明日香村教委が21日、「槻の樹の広場」(日本書紀では「槻樹之下」)跡とされる飛鳥寺西方遺跡で新たに、東西19.2m以上、南北4.8mの大型建物跡が確認されたと発表した。飛鳥寺西門跡から約140m西にあたる。
日本書紀には7世紀中ごろ以降、寺の西側で外交使節をもてなしたとあり、供宴施設だった可能性が高いという。
今回の調査と合わせ、広場では4棟の建物跡が確認されたことになり、広場は従来の想定からさらに西に広がった。
現地説明会は25日午前10時~午後3時に開かれる。
[参考:産経新聞、毎日新聞、朝日新聞]
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/飛鳥寺西方遺跡
宴会施設か、飛鳥時代の建物跡が出土 蝦夷や隼人招待?
日本書紀には7世紀中ごろ以降、寺の西側で外交使節をもてなしたとあり、供宴施設だった可能性が高いという。
今回の調査と合わせ、広場では4棟の建物跡が確認されたことになり、広場は従来の想定からさらに西に広がった。
現地説明会は25日午前10時~午後3時に開かれる。
[参考:産経新聞、毎日新聞、朝日新聞]
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