歴歩

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大村市・竹松遺跡 平安時代の地層から紡錘車が出土、彼杵郡の港を示す「木 都」の線刻文字

2013年06月10日 | Weblog
 長崎県教育庁新幹線文化財調査事務所は7日、大村市竹松町の竹松遺跡で平安時代から鎌倉時代に、遺跡周辺に古代の彼杵郡(そのきのこおり)の津(港)があったことを示す文字資料が出土したと発表した。 彼杵郡の港を示す文字史料が発見されたのは初めて。
 10世紀後半から11世紀中頃の滑石製紡錘車(直径約4.5cm)に線刻文字で「木」と「都」が刻まれており、2文字で「きのつ」と読み、「杵の津」のことと考えられるという。 遺跡付近に郡衙があったことを強くうかがわせるとしている。
 郡衙は竹松遺跡に近い大村市寿古町周辺にあったとみられているが、それを裏付ける遺物は見つかっていない。
 ほかに、13世紀頃のものとみられる中国・宋代の「湖州六花鏡」(径約11cm)、中国製の陶磁器などが出土した。
 今月23〜25日午前10時〜午後5時、遺跡内の現場事務所(大村市竹松町997)で遺物展示見学会が開かれる。
[参考:長崎新聞、西日本新聞、毎日新聞、朝日新聞、NHK]

備考)
 『延喜式』に、「西海道 肥前國上 管 基肆養父三根神埼・佐嘉・小城 松浦・杵島・藤津・彼杵・高來」と記載されている。
 奈良時代の732~740年頃に編纂された『肥前風土記』に彼杵郡が記載されている。
 平安時代の承平年間(931~938年)に編纂された『和名類聚抄(和妙抄)』に「彼杵郡大村郷」と記載されている。

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