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木津川市・鹿背山城跡 多聞櫓の遺構

2009年03月26日 | Weblog
 同市教委は25日、戦国武将・松永久秀(1510~77)が16世紀後半に山城とした鹿背山(かせやま)城跡で、土塁の上に建てられていた櫓跡や掘立柱建物跡の一部が見つかったと発表した。
安土城など近世城郭では石垣の上に長屋を築く「多聞櫓」が採用されたが、鹿背山城が最古の確認例になる可能性が高いという。
 同城跡は標高136mの山の山頂部分に主郭があり、櫓跡は、城跡のほぼ中央部、南北方向の土塁(長さ約20m、幅4~8m、高さ約1・6m)の南端上で出土した。補強のため、基底部の斜面には石が積まれていた。直径約1mの柱穴跡が3カ所確認され、櫓の規模は、東西4・15m、南北3・75mと推定されている。
 今回の調査では土塁全体の発掘は行われなかったが、柱穴の形状などから、多聞櫓が立っていたとみられる。
 一方、掘立柱建物跡は土塁のすぐ西から6つの柱穴跡が見つかり、東西6m、南北3m以上とみられる。土塁とは緩やかな斜面(長さ約2m)で結ばれており、羽釜や土師器なども出土したことから、鉄砲隊など兵士の宿営場所があったとみられている。
 鹿背山城は南山城地域最大の山城で、木津川に面した標高約136mの山頂に築かれ、3つの主郭を持つ。15世紀後半に興福寺(奈良市)の出城にもなり、16世紀後期に大和を支配した戦国武将、松永久秀が再整備した。
 土塁上に櫓と長屋状の建物を築いた「多聞櫓」は、松永久秀が1560(永禄3)年に整備した多聞山城(奈良市)で取り入れた。
 現地説明会は28日午前10時と午後1時から行われる。問合せは木津川市教委。
[参考:京都新聞、産経新聞、共同通信、朝日新聞]



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