本日行われた、吾妻古墳現地説明会のニュースが下野新聞で18枚の写真とともに報道されていました。約200名が参集した模様です。
[12月11日掲載分]
県埋蔵文化財センターより、現地説明会のお知らせの案内が発表されました。
前回と今回の計測結果より全長が127.8mとなり、それまで最大であった小山市琵琶塚古墳(全長123.1m)を抜いて、栃木県最大の古墳と確認されたそうです。また、横穴式石室が約100年ぶりに見られるとのことです。
日 時: 平成20年12月13日(土) 10:30~11:30 (小雨決行)
場 所: 吾妻古墳の南西川 (トヨタホーム工場の東側)
問合せ: (財)とちぎ生涯学習文化財団埋蔵文化財センター
内 容:
① 後円部の北側で墳丘の端が確認され、昨年確認された前方部の端を考慮すると全長が127.8mとなり、それまで最大であった小山市琵琶塚古墳(全長123.1m)を抜いて、栃木県最大の古墳と確認された。
② 周堀の深さは最大で2.8mであり、かなりの掘削をして造られていたことがわかった。また、外側を調査した結果、二重目の堀や周掘を巡る土手などは存在しないことを確認。
③ 2段目の墳丘頂上や斜面、裾から埴輪片(殆んどが土管のような円筒埴輪)が多数出土し、表面にハケが見られる特徴などから6世紀後半に築造されたと考えられる。
④ 前方部で横穴式石室が確認された。奥行き2.4m、幅1.7mの広さで玄室と考えられ、両側の壁と奥壁は、それぞれ1枚石を使用し、内面が赤く塗られている。
など
[参考栃木県埋蔵文化財センター]
備考:
今年1月に発表された報道記事では、全長134m、2段造成。さらに、出土する埴輪の大半が大型の円筒埴輪で、ハケメが細かいのが特徴などから、古墳の南約3kmにある「飯塚埴輪窯跡」(小山市)の生産品に似ており、古墳は6世紀後半に造られたことが裏付けられたとしていた。また、堀を含めた長さは165mで、琵琶塚古墳(200m)、小山市の摩利支天塚古墳(197m)に次ぐ第三位の大きさに対しては変更がない模様。
[参考:2008.1.17東京新聞、毎日新聞]
[壬生領史略(嘉永3年(1850)編纂)]
「(吾妻古墳の石室は)南一方に口あり。厚石を以、上と左右を五六尺に囲、夫より奥に入には、幅三尺五六寸、竪四尺四寸計に穴を穿あり、此の穴を潜りて奥に入ば、九尺四方計、高さ八九尺。皆厚石を以て囲たり。」
これより、羨道:高さ、奥行き約1.8m、玄室:2.7m四方が推定されていた。
[現地の説明版より]
国指定史跡 吾妻古墳(あずまこふん)
昭和45年7月22日指定 壬生町大字藤井字吾妻 栃木市大光寺町
吾妻古墳は、黒川東岸の台地上に築かれた前方後円墳です。墳丘は二段につくられ、墳丘第一段の平坦面(基壇・・きだん)が幅広くつくられているのが特徴です。墳丘の全長は第一段が117m、第二段が86mあり、堀(周湟・・しゅうこう)の底からの高さは約10mあります。墳丘の周囲には、保存の良い状態で堀が廻っています。東側では、堀の内側に突き出した張り出し部がみられ、堀を渡るための橋がかけられていたと考えられます。堀を含めた古墳の総全長は約170mに達し、壬生町では最も大きな古墳となります。
吾妻古墳の石室については、昔の記録から凝灰岩の切り石を使用した横穴式石室が前方部前端につくられていたことがわかっています。石室の玄門(げんもん)は、現在壬生城址公園内に保存されています。墳丘からは埴輪が出土しており、これらの資料から吾妻古墳は古墳時代後期(今から約1400年前)につくられた古墳と考えられます。
平成3年3月 壬生町教育委員会
[12月11日掲載分]
県埋蔵文化財センターより、現地説明会のお知らせの案内が発表されました。
前回と今回の計測結果より全長が127.8mとなり、それまで最大であった小山市琵琶塚古墳(全長123.1m)を抜いて、栃木県最大の古墳と確認されたそうです。また、横穴式石室が約100年ぶりに見られるとのことです。
日 時: 平成20年12月13日(土) 10:30~11:30 (小雨決行)
場 所: 吾妻古墳の南西川 (トヨタホーム工場の東側)
問合せ: (財)とちぎ生涯学習文化財団埋蔵文化財センター
内 容:
① 後円部の北側で墳丘の端が確認され、昨年確認された前方部の端を考慮すると全長が127.8mとなり、それまで最大であった小山市琵琶塚古墳(全長123.1m)を抜いて、栃木県最大の古墳と確認された。
② 周堀の深さは最大で2.8mであり、かなりの掘削をして造られていたことがわかった。また、外側を調査した結果、二重目の堀や周掘を巡る土手などは存在しないことを確認。
③ 2段目の墳丘頂上や斜面、裾から埴輪片(殆んどが土管のような円筒埴輪)が多数出土し、表面にハケが見られる特徴などから6世紀後半に築造されたと考えられる。
④ 前方部で横穴式石室が確認された。奥行き2.4m、幅1.7mの広さで玄室と考えられ、両側の壁と奥壁は、それぞれ1枚石を使用し、内面が赤く塗られている。
など
[参考栃木県埋蔵文化財センター]
備考:
今年1月に発表された報道記事では、全長134m、2段造成。さらに、出土する埴輪の大半が大型の円筒埴輪で、ハケメが細かいのが特徴などから、古墳の南約3kmにある「飯塚埴輪窯跡」(小山市)の生産品に似ており、古墳は6世紀後半に造られたことが裏付けられたとしていた。また、堀を含めた長さは165mで、琵琶塚古墳(200m)、小山市の摩利支天塚古墳(197m)に次ぐ第三位の大きさに対しては変更がない模様。
[参考:2008.1.17東京新聞、毎日新聞]
[壬生領史略(嘉永3年(1850)編纂)]
「(吾妻古墳の石室は)南一方に口あり。厚石を以、上と左右を五六尺に囲、夫より奥に入には、幅三尺五六寸、竪四尺四寸計に穴を穿あり、此の穴を潜りて奥に入ば、九尺四方計、高さ八九尺。皆厚石を以て囲たり。」
これより、羨道:高さ、奥行き約1.8m、玄室:2.7m四方が推定されていた。
[現地の説明版より]
国指定史跡 吾妻古墳(あずまこふん)
昭和45年7月22日指定 壬生町大字藤井字吾妻 栃木市大光寺町
吾妻古墳は、黒川東岸の台地上に築かれた前方後円墳です。墳丘は二段につくられ、墳丘第一段の平坦面(基壇・・きだん)が幅広くつくられているのが特徴です。墳丘の全長は第一段が117m、第二段が86mあり、堀(周湟・・しゅうこう)の底からの高さは約10mあります。墳丘の周囲には、保存の良い状態で堀が廻っています。東側では、堀の内側に突き出した張り出し部がみられ、堀を渡るための橋がかけられていたと考えられます。堀を含めた古墳の総全長は約170mに達し、壬生町では最も大きな古墳となります。
吾妻古墳の石室については、昔の記録から凝灰岩の切り石を使用した横穴式石室が前方部前端につくられていたことがわかっています。石室の玄門(げんもん)は、現在壬生城址公園内に保存されています。墳丘からは埴輪が出土しており、これらの資料から吾妻古墳は古墳時代後期(今から約1400年前)につくられた古墳と考えられます。
平成3年3月 壬生町教育委員会
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