歴歩

歴歩 歴史は歩く。ゆっくりと歩く。それを追いかける。

百済木簡皮を多数確認 倭国との交流を見せる判読結果も公開

2009年01月12日 | Weblog
「那●内連公」(●は判読不能字)と判読 連はムラジ?
 百済時代木簡皮と破片129点が確認された。この遺物は、紙の代用として書いた木簡を再利用するために、「鉋屑(かんなくず)」のように刃物で片面を削り出す過程でできたとみられる。また扶余双北里遺跡で出土した百済時代木簡に、百済と倭の間の交流実状を知らせる文字資料という新しい判読結果も公開された。
 国立扶余博物館は扶余陵山里寺の跡地出土品を再整理する過程で、手刀で削り出した木簡皮129点を確認して、その結果を百済時代木簡全般に関する調査資料集として発刊した「百済時代木簡」を通して公開した。
 木簡皮と破片に、稲など穀物類が行き来した文書の一部と見える「石」(1石を意味)や、文書が終了したことを意味する「了」などの字が確認された。
また、1999年扶余双北里遺跡で百済時代の物品荷札用百済時代木簡はこれまでに文字があるという点は確認されていたが、正確な判読はされていなかったが、今回赤外線を通して精密な判読が試みられた。
 その結果、扶余博物館は「(那●内連公)」(●は判読不能字)と判読結果を示して、「連(ムラジ)」という字は日本古代の大和政権(야마토 정권)で官職を基盤に与えられた姓(カバネ)に該当すると見ることができるという見解を出した。このような説明が妥当ならば、この木簡が製作された当時、百済には「連(ムラジ)」という姓を持った倭人が活動していたことに繋がる。中国の正史の中の一つ周書の百済伝には、百済には中国と新羅と倭人が居住していたという記録が見え、百済と倭国の間に人的・物的交流が活発だったことを見せる初めての実物資料となる。
[参考:2009.1.8聯合ニュース、朝鮮日報]
[参考:前出]
 前出の、国立扶余博物館・李鎔賢氏が発表された資料「韓国木簡の現在・百済木簡 ─新出資料を中心にと題して」の中では、双北里で出土した木簡の中に「首比」と書いたものがあり、「首」「比」は日本書紀百済関係資料に見える用字である、と記している。今回の判読結果とともに、百済と倭の交流の新たな発見の一ページになるかもしれない。

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« かつらぎ町・中飯降遺跡 新... | トップ | 美馬市・郡里廃寺跡で鴟尾の... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

Weblog」カテゴリの最新記事