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下関市・長門鋳銭所跡 和同開珎の鋳造年「天平二年」が書かれた木簡などが出土

2010年08月10日 | Weblog
 下関市教委は10日、今年1月からの発掘調査で、銅銭「和同開珎」を鋳造していたと伝えられる同市長府逢坂町の国史跡「長門鋳銭所跡」付近の深さ1m前後の地層から、鋳造年代が書かれた木簡と和同開珎のかけらや鋳型などが大量に出土したと発表した。文献以外で和同開珎の鋳造年代を示す遺物の発見は全国初という。
 見つかった木簡は幅約1cm、長さ約22cm。左半分は欠けているが、「天平二年(730)五月四日主□□部車万呂」と墨で書かれていた。
 当時、長門国(現在の山口県西部)で銅銭が鋳造されていたとの「続日本紀」の記述(注1)が裏付けられるとともに、この場所に官営の貨幣鋳造所があったことが確実となった。
 木簡はほかにも約300点見つかり、和同開珎の破片1点、溶かした銅を鋳型に流し込むのに使う坩堝(るつぼ)や鋳型の「銭笵(せんぱん)」の破片数千点などが出土した。
[参考:共同通信、NHKニュース(動画)、読売新聞、毎日新聞]

(注1) 天平2年(730)3月丁酉。《十三》周防國熊毛郡牛嶋西汀。吉敷郡達理山所出銅。試加冶練。並堪爲用。便令當國採冶。以充長門鑄錢。

和同開珎の鋳造年示す木簡を発見 下関の史跡付近で(共同通信) - goo ニュース
和同開珎の鋳銭時期裏付ける初の木簡…下関(読売新聞) - goo ニュース

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