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多治見市七ツ塚遺跡 鎌倉時代末の灌漑用水路跡が見つかる 20日に現地説明会

2009年06月21日 | Weblog
<20日に現地説明会が行われ約80名が参加>
 七ツ塚遺跡で見つかった灌漑用水路跡で20日、現地説明会があり、約80人が訪れた。
 溝の中に細かい砂粒が並び、水流があったことが分かったことが、灌漑施設と判断した根拠。水路脇の土手を固めるために、3000本の木製杭を打ち込んであった。用水路跡は、南北50mにわたって延びている。
 次回の調査は7月に始まる。
[参考:中日新聞]

<2009.6.19掲載分>
 多治見市音羽町の七ツ塚遺跡(600㎡)で、中世の大規模な灌漑用水路跡が発掘された。市教委文化財保護センターによると、13世紀末から14世紀初めにかけて構築されたもので、明治時代に構築された虎渓用水より約600年も前に本格的な水路が完成していたことを証明する貴重な発見という。
 灌漑用水路跡は30m以上にわたって発掘。鎌倉末期~室町期の築造とみられ、大量の木杭や横木などで基礎を固めた幅2~3mの土手状遺構があった。土手を築いて水位を上げて水田に導水したらしい。
 同様の構造の中世の土手状遺構は全国的にも珍しく、県内では2例目の発見という。水路などから13~15世紀を中心にした山茶碗(注1)や古瀬戸、中国陶磁器など1万5000点以上が出土した。
 20日午後1時から現地説明会が開かれる。出土品も公開する。雨天時は翌日に延期。
[参考:毎日新聞]

過去のニュース・情報
 (注1)山茶碗

コメント
 誰が、この大規模な灌漑用水路が作ったのか、興味があるところ。土岐川を越えて東南1.4kmに「太平記」で有名な多治見国長(注2)邸跡があり、候補として挙げられる。
 昨年度の発掘調査では、縄文時代の土器や石器、弥生式土器、平安時代の灰釉陶器、中世の山茶碗など約1万2000点が出土した。

 (注2) 多治見国長(1289 -1324)
 鎌倉時代末期の武将。清和源氏の流れを汲む土岐氏一門の国純の子。
 美濃国多治見を本拠として活動していたが、後醍醐天皇による鎌倉幕府打倒計画に参加。 「正中の変」で六波羅探題に攻められ自刃した。多治見新町2丁目の場所に国長の表門があったと伝えられ、ここに「多治見国長公遺址」と刻まれた石柱が建てられている。




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