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file .304 John OLERUD【ジョン・オルルド】

2013-07-07 | MNO
【マイナー知らず】
John OLERUD

大学時代、野手・投手の二刀流で八面六臂の大活躍のオルルドだったが、
就学中にくも膜下出血を煩い、頭部の手術を施された。

1989年のドラフトにおいては、件の手術の影響で、
大学時代の活躍の割には低い3位という順位でブルージェイズから指名。
その年の9月にはマイナーを経ずにメジャーに昇格、
6試合、8打席のみではあったが、3安打し、早速メジャーで結果を残した。

翌1990年は打率.265 14本塁打で新人王投票で4位。
1991年は打率.256 14本塁打を打ち、地区優勝に貢献すると
1992年には打率.284 16本塁打 66打点で、
今度はチーム初のワールドシリーズ制覇に大きく貢献した。

93年、オルルドは脅威の覚醒を見せた。
打率.363 24本塁打 107打点 出塁率.473。
初のオールスターにも出場し、首位打者も獲得、
2年連続の世界一に、これ以上無い形で貢献し、
大ブレークを果たすに至った。

その後は、93年程の派手な数字を残す事は出来ないものの、
卓越した選球眼で高い出塁率を記録、
97年にトレードでメッツに移籍した。
メッツでの1年目は打率.294 22本塁打 102打点、サイクルヒットも記録。
翌98年には打率.354 22本塁打 93打点をマーク、再び存在感をアピールし、
99年にはプレーオフで大活躍、リーグ優勝こそ逃すものの、
勝負強い一面を見せつけた。



2000年には故郷ワシントン州のマリナーズへFA移籍、
一塁手部門で、自身初となるゴールドグラブ賞を受賞。
イチローが加わった2001年は打率.301 22本塁打 95打点で
2度目のサイクルヒットを記録するなど、ぶっちぎりの地区優勝に貢献した。
2002年も打率.300をマークするが、
以降は徐々に成績が振るわなくなっていく。
2004年シーズン途中にヤンキースに移籍すると
2005年、レッドソックスを最後に現役を引退した。

卓越した打撃術でヒットを量産すると同時に
選球眼も確かで、通算の出塁率は、打率.295に対し.398を誇った。
学生時代に手術を受けた頭部を守る為、守備中もヘルメットを着用。
シリアスな原因ではあったが、それがユニークな存在感につながった。

通算2234試合 打率.295 255本塁打 1230打点。

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