく、横5行で記した木簡は今回が初めてという。
[参考:共同通信。奈良文化財研究所HP、読売新聞、産経新聞、NHK]

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  九九木簡
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奈良市・平城宮跡 「九九木簡」が出土 中国の「孫子算経」を参考にして「九九」を練習

2010年12月04日 | Weblog
 奈良文化財研究所は3日、平成20、21年にかけて平城宮東方官衙(かんが)跡(奈良市佐紀町、8世紀)から出土した木簡群の中に、中国の算書に掲載されている「九九」の計算を記した木簡片が見つかったと発表した。中国の算書を参考に記した木簡の出土例は初めてという。
 平城宮跡東側から見つかった木簡片(長さ16cm、幅1・5cm)の一部に、「□九廿七 二九十八 一九如九」(□は三?)、裏に「五八■ 四八卅二 三八廿□」(■は卌?、□は四?)の文字が記されていた。「一九如九」(いんくはくのごとし)は「1×9=9」を意味し、「如」は積が1ケタの場合に挿入されたとみられる。 当時の九九は現代と違って「九九 八十一」から始まる。
 中国の隋、唐時代の九九の算書「孫子算経」(3~5世紀頃成立)と「算経十書」(7世紀頃)に「一九如九」など九九の計算が掲載されており、これらの算書を参考にしたとみられる。
 平城宮跡の木簡群からは、九九の暗算のために練習した文字跡が残る木簡の出土例はあるが、中国書を参考にして記したとみられる木簡の出土は初めて。
 文字は稚拙で、当時の下級役人が暗算の勉強をした木簡片ではないかとしている。
[参考:NHKニュース、共同通信、毎日新聞、日経新聞、産経新聞、読売新聞]

かけ算の九九は中国から…伝来示す木簡が出土(読売新聞) - goo ニュース
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新潟市・大沢谷内遺跡 県内最古の木簡出土(九九木簡出土)

2008年10月10日 | Weblog
 新潟市秋葉区の大沢谷内(やち)遺跡で出土した7世紀後半のものとみられる木簡は、和島村(現長岡市)の八幡林遺跡で見つかった8世紀前半の「沼垂城(ぬたりのき)木簡」よりも古く、県内最古の文字資料となる。
 新潟平野周辺の古代史の解明につながる資料として注目されそうだ。
 同遺跡は国道403号の新設工事に伴い、同市埋蔵文化財センターが2005年から調査している。
 木簡は縦約20cm、横3・5cm。大きい数の「九九、八十一」から始まり、「八九」「七九」と掛けられる数が小さくなる。同市埋蔵文化財センターが近くで出土した須恵器などから年代を判断した。
 九九の木簡は全国で出土しているが、まとまった記載のものは少なく、9の段が全部読める木簡は「全国初と思われる」という。
 当時は律令国家の初期に当たり、税を徴収する役人が九九を暗記するために記したとみられるが、「七九、四七」「三九、二十四」など間違いも多い。
 この発掘で同遺跡が新潟平野周辺では647年の渟足柵(ぬたりのき=沼垂城)の設置以降にできた数少ない遺跡であることが分かった。渟足柵の設置に近い時期から、文章を使った行政が行われていたことが分かり、意義は大きいとする。
[参考:10/8 新潟日報]
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