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file .268 Buck LEONARD【バック・レナード】

2008-12-16 | Negro League
【黒いゲーリック】
Buck LEONARD

父親が、鉄道のボイラーマンをしていた事もあってか、
小さい頃は、駅で靴磨きしていたというレナード。
1933年、世界恐慌の際、この時働いていた駅の売店の仕事を失い、
25歳でブルックリン・ロイヤル・ジャイアンツと契約を交わしたが、
翌34年、彼のレナードのプレーに惚れ込んだスモーキー・ジョー・ウィリアムスの紹介で
ホームステッド・グレイズへ移籍。
ここで、ジョシュ・ギブソンと出会う。
強打のレナードは、同じく強打のギブソンと
パワーデュオを結成、その豪打ぶりは
多くの対戦相手を震え上がらせた。

一塁の守備も超一流、
なめらかなグラブ捌きと、バント処理の上手さには定評があり、
かのジョージ・シスラーと比肩すると言われる一方、
当時のメジャーリーガにも、彼以上の守備力を持った一塁手はいなかった....
とも言われている。


当然、ファンからは絶大な人気を誇り、
オールスターには12回出場。
メジャーリーグオールスターとの対戦にも
8試合プレーし、打率.500の大活躍。
ニグロリーグ側の勝利におおいに貢献し、
当時、メジャーのコミッショナーだった
悪名高きケネソー・ラウンディスをして
「もう、あいつらとは試合をしない」と言わしめた。

詳しい数字はほとんど残っていないレナードだが、
1940年、打率.383、
1948年には打率.391、42本塁打をマークしている。

ニグロリーグのシーズンオフには
プエルトリコ、キューバ、
ベネズエラでもプレーしていたというレナード。

1952年、44歳のレナードに、
ブラウンズのオーナーだったビル・ヴェックが声をかけた。
メジャーでプレーする夢は当然持っていたレナードだったが
「俺が入団する事で、多くの人に迷惑がかかる。
 まだまだこれからの若い選手だって一杯いるんだしな」と
ブラウンズ入りを固辞したという。

引退後は、体育教師や、マイナーチームの役員などを勤め、
94年に行われたピッツバーグでのオールスターには
名誉主将として招かれ、多くの観衆の前で
グレイズのユニホーム姿を披露した。

ニグロリーグでの生涯打率は、.341

1972年、野球殿堂入り。
1997年、死去。


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