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file .225 Kevin Mitchell【ケビン・ミッチェル】

2007-11-13 | MNO
【悪童】
Kevin MITCHELL

街のギャング団から足を洗うため野球を始めたミッチェル。
ギャング時代は3発もの銃弾を浴びた事があるというから凄まじい。
ともあれ、更正手段として始めた野球で
その才能を開花させたのである。

86年、メッツでメジャーデビューを果たしたミッチェルは、
この年、打率.277、12本塁打、43打点、
新人王投票で上位にランクされる活躍を見せる。

また、有名なレッドソックスとのワールドシリーズでは、
第6戦、ビル・バックナーの、あのエラーを生んだ10回裏の攻撃に
代打で打席に立ち、2死1塁の状況でセンター前ヒット。
同点のホームを踏み、奇跡の大逆転を生む一翼を担った。

翌87年、トレードでパドレスとジャイアンツでプレー、
2チーム合計で22本塁打、70打点と成績を向上させた。
また、内野手だったミッチェルだが、
ジャイアンツ時代の89年、外野手に転向。
ウィリー・メイズに直接守備の指導を受け、
子供のような嬉々とした表情を見せた。

そしてこの年、ミッチェルは大爆発。
打率.292、47本塁打、125打点の好成績で、
リーグ優勝に貢献。シーズンMVPの栄冠に輝いた。

その後も、チームの中心打者として活躍したミッチェル。
92年はマリナーズ、93年からはレッズとチームを変わったが、
その活躍の裏では悪童ぶりをフルスロットルに発揮。
仮病による欠場や無断早退、チームメイトとの喧嘩騒動をはじめ、
私生活でも恋人にたいする暴行や、
あげくの果てには、その恋人の愛猫を惨殺するなどの悪行三昧。
さらに、金銭トラブルで自分の父親さえもブン殴り、周囲を騒然とさせた。
92~94年は、出場試合数も3年連続で100試合を切るのだが、
この3年間、93年の.341を皮切りに、全ての年で打率.310以上をマーク。
94年は、打率.326に加え、30本塁打を放つなど、
試合に出れさえすれば、その実力をまざまざと見せつけたのであった。

95年、ストの影響からか日本のホークスに入団。
必殺技のワガママ/仮病を繰り出し、『看板通りの活躍』を披露して帰国。
96年、レッドソックスでメジャーに復帰するが、
オーバーウェイトとそれに起因する故障禍には勝てず、
98年、アスレチックスで現役を引退した。

通算1173安打、234打点、打率.284。
自己管理と真摯な姿勢さえ保ち続ければ........。

話を前に戻して、86年のワールド・シリーズ。
10回裏、代打に指名されたミッチェルだが、
その時すでに、敗戦を確信し、
クラブハウスで帰りの支度をしていたのだという。
メジャー2年目にして既に『早退病』が発病していたのだ。


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2 コメント

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K・ミッチェル (yoshikazu)
2007-11-15 16:14:38
うわ~懐かしい!
王ホークス1年目、西武との開幕戦は壮絶な
打撃戦でしたが、そこで放った1発は記憶に
残ってます。
しかしその後の活躍は覚えてません・・
結局シーズン途中で、仮病?で帰国したんですね。
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ミッチェル (管理人)
2007-11-16 21:02:34
私もミッチェルの日本での1号は
鮮烈に覚えてます。
それだけに、その後の動きは残念でしたね~。

いろんな意味で『早退好き』な選手でしたね。
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