【眼鏡のスラッガー】
Frank HOWARD
60年代を中心に、そのパワフルな打撃でファンを魅了したスラッガー。
1958年から64年の間、機動力重視のドジャースにおいて
ポイント・ゲッターとして活躍したハワード。
60年、23本塁打で新人王、
62年には31本塁打 119打点でチームの世界一に貢献した。
65年からワシントン・セネターズに移籍、
68年から70年まで3年連続40ホームラン以上と100打点以上を記録、
68年に本塁打王、70年は本塁打・打点の二冠を獲得し
そのパワーをおおいにふるった。
特に68年のホームラン王獲得は、この年がメジャー史上においても
最高と言える程の投高打低のシーズンだっただけに、価値は大きい。
73年、タイガースで12本塁打を打った翌年
日本の太平洋クラブライオンズに移籍。
大リーグの元ホームラン王の来日とあって、
マスコミやファンの熱い視線を浴びるが、
ヒザの故障で開幕戦に出場しただけで帰国してしまった。
引退後はパドレス、メッツで監督を務めるも、
結果を出すに至らなかった。
Frank HOWARD
60年代を中心に、そのパワフルな打撃でファンを魅了したスラッガー。
1958年から64年の間、機動力重視のドジャースにおいて
ポイント・ゲッターとして活躍したハワード。
60年、23本塁打で新人王、
62年には31本塁打 119打点でチームの世界一に貢献した。
65年からワシントン・セネターズに移籍、
68年から70年まで3年連続40ホームラン以上と100打点以上を記録、
68年に本塁打王、70年は本塁打・打点の二冠を獲得し
そのパワーをおおいにふるった。
特に68年のホームラン王獲得は、この年がメジャー史上においても
最高と言える程の投高打低のシーズンだっただけに、価値は大きい。
73年、タイガースで12本塁打を打った翌年
日本の太平洋クラブライオンズに移籍。
大リーグの元ホームラン王の来日とあって、
マスコミやファンの熱い視線を浴びるが、
ヒザの故障で開幕戦に出場しただけで帰国してしまった。
引退後はパドレス、メッツで監督を務めるも、
結果を出すに至らなかった。
球界随一の巨漢でパワーヒッターでした。
確か68・69・70年は彼とハーマン・キラブリュー
が熾烈なHR王争いをしていました。
でも足は遅く、守備は下手でしたね。
とにかくデカイ選手でした。