
【悪童】
Kevin MITCHELL
街のギャング団から足を洗うため野球を始めたミッチェル。
ギャング時代は3発もの銃弾を浴びた事があるというから凄まじい。
ともあれ、更正手段として始めた野球で
その才能を開花させたのである。
86年、メッツでメジャーデビューを果たしたミッチェルは、
この年、打率.277、12本塁打、43打点、
新人王投票で上位にランクされる活躍を見せる。
また、有名なレッドソックスとのワールドシリーズでは、
第6戦、ビル・バックナーの、あのエラーを生んだ10回裏の攻撃に
代打で打席に立ち、2死1塁の状況でセンター前ヒット。
同点のホームを踏み、奇跡の大逆転を生む一翼を担った。
翌87年、トレードでパドレスとジャイアンツでプレー、
2チーム合計で22本塁打、70打点と成績を向上させた。
また、内野手だったミッチェルだが、
ジャイアンツ時代の89年、外野手に転向。
ウィリー・メイズに直接守備の指導を受け、
子供のような嬉々とした表情を見せた。
そしてこの年、ミッチェルは大爆発。
打率.292、47本塁打、125打点の好成績で、
リーグ優勝に貢献。シーズンMVPの栄冠に輝いた。
その後も、チームの中心打者として活躍したミッチェル。
92年はマリナーズ、93年からはレッズとチームを変わったが、
その活躍の裏では悪童ぶりをフルスロットルに発揮。
仮病による欠場や無断早退、チームメイトとの喧嘩騒動をはじめ、
私生活でも恋人にたいする暴行や、
あげくの果てには、その恋人の愛猫を惨殺するなどの悪行三昧。
さらに、金銭トラブルで自分の父親さえもブン殴り、周囲を騒然とさせた。
92~94年は、出場試合数も3年連続で100試合を切るのだが、
この3年間、93年の.341を皮切りに、全ての年で打率.310以上をマーク。
94年は、打率.326に加え、30本塁打を放つなど、
試合に出れさえすれば、その実力をまざまざと見せつけたのであった。
95年、ストの影響からか日本のホークスに入団。
必殺技のワガママ/仮病を繰り出し、『看板通りの活躍』を披露して帰国。
96年、レッドソックスでメジャーに復帰するが、
オーバーウェイトとそれに起因する故障禍には勝てず、
98年、アスレチックスで現役を引退した。
通算1173安打、234打点、打率.284。
自己管理と真摯な姿勢さえ保ち続ければ........。
話を前に戻して、86年のワールド・シリーズ。
10回裏、代打に指名されたミッチェルだが、
その時すでに、敗戦を確信し、
クラブハウスで帰りの支度をしていたのだという。
メジャー2年目にして既に『早退病』が発病していたのだ。
Kevin MITCHELL
街のギャング団から足を洗うため野球を始めたミッチェル。
ギャング時代は3発もの銃弾を浴びた事があるというから凄まじい。
ともあれ、更正手段として始めた野球で
その才能を開花させたのである。
86年、メッツでメジャーデビューを果たしたミッチェルは、
この年、打率.277、12本塁打、43打点、
新人王投票で上位にランクされる活躍を見せる。
また、有名なレッドソックスとのワールドシリーズでは、
第6戦、ビル・バックナーの、あのエラーを生んだ10回裏の攻撃に
代打で打席に立ち、2死1塁の状況でセンター前ヒット。
同点のホームを踏み、奇跡の大逆転を生む一翼を担った。
翌87年、トレードでパドレスとジャイアンツでプレー、
2チーム合計で22本塁打、70打点と成績を向上させた。
また、内野手だったミッチェルだが、
ジャイアンツ時代の89年、外野手に転向。
ウィリー・メイズに直接守備の指導を受け、
子供のような嬉々とした表情を見せた。
そしてこの年、ミッチェルは大爆発。
打率.292、47本塁打、125打点の好成績で、
リーグ優勝に貢献。シーズンMVPの栄冠に輝いた。
その後も、チームの中心打者として活躍したミッチェル。
92年はマリナーズ、93年からはレッズとチームを変わったが、
その活躍の裏では悪童ぶりをフルスロットルに発揮。
仮病による欠場や無断早退、チームメイトとの喧嘩騒動をはじめ、
私生活でも恋人にたいする暴行や、
あげくの果てには、その恋人の愛猫を惨殺するなどの悪行三昧。
さらに、金銭トラブルで自分の父親さえもブン殴り、周囲を騒然とさせた。
92~94年は、出場試合数も3年連続で100試合を切るのだが、
この3年間、93年の.341を皮切りに、全ての年で打率.310以上をマーク。
94年は、打率.326に加え、30本塁打を放つなど、
試合に出れさえすれば、その実力をまざまざと見せつけたのであった。
95年、ストの影響からか日本のホークスに入団。
必殺技のワガママ/仮病を繰り出し、『看板通りの活躍』を披露して帰国。
96年、レッドソックスでメジャーに復帰するが、
オーバーウェイトとそれに起因する故障禍には勝てず、
98年、アスレチックスで現役を引退した。
通算1173安打、234打点、打率.284。
自己管理と真摯な姿勢さえ保ち続ければ........。
話を前に戻して、86年のワールド・シリーズ。
10回裏、代打に指名されたミッチェルだが、
その時すでに、敗戦を確信し、
クラブハウスで帰りの支度をしていたのだという。
メジャー2年目にして既に『早退病』が発病していたのだ。
王ホークス1年目、西武との開幕戦は壮絶な
打撃戦でしたが、そこで放った1発は記憶に
残ってます。
しかしその後の活躍は覚えてません・・
結局シーズン途中で、仮病?で帰国したんですね。
鮮烈に覚えてます。
それだけに、その後の動きは残念でしたね~。
いろんな意味で『早退好き』な選手でしたね。