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「発掘された日本列島2009」(江戸東京博物館)より 今宿五郎江遺跡

2009年07月17日 | Weblog
 今宿五郎江遺跡(福岡市西区今宿町字前田)は2002年から調査を開始し、コンテナ8000箱ほどの、多量の遺物が出土している。
 2007年に環濠集落跡が見つかり、伊都国の有力な拠点集落の一つとみられている。
 今回、土器(5)、銅鏃(5)、銅戈鋳型(1)、ガラス製品(9)、貨泉(3)、石錘(2)、石杵(1)、土製鏡(1)、破鏡(2)、小型仿製鏡(2)、楽浪系土器片(4)、木製短甲片(1)など41点が展示されているが、銅戈鋳型と小型仿製鏡を紹介。
 銅戈鋳型(写真):中広型銅戈基部の鋳型、弥生時代中期 1世紀、長さ8.1cm、幅6.4cm、厚さ3.9cm、凝灰質砂岩製、第10次調査で出土
 小型仿製鏡:弥生時代後期~終末期 2~3世紀 右12.8cm、左12.5cm、第11次調査で出土  

過去のニュース・情報
2009.2.20 今宿五郎江遺跡 弥生時代の甲冑などの木製品が出土
 市教委は19日、今宿五郎江遺跡で、漆の文様が装飾された筒型容器の一部や木製の短甲の一部、幾何学文様の飾り板2点など、弥生時代後期(2‐3世紀)とみられる木製品が約500点見つかったと発表した。
 漆塗りの筒型容器は、長さ22.5cm、幅約4cm、厚さ6mmで、黒漆の塗装面に赤漆で細い線や格子模様、鋸歯の文様を描いている。裏表とも漆が塗られていることから、もともとは細長い筒形の容器として使用されていた可能性が高いという。
 木製の短甲の一部(長さ27cm、幅10cm、厚さ2cm)はワラビの先端のような形をした文様が2カ所に描かれている。
 ほかに、木製のしゃもじや臼(うす)など生活用具のほか、鍬や船の水をくみ出す農漁具などとともに出土した。
[参考:西日本新聞、読売新聞]

2007.12.1 今宿五郎江遺跡 青銅製「寶」の印章出土
 市教委は30日、今宿五郎江遺跡から、「寶(宝の旧字)」と刻まれた平安時代前半(9‐10世紀ごろ)の青銅製印章(印面は1辺2、5cmの正方形)が全国で初めて出土したと発表した。役人クラスの人物が使ったとみられる。文字が一文字であることなどから、役所などで使われた公印ではなく、私印と見られる。遺跡からは官衙で使われたものと同じ瓦や中国製の陶磁器、国産の陶器も出土し、周辺に官衙級の重要施設があった可能性が高まった。大宰府の勢力の広がりを知る上で貴重な発見としている。
[西日本新聞、読売新聞]

2007.8.2 今宿五郎江遺跡 環濠集落が見つかる 「伊都国」交易拠点か
 福岡市教委は1日、今宿五郎江遺跡で、弥生時代後期(紀元後1世紀~3世紀初頭)の大規模な環濠集落が見つかったと発表した。
 一帯から糸島半島にかけては「魏志倭人伝」に記されている伊都国の領域とされているが、環濠集落が確認されたのは初めて。遺跡が当時の海岸線に近いことから、国内外との交易を担った、伊都国の有力な拠点集落の一つとみている。
 2002年に始まった発掘調査で、幅2.5m、深さ1.2m程度のV字溝が、東西約200m、南北約200mの集落を楕円形に囲む形で見つかった。未調査地点も含めると、総延長は900mで集落の総面積は約4・2ヘクタールと推定される。
 環濠内からは今回、中国・後漢時代の「内行花文鏡」といわれる銅鏡の破片や、朝鮮半島支配のために漢朝が設置した楽浪郡(平壌周辺の地域)一帯で製造された土器が出土。これまでの調査で住居の柱跡とみられる穴も複数確認したという。
また、古墳時代ごろのものとみられる銅製の鈴(直径1・9cm)を新たに発見した。
[参考:西日本新聞、毎日新聞、読売新聞]



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