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天理市・東大寺山古墳出土金象嵌銘文大刀 象嵌が純金と判明

2010年01月06日 | Weblog
 天理市櫟本町の東大寺山古墳出土の金錯銘花形飾環頭大刀(重要文化財)について、象眼が金鉱石に含まれる銀を精錬でほぼ完全に除去した純金だったことが、東京文化財研究所(東京都台東区)の調査で分かった。
 国内で金象眼の文字のある大刀は数本しかないうえ、純金は極めて珍しい。中国の高度な製錬技術で作られた大刀が日本にもたらされた可能性を裏付けるものとみられる。
 金象眼の大刀(長さ110cm)には、刀身の峰の部分に24文字分が確認されていて、「中平□年五月丙午造作文刀百練清剛上應星宿下辟不祥」と書かれている。
 研究所が、大刀の修復作業に伴い、各文字の金象眼を蛍光エックス線分析で調べたところ、すべての文字について、金が99・3~99・9%を占める純金だったことが判明した。(過去に稲荷山古墳(埼玉県行田市、5世紀後半)出土の金錯銘鉄剣を、同様の方法で分析したところ、銀が10~30%含まれ、純金ではなかったことが判明している。日本製とされている。)
 「中平」が西暦184~189年に相当することから、180年ごろ女王になった卑弥呼が中国王朝から権力のシンボルとして譲り受け、その後、東大寺山古墳の被葬者に与えられたともいわれている。「魏志倭人伝」によると、日本で170~180年ごろ、「倭国大乱」があり、卑弥呼の擁立で戦乱が治まった時期とほぼ合致する。女王になったばかりの卑弥呼が中国に使者を送り、金象眼大刀を譲り受けたとも考えられる。
 東大寺山古墳は4世紀中ごろの築造で、全長約140mの前方後円墳。昭和36年に発掘され、20本以上の大刀や槍、碧玉製腕飾りなどが発見された。大量の武器が副葬されていたことから、武将の墓との説が有力。この古墳一帯に拠点を置いたという大豪族・和邇氏の武勲をたたえて与えられた可能性がある。
 東大寺山古墳の大刀(花形環頭飾金象嵌銘大刀=金錯銘花形飾環頭大刀)は6月6日まで、東京国立博物館で展示されている。
[参考:産経新聞]

写真は、天理市櫟本町宮山に鎮座する和邇下神社本殿(国指定重要文化財)。東大寺山古墳はここから東の小高い丘陵にある。

追記(2010.8.3)
2010.8.2 産経新聞の記事で「・・・幻の報告書刊行 東大寺山古墳」とあった。「未完のままだった学術報告書が、発掘から半世紀を経てようやく刊行された。」とあり、実は、今年の3月に発行されているようだ。
 『東大寺山古墳の研究』 (発行:東大寺山古墳研究会 天理大学・天理大学付属天理参考館2010.3)
他に、2006年に天理参考館と共催した公開シンポジウムの成果をまとめた書籍が刊行されている。
 『東大寺山古墳と謎の鉄刀』東大寺山古墳研究会編 (発行:雄山閣2010.5)

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