亘理町教育委員会は16日、町中心部にある古墳時代後期(約1400年前)の横穴墓を中心とする遺跡「桜小路横穴墓群」の発掘調査
で、あらたに7~8世紀の横穴墓25基と、そのうちの1基から金属製品の「蕨手刀(わらびてとう)」(長さ40cm)が出土したと発表した。蕨手刀が宮城県南沿岸部で出土するのは初めて。
ほかに、「直刀」(長さ80cm)、30本以上の鏃(やじり)、水晶製の勾玉、琥珀製の棗(なつめ)玉、耳環などの副葬品が見つかった。蕨手刀の形態などから7~8世紀(飛鳥~奈良時代)にかけ、当時の亘理地方を治めていた有力者と家族が葬られたと推定されるとしている。続日本紀の養老二年(718) 5月2日の条に、「(略)割陸奥国之石城。標葉。行方。宇太。曰理。(略)」、和名抄に「和多里」とあり、曰理と和多里が現在の「亘理」である。
横穴墓は棺を納めた敷石のある玄室、玄門、閉塞石を積み重ねた羨道の三つの部分で構成。玄室は正方形か長方形で、一辺が2・4~3mの大型のものと、1.5mの小型のものとがあった。
死者を弔う墓前祭で使用されたと考えられる土師器、須恵器などが多量に出土した。
昭和55年(1980)の発掘調査で横穴墓26基を確認しているので、今回出土した新たな横穴墓を含めると51基に、さらに周辺一帯を含めると100基を超える横穴墓群が分布する県内最大級の遺跡であることが分かった。
一般の現地説明会は18日(土(午後1時半から開かれる。
[参考:河北新報、毎日新聞、朝日新聞]
で、あらたに7~8世紀の横穴墓25基と、そのうちの1基から金属製品の「蕨手刀(わらびてとう)」(長さ40cm)が出土したと発表した。蕨手刀が宮城県南沿岸部で出土するのは初めて。
ほかに、「直刀」(長さ80cm)、30本以上の鏃(やじり)、水晶製の勾玉、琥珀製の棗(なつめ)玉、耳環などの副葬品が見つかった。蕨手刀の形態などから7~8世紀(飛鳥~奈良時代)にかけ、当時の亘理地方を治めていた有力者と家族が葬られたと推定されるとしている。続日本紀の養老二年(718) 5月2日の条に、「(略)割陸奥国之石城。標葉。行方。宇太。曰理。(略)」、和名抄に「和多里」とあり、曰理と和多里が現在の「亘理」である。
横穴墓は棺を納めた敷石のある玄室、玄門、閉塞石を積み重ねた羨道の三つの部分で構成。玄室は正方形か長方形で、一辺が2・4~3mの大型のものと、1.5mの小型のものとがあった。
死者を弔う墓前祭で使用されたと考えられる土師器、須恵器などが多量に出土した。
昭和55年(1980)の発掘調査で横穴墓26基を確認しているので、今回出土した新たな横穴墓を含めると51基に、さらに周辺一帯を含めると100基を超える横穴墓群が分布する県内最大級の遺跡であることが分かった。
一般の現地説明会は18日(土(午後1時半から開かれる。
[参考:河北新報、毎日新聞、朝日新聞]
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